あらすじ
おはようございます。こんにちは。
大きな声で挨拶をすることが気恥ずかしいものになっていませんか?
・形式的な「おつかれさまです」が面倒
・先輩に挨拶したのに無視された……
・新しい環境で挨拶をするのに勇気がいる
“スマートな能力主義”が浸透した現代で挨拶をする意味はどこにあるのでしょうか。
日常に溶け込んだ「挨拶」を多方面から見つめ直し、その言語以前にある「気持ち」を探る一冊です。
◆本書より
「いないいないバァ」や「アルプス一万尺」で友達と対面して、声を出し、手を動かして楽しむ生き生きとした生活を送っている子どもさんには、本書は必要ありません。成長する中で、いつしか自分以外の人間の顔色をうかがうようになり、互いにジッと見つめ合うと気まずくなる大人になった人、スマホや電子機器に触ったとしても、自分以外の誰かの手に触れることが少なくなった人、そのような人と人との触れ合いが下手な大人になった、あるいは大人になるかもしれない「〈私〉のための挨拶」をこれから考えていきましょう。
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【目次】
はじめの挨拶
第一章 現代における挨拶の意味──クマさんの「こんにちは」
第二章 挨拶の源にある親しみ──腹の底から「おかあさん」
第三章 はらわたの共鳴と挨拶──いのちを「いただきます」
第四章 無関心な人間のどうしようもなさ──〈私〉の「そばにいて」
第五章 悲しい優しさを贈る──〈私〉が「ここにいるよ」
おわりの挨拶
あとがき
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Posted by ブクログ
挨拶の役割や機能を社会言語学(?)的に解釈する本なのかなあ、と思ったら、全く違う哲学の本だった。
『挨拶の哲学』という、専門書として出した既刊を、一般向けに分かりやすく書いたものであるとのこと。
たしかに、とてもわかりやすい。
使われている言葉がとても柔らかい。
人間は「親しい他者」から、挨拶という親しみを贈与され、それに支えられ生きている。
親しみを贈与してくれるのは、人ばかりではなく、周囲の環境も含まれる。
しかし、人は二本の足で「自立」するようになると、経済性や合理主義、利己心に染まり、挨拶を切り捨て、他者に無関心になっていく。
無関心の恐ろしさに気づいた人が、挨拶を介して、苦しんでいる「無告の人」の声なき声を聞き取り、「悲しい優しさ」を贈り続けることが大切だ―というのが、雑だけれど本書の主旨だと思う。
宗教だな、と思った。
いや、もともと宗教は哲学に含まれるのだっけ?
確かに、現代は、人が分断され、自分の事だけで精一杯という世の中。
自然を傷つけていることにも無関心であり、動植物の命を殺生することにも痛痒を感じない。
そんな自分に気づいて、いやだなあ、と思うことはあるから、本書の言うことはたしかにそうなのだろう、と思う。
ただ、どうすればいいのかということについては、全く納得できなくて…。
誰も助けてくれないから、自分で何とかするしかない。
利己主義と言えば利己主義だけれど、個人が変わればなんとかなるとはとても思えない。
それは筆者も分かっておられるようだったが。