【感想・ネタバレ】ラノベのなかの現代日本 ポップ/ぼっち/ノスタルジアのレビュー

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Posted by ブクログ

ライトノベルと称される文芸ジャンルの作品群のなかにえがかれた「現代」のとらえかたを、文学研究者である著者が読み解く試みがなされています。

「ラノベ的であることから限りなく遠い「大人」であろうとしていた」と述べる著者は、東浩紀の『ゲーム的リアリズムの誕生』(2007年、講談社現代新書)によって開かれたコンテンツの文化的読解に刺激を受けつつも、「ラノベ的世界」への「敷居を片足またいだ格好のままで」その作品を読みはじめたと語っています。東のコンテンツ批評が、思想の分野における業績を背景になされたものであるとするならば、本書は現代文学の研究による東の文化的読解に対するアンサーとみなすことができるように思います。

本書が考察の対象としているライトノベルは、平坂読の「僕は友達が少ない」、渡航の「やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。」、裕時悠示の「俺の彼女と幼なじみが修羅場すぎる」、さがら総の「変態王子と笑わない猫。」などのシリーズですが、村上春樹や村上龍、大江健三郎や寺山修司、穂村弘といったライトノベルではない作家たちにも言及がなされており、日本の現代文学においてえがかれてきた「現代」のかたちが、ライトノベルにおいてどのような変容を受けることになったのかということが考察されています。

著者は、これらの作品にえがかれる「ぼっち」のすがたに、もはや一般的な消費者を意味するだけとなった「オタク」の現代のありかたを見いだすとともに、そこにえがかれている少年少女たちが、両村上の作品に示されるような、平板な日常を越え出ようとする志向をいだくことなく、平板な日常を送ることに終始しているということが指摘され、そこにライトノベルの「現代」を見ようとしています。

200ページに満たない分量の本になっているのですが、現代日本文学における「家」や「アメリカ」といったテーマについての概要を解説する手間を著者が惜しんだことが悔やまれます。

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2023年05月13日

Posted by ブクログ

大変面白かった。ラノベは覗き見的に2,3冊読んだ程度で「なんか軽いのがちょっと物足りないなー」と感じられ、個々の作品は熱心な読者ではなかったのだが、ジャンルとしては、これまでの小説とは違う価値観や今時の世相を色こく反映してそうなニオイを、何となく感じていて、ラノベ全体をメタ的に俯瞰・解説する本書は、まさに待望の本であった。
単にラノベの解説本ではなく、現代日本との関わりから、従来の文芸や社会の変遷と共に優れた分析、解説になっており、一気に読ませた。個々の作品も読んでみようかなと思わせる。

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2013年07月30日

Posted by ブクログ

ネタバレ

おもしろい。
ラノベを読んだことのない人間だから楽しめたのかもしれない。
詳しい人はまた別の評価に’なるのかも。
ラノベから読み解く現代は、「おたく」が台頭し、だからこそ撤退する。大衆化した「おたく」はもはや初期の「おたく」ではないだろう。
ラノベでは「ぼっち」。
未来に期待できず、決して成長しない。でもひきこもりではない。
うーん、渡航の作品を読んでみようかな。

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2013年07月18日

Posted by ブクログ

「本書の考える「現代」とは、あくまでも、誰かのノスタルジアの産物として観測可能な事象だ」(183頁)というスタンスのもと、第二次大戦以降の日本において、各世代の人々の内的な過去の嫌悪/美化のパターンを描こうとしている。特に、ポップ世代として村上龍や村上春樹を据えながら、その後の村上隆や穂村弘との、さらにその後のラノベ世代の感覚(自分や世界との向き合い方)の違いを、様々な作品を紹介しつつ説いていく。後の世代になるにつれ、内的な過去が依ってたつリアルが失われていく。それはよいことでもなければ、悪いことでもない。そんな感じだろうか。著者の論の運びは図式的なようで感覚的。視点は面白いが、読んで納得、とはならなかった。

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2020年04月27日

Posted by ブクログ

ラノベを通して現代日本を解釈しようとする哲学の書。
まかり間違ってもオタ向けでもなければ、一般人向けでもない。

やたらめったら内容は難しいが、ハルヒ世代の人間としてところどころに納得できる内容はある。
アメリカとの対比をもって解釈しようとする昭和世代に対し、
僕らにとってそれは所与のものであまり興味がない。
非リア充である僕らのぼっちこそがテーマだと言うのはひどくしっくり来る。

それ以前の部分の語りはいまいち分かりにくいが、
ただライトノベルの書き手とその読み手の間にある種の断絶があるかもしれないというのは、
ある種の恐怖も感じるところ。
言ってみれば自分もおっさんであり、若い世代との断絶があると言う事実。

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2019年05月19日

Posted by ブクログ

1980年代に小学生、90年代に中高生だった身にとってはうなずける所もあった。
ポップ―オタク―ネオポップ―ぼっちの流れは理解できました。
しかし、村上龍、春樹はラノベではないのでは?と疑問に思いながら読んだので後半身が入りませんでした。

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2015年03月22日

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 本書は決して「ラノベ」論ではない。本書が語るのはあくまでも、書名のとおり「ラノベのなかの現代日本」なのである。ライトノベル中に散らばる「現代日本」を知るヒントを拾い上げ、現代文芸の流れの中に組み込もうとする意欲的な評論だ。

