あらすじ
モダンとポストモダンを通過した私たちにとって、「リアリティ」「公共性」とは何か? 東浩紀の動物化論、大塚英志の物語消費論を導きの糸として、文学、SF、萌え、そしてアレントやデリダも参照して、時代の「お約束」について考える。
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Posted by ブクログ
僕の場合、モダンとポストモダンの定義をかなり東の定義に依っていたので、本書で示されるような「近代」「モダン」「ポストモダン」という区分けは、歴史の位置づけを行う際の「多様性」を指し示してくれたように思う。
本書のキー概念である「テーマパーク型権力」に関しては、筆者も認めるように東の議論とかなりかぶるところが多いように見受けられる。ただ、大塚や他の思想家たちの思想を概観し、それぞれをある程度の客観性を持って俯瞰することが出来るようになったことは本書を読めたことの意義になるだろう。
ただ、あまり僕がこの手の分野に不慣れなせいかわからないが、本書の示しているような近代――特に「時代」としての近代と「方法」としての近代――の区別が、本を読んでいるその瞬間はなんとなく理解が出来るような気がするのだけど、本を閉じて数日もすると自分の中で曖昧になっている。
これは僕の理解力の面もさることながら、概念化させるキーワードとしてはやや曖昧性が高いからかなとも思う。あるいは説明が僕のような初学者にとっては不十分であるとも言える。このあたりの議論は興味深いので、もう少し細かく検討していただけるとさらに助かるのかなと思った次第である。