あらすじ
近代社会存立の仕組みには、自己否定へ導くダイナミズムが潜んでいる。本書では自身の中に他者を孕むその様を、二つ焦点(=中心点)をもつ楕円になぞらえ、近代の本性に迫る。他者という存在に投資することで初めて成り立つ資本制の構図を明らかにし、その起源を錬金術に求めた。近代の萌芽から帰結まで様々な題材を議論することで、我々の社会の有様を示す。現代社会の問題に真摯に向き合いつつその行く末を論じる、著者の多層的見識が十全に発揮された意欲的論考。
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Posted by ブクログ
哲学とは疑うことである。常識を疑い、道徳を疑い、科学を疑い、人間を疑う。要するにありとあらゆる先入観を哲学は疑う。だが言うまでもなく、社会に深く根付いている先入観ほど疑うことが難しい。
例えば資本主義というイデオロギーは、最も疑うのが難しい先入観の一つであろう。登校を拒否する反体制の不良でさえ弱者からカネを巻き上げ、道徳に囚われない殺し屋でさえ報酬を要求する世の中なのだから。「地獄の沙汰もカネ次第」という言い回しにもあるように、われわれは貨幣至上主義に染まっておりしかもそのことに気づいていない。
だが実のところ貨幣そのものに価値はない。価値のない貨幣がなぜ流通し続けるのか。そのパラドックスは岩井克人が『貨幣論』で鋭く分析しているところであるが、大澤はメディチ家、花田清輝、ベラスケス、モーツァルト、フロイト、ディズニーランド、等々を題材にとり、多少強引とも思える手腕で議論を展開する。その博識ぶりには舌を巻くしかない。
最も興味深かったのは資本主義と環境倫理の関係を論じた最終章であった。大澤によれば資本主義の運動は、人間の同一性を貧困化し、それ以外の存在者との境界線を曖昧にする。その結果、人間以外のあらゆる存在者が権利を持っているかのような社会観が形成されることになる。環境倫理とはその結果であって、人間の道徳的進化の賜物ではない。だがそのような環境倫理は最終的には失効せざるをえない。なぜならあらゆる存在者が権利を持つということは、あらゆる存在者が責任を持つということであり、そのような世界では責任という概念がそもそも無効になってしまうのだから。
少々こじつけと思われるような箇所も散見されるが、そこがまたこの人の魅力でもあるのだろう。知的刺激に飢えている読者層には楽しめる一冊かも知れない。