 その結果見えてきたのは、従来の「オタク」とは違う「ぼっち」という生き方である。「リア充」を中心とした「大衆」を否定し、自らの世界に独りであろうとする存在である。詳細は本書にて確認をしてほしいが、ここで特に取り上げたいのは「ぼっち」の「物語の主人公になれない」という特徴である。「ヘタレ男子」をその源流とする「ぼっち」系主人公は、その「ヘタレ」さ故に「物語の主人公」とはなれないという。
 しかし、以前『変態王子と笑わない猫。』などのレビューでも述べたとおり、僕はライトノベルを取り巻く「エロ」にある種の危惧を抱いている。ライトノベルの主人公には、その性欲をアイデンティティとする主人公も少なくない。果たして彼らは「物語の主人公になれない」のだろうか。むしろ、性欲を堂々と披露できる男は、「ヘタレ男子」でありながら、そこに「リア充」の片鱗を感じることもできる。もちろん、ここで取り上げたような主人公たちは、本書の取り上げた「ぼっち」に該当しないという見方もできるだろう。けれども、そういった主人公群が存在する以上、性欲の披露は決して無視できないファクターなのではないか。

 「村上龍」や「村上春樹」といった世界観とラノベを同列に扱うなど、本書にはかなり冒険的な仕掛けがなされている。時に、その冒険心が「行き過ぎ」を生んでしまっている感もあるが、一つの「試論」として評価されるべき一冊だろう。


【目次】
序章 ラノベを知らない大人たちへ
第一章 ポップかライトか
第二章 ジャパニーズ・ポップの隆盛と終焉
第三章 オタクの台頭と撤退
第四章 「ぼっち」はひきこもらない
第五章 震災と冷戦
第六章 ポスト冷戦下の小説と労働
第七章 ラノベのなかの「個」
終章 現代日本というノスタルジアの果て
参考文献
あとがき ラノベを知らない子どもたちへ

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2014年08月17日

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バブル期以降に若者に受け入れられた、
衒学的な虚像を題材にした小説。
ぼっちが自由に、見えるらしい。

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2014年04月18日

Posted by ブクログ

ラノベ世代の若者が抱く上の世代との感覚的断絶感の正体を、それぞれの世代の作家が作品に描く「現代日本」を抽出して比較しようとするもの。断絶感の概形には納得するけど、文学批評研究を読み慣れてないからか不安が残る。という意味で星3つ。
こういう種類の本にありがちな「リア充」「DQN」みたいなワードに飛びつく、といった事が無かったので、そういう点では安心して読めた。そういうスラングはもはや大人の言葉とはかけ離れた世界のものである、という問題意識を始めに提示してくれているから。
この本は異世代との交流の薄い、交流を避ける人に読んで欲しいと思う。それでもなお異世代への不安が残るとすれば、なぜ不安なのかを突き詰めて考えることに意味があると思う。

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2013年11月28日

Posted by ブクログ

帰属感=ノスタルジア(四方田)
ラノベ・・・自らを偽物に貶める態度=読者の態度
ポップ・・・権威はコケにされ、ヒーローは大衆と愛を分かちあう。
⇔ラノベ(疎ましい)
ライト=成熟したポップの上に成り立つ、本命ありきの浮気相手
よりアメリカに近いのはどちらか
田舎に張り付いたアメリカ・・原風景
オタク文化の成熟⇒村上隆、平成日本における「絶望」=へたれた社会のポップ、表層的な軽さ=スーパーフラット
穂村弘・・「遅れ」、ポップな無意味
東浩紀・・オタク系文化の歴史とは、アメリカ文化をいかに「国産化」するか、その換骨奪胎の歴史だった
涼宮ハルヒの閉鎖空間=現代日本に辟易した若者たちに見出された、可能性としての「個」の在り方
ラノベの態度・・「ぼっち」であることに積極的であり続けるラノベのヒロインたちと、彼女たちの絶望に肩入れするフツーの男子たち。⇒彼女たちに絶望した男子たちは??
「おたく」=卑下した自身を起点にした徹底した自己言及を繰り返す、同一話題では友情を育めるが、それ以外には排他的。
「ぼっち」=ラノベ世代のアンチ・ヒーロー、ぼっちであることを通してのみ友情を育み、互いに立ち入らない。自己卑下はしない。自分なしでも世界は動いているという認識。
ポスト冷戦期=戦勝国のない分割世界
村上春樹・・文化的雪かき、誰も傷つかない書き方
西尾維新・・趣味としての小説
ラノベの主人公=(変わっていく世界の中で)変わらない「個」であることを望む
ノストフォビア=?個人的トラウマ?
ノスタルジーとノストフォビアは共存する⇒時間の不可逆性が前提
60〜70年「現代日本」のノスタルジア
第二次世界大戦後の断絶〜さらなる断絶
空間的な旅⇒我々自身の顔、帰属感がないということ? ※農村の変化
「近過去」のノスタルジアへの可能性
家は帰る場所ではなく出る場所 ※家出
??⇒ぼっちには捨てる家すらない、共有できない、ノスタルジアすら許されない。



…やれやれ

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2013年08月13日

Posted by ブクログ

ラノベのなかと謳ってはいるけど半分くらいはW村上からの引用だし題名から想像すると肩透かし感じます。変にラノベから引用するのではなく学生さんと本読みあったと書いてあったからその子たちは自分たちをどう思ってるかとかそういう生の声があるともっとよかった気がします。結局「若いうちに旅をしろ」と言いたかったのかなあ?

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2013年06月25日

Posted by ブクログ

W村上とラノベとの現代若者してんのずれに関する指摘はなかなか興味深かったけれど、結局結論として何が言いたかったんか半分も理解できんかった。

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2013年06月23日

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