感情タグBEST3
Posted by ブクログ 2018年11月25日
"思慮深い言葉、愛情、勤勉、育児、医学への情熱などなどがつづられている。
1939年から1979年までの40年間のごく一部の日記。
学問へ取り組む矜持も素晴らしいし、家族へ投げかける愛情も伝わってくる。
神谷さんはハンセン病診療所長島愛生園で患者と向き合いった精神科医。
この方が記した本...続きを読むがほかにあれば、それを読んでみたくなる。"
Posted by ブクログ 2010年06月30日
「私は自分一個のためにもう十分苦しんだ。今はもはや、自分のために苦しんでいる時でも喜んでいるときでもない」
「科学者として何をなしえずとも、芸術家として日々生きていくことはできる」
「人は思索を深めるほどに、思索したことを書きたいという思いを強くする」
果たして、生涯を通じてこれほどまでに考え続け...続きを読む、リタイアせずに生き続けた人間がどれくらい存在するのだろう。
ここまで複雑な精神世界を持ってなお生き続け、神谷美恵子という一人の思想を残してくださったことに、ただひたすら感動。
Posted by ブクログ 2009年10月04日
「生きがいについて」を読む前にこちらを読むことにした。彼女の文章は本当に真に迫るものがあり、迫力を感じる。心から湧き出てくる言葉といった感じがする。
私が感銘を受けたところは、女性というものの生き方についてだ。自分の中の男性的な部分と女性的な部分との間の葛藤が描かれていて、それは現代女性の多くが共...続きを読む感する点だと思う。以下の文ではその強い意志が感じ取れる。
p.58「漸く落ち着いて勉強できるようになった。同時に、自分の中に、自分のものを生み出したい衝動がうちにみなぎる。今まで勉強したこと、これから晩供すること、それら全てを、自分の生命に依て燃焼せしめよう、女であって同時に「怪物」に生まれついた以上、その特殊性をせい一杯発揮するのが本当だった。男の人の真似をする必要もなければ女の人の真似をする必要もない。かと言って中性で満足しようとする必要もない。傍若無人に自分であろう。女性的な心情も、男性的な知性も、臆病な私も、がむしゃらな野心家の私も、何もかも私の生命に依て燃やしつくそう。誰に遠慮する必要があろう。」
なぜ彼女はこのように考えられたのだろうか。
この本を読んで、女であると同時に、一人の人間としての生き方を考えさせられたし、何より、神谷美恵子さんのリアルな生き様がわかって感動した。
Posted by ブクログ 2018年02月22日
神谷美恵子 25歳から65歳までの日記
苦しみながら 生きていたことがわかる。苦しみに耐えられたのは 神と対話し、自分で叱咤激励しながら、社会的使命を全うしようとしたから。自身の医師や翻訳者としての功績を誇った記述はない。自己評価が厳しすぎる
エリートの弱さを自分で克服した記録としても読める
時...続きを読む間の捉え方が面白い
*人間は〜生物が脱皮するように 過去と決別して新しい生活に移る
*時が羽を生やした様に飛んでいく
*仕事に熱中しているとき ひとは 無時間の中にいる
昭和14年(25歳) 〜
*自分の問題は 自分と神様のみで決めるべき
*下層の人のために働く。人、人の心、体、社会を健全にするために働く
*人の使命は 人の存在意義に関わる
昭和47年(58歳)〜
*神に委ねて残る日々を生きる
*医師になっても 何一つ人間のことはわかっていないのを知る。これを知るための勉強であった
*私は痴呆の近くまでいって ようやく全てのものから自由になった。何より 自分の限界を〜知った
*痛み〜来るべきものが来た。すはおに頂こう
昭和54年(65歳)
*くるしみに耐えること、ことに他人に与える苦しみに。
Posted by ブクログ 2017年09月14日
すごい人間だなぁとただただ。
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軋轢のある、神経の緊張した、なやみの多い世界でないとだらぢがなくなる。
こういう大きな目的に向かうからには、それ相応に犠牲の要求せらるることもあろうことを、ここに改めて覚悟する。よろしいか
利他的に衝動とともに、純粋な(学問的・美学的)が私に存する。私がもし...続きを読む何か研究したり、創作したりしたとしても、それは決して「人類のために」などではない。
人類愛と学問と芸術とに一切の力を昇華しつくしてしまおいという生き方
私と普通の人との間のギャップは大きくなる、やがて普通の社会や家庭生活から締め出される。というより自ら締め出す日が必然的に来る事はわじゃっている
一度世を捨てた人間
自己を失って途方に暮れているという感じだ。自己を失うのか!と思うと愕然とする。その自己は何処へ行ったのだろう。私がものを考えたり、創ったりする能力を失ってしまうのだとしたら!
私はゲーテではない。自分の書いたものが、文学的な客観的な価値などを持とう筈もない。しかしもし書くことが、自己の成長の上に必要な過程なら、旧い段階から新たな段階へ飛躍していくための必要な一つの脱皮なら、ひそかに、常に、書いていいわけではないか。
小説をこしらえるのではない、文学するのではない、単に呼吸するに過ぎないのだ。本気に、自分に対して責任を以て生きようとするにはどうしても書かぬ訳にはいかないのだ。書くのをこらえていじいじと苦しむより書きまくって苦しむ方がいい、
文学という風に考えれば他と対立するけれど、何も文学者になろうなんて考えを起こすわけじゃない
Posted by ブクログ 2012年05月24日
もともと日記文学が好きなのと、ヴァージニア・ウルフ研究者という面で、どんな方か興味があったので、彼女の他の著作はまだ読んだことがなかったが、読んでみた。
書きたい、表現したいと強く思っている人によくある葛藤の日常と、医療従事者として、家庭の主婦としての三つ巴の高い志は、少女のころから亡くなるまで変わ...続きを読むらず高くより強固に変化し、その意思の強さに頭が下がる。家事育児に時間をとられていることも葛藤は感じつつも、彼女の著作の泉の形成の一端を担っているのだと思った。今現在仕事と家事との葛藤を抱える自分にとっても風穴的な一冊だった。
他の著作を続けて読むことにした。