【感想・ネタバレ】木琴デイズ 平岡養一「天衣無縫の音楽人生」のレビュー

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Posted by ブクログ

 宅間久義の名前を見つけたり、柳田邦夫との接点が示されたり。
 一人の演奏家の人生は、当然、たくさんの人達と結ばれていく。
 今も、ラジオから聞こえてくれば。

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2015年02月16日

Posted by ブクログ

<気鋭のマリンバ奏者と往年の名木琴奏者が、時を経て邂逅する >

本書の主人公、平岡養一は、一世を風靡した木琴奏者である。
戦前、単身でアメリカに渡り、苦労の末に、放送局に職を得た。その後、10年の長きに渡って毎朝15分のラジオ番組で生演奏を担当した。戦況が進む中、平岡は日本への帰国を決意し、日米交換船と呼ばれる船で帰国。戦時中は「音楽挺身隊」として活躍した。戦後は再びアメリカに戻ったが、日本にも時々帰国して演奏旅行を行った。気さくな人柄から、音楽のみならず、広い交友関係を持ち、日米の架け橋としての役割も果たした。
高齢の人の中には懐かしく記憶する人もいるようだが、現在、平岡の名はさほど広く知られているとは言えない。

著者、通崎睦美は、現代のマリンバ・木琴奏者である。
幼少の頃、合唱団に属しつつ、マリンバを習ってもいた著者は、平岡の全国公演の際に、わずかな時間ながら共演をした経験もある。長じて、プロの演奏家となった彼女は、指揮者、井上道義に声を掛けられ、平岡の楽器を演奏する機会を得る。その縁で、最終的に、この楽器を譲り受けることになる。
平岡生誕100周年を迎え、平岡の人生を世間にもっと知ってもらいたいという思いが強まっていく。しかし、評伝が出る気配はない。
ならば。
自分が書くしかない。

こうして生まれたのが本書である。
幸福な出会いにより、魅力に富む本が世に出たことになる。

本書のもう1つの主役は、木琴といってもよいだろう。
概して、木琴とマリンバの違いはよく知られているわけではない。というよりも、違いがあると意識したことがない人が大部分だろう。
木琴(xylophone:ザイロフォン(*シロフォンというのは、日本のみで慣用される読み方である))の原型はヨーロッパの民族楽器「ストローフィドル」である。クッション代わりに箱に藁(ストロー)を詰め、木片を並べて演奏されていた。
対して、マリンバの原型は西アフリカの「バラ」または「バラフォン」である。鍵盤の下に共鳴器として瓢箪が付いている。現代ではこの共鳴器は瓢箪ではなく、金属性の管となっている。
起源が異なる以外にも、2つの楽器では調律の仕方が異なる。専門的には倍音の調整の仕方が異なってくるということなのだが、大まかには、木琴は「硬くてよく通る」音色になり、マリンバは「やわらかくて残響が多い」音色になると思えばよいようだ。
また、マリンバの倍音構成は弦楽器・管楽器と似ているため、オーケストラに合わせやすいそうである。

平岡の音楽人生は、木琴が辿った歴史と重なり合う。
木琴は平岡が活躍する少し前から好まれるようになっていた。大恐慌でレコードが売れなくなってからはラジオに生き残りをかける。だが、徐々にスウィング・ジャズなど新たな音楽が台頭。こうした音楽に今ひとつしっくり合わなかった木琴の人気は翳りを見せ始める。
平岡が最初に渡米したのはこの前後で、ある意味、木琴奏者が撤退しつつある中、頑固に自らの音楽を貫き、居場所を作っていったことになる。
日本でほぼ独学で演奏を身につけていた平岡は、ラジオでの共演者からの指導を受け、生放送という実地訓練を積み、めきめきと腕を上げていく。
残った音源から通崎はそのさまを思い浮かべる。

本書の美点は、事実を丹念に調べたノンフィクションとしてのすばらしさに加えて、音楽家でなければ見えてこない奏者としての視点があることである。戦前・戦中・戦後の景色だけでなく、当時のアメリカや日本の音楽界にぐっと迫っていくような、ビビッドな感覚がある。
平岡への敬愛はもちろんある。だが、そこに音楽家としての著者のクリアな批評眼が加わり、本書をからりと明るく、かつ深みのあるものにしている。

戦後、マリンバが席捲していく中で、平岡は最後まで、木琴にこだわりを見せる。残響がなく、ストレートな音色を彼は愛した。
時にテンポが揺れ、「平岡節」とも言われる平岡の演奏には、木琴の音色がぴったりだったのだろう。平岡は、天衣無縫に、踊るように、木琴とともに、その音楽人生を駆け抜けた。

木琴を愛し、音楽を愛し、人生を愛した、1人の奏者の評伝である。これ以上ない書き手を得た、幸せな1冊だ。

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2013年12月28日

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