あらすじ
毀誉褒貶を伴いながら存在感を発揮し続ける精神分析.その核心を追い求め,精神分析を仕切り直そうとしたジャック・ラカン.難解で知られるその理論を,フロイトが拠り所とした五大症例――ドラ,鼠男,ハンス,シュレーバー,狼男――との向き合い方に着目し読み解く本書は,かつてないラカン入門書となるだろう.
...続きを読む感情タグBEST3
Posted by ブクログ
『斜め論』を途中まで読んで積読している私でも、まったくわからない内容ではなかった。ただ、後半は急に難易度が上がり、編集したのかと疑いたくなるくらいだった。
ラカン本人の文章は全然わからない。引用されるたびにうんざりした。それでも、本全体を通して何もわからなかったという感じにはならなかった。特に5章のラストは衝撃だったので、そこまで読んでよかったと思う。
一番残ったのはシェーマLだった。自分と相手がそのまま向き合っているわけではなく、自我のイメージや他者の言葉が入り込み、自分自身さえ自分で完全にはわからない。そこから無意識というものにも関心を持った。
「ねずみ男」の症例も印象に残った。単に言葉の意味がつながったから治ったというより、フロイトとの関係そのものまで含めて考えないと説明できないのではないかと思った。人をその人の内側だけで見るのではなく、他者との関係の中で見るというラカンの考え方が、少しだけわかった気がする。
『論理的思考とは何か』が刊行されてから約2年。今ではメディアはもちろん、論理的思考そのものまで行方不明になり、何が正しいのかもよくわからなくなっている。ラカンはこんな世の中になると予想していただろうか。
そんな今だからこそ、ただ正解を探すだけでは足りないのかもしれない。自分がなぜそれを正しいと思っているのか。その「自分」はどこまで自分なのか。そんなことを疑うために、シェーマLのSをはじめ、ラカンをもう少し理解してみたいと思った。
Posted by ブクログ
『ジャック・ラカン』松本卓也(岩波新書)を読む。フロイトの五つの症例を読み解くラカンを描いている。「想像界」と「象徴界」との関係は有名な図式Lなどでよくわかったが、理解できなかったのはこれらの中での「現実界」の位置付けだった。もう少し勉強不足を補う必要があると反省した。
Posted by ブクログ
「フロイトへの回帰」をとなえたラカンが、フロイトのかかわった五つの症例をどのように読みなおし読み替えたのかということを検討し、フロイトからラカンへつづく精神分析の継承および発展の内実について考察している本です。
症例ドラにかんしてラカンは、ヘーゲルが『精神現象学』において論じた「評価する意識」と「行動する良心」の弁証法に触れつつ、ラカンがフロイトを乗り越えて弁証法的反転の解釈を推し進め、ドラが女性性を引き受けようとしていたことを明らかにしています。
症例鼠男では、フロイトの生物学主義を構造主義に書き換えることで、ラカンが親の世代からこの世代へと引き継がれる問題を解決しようとしたことが解説されています。さらに症例ハンスでは、エディプス・コンプレックスの構造に踏み込んで解説をおこなうとともに、ラカンの思想における象徴的な「父」の役割が論じられます。さらに症例シュレーバーでは、「父の名」が機能しないことが精神病における妄想を引き起こしていることが、ラカンの理論にもとづいて説明されています。
最後にとりあげられているのは、症例狼男です。この症例の解釈をめぐって、ラカンはフロイトの治療論に抗しつつ、精神分析における治療とはなにかという問題を提起しています。フロイトは、狼男が幼少期に両親の性交場面を目撃したことに、彼の強迫症状の源泉を求めるとともに、父親との関係がフロイトとの関係に転移されていることを見てとりました。しかしフロイトは、狼男とのかかわりを通して精神分析の理論を補強し、狼男ではなくフロイト自身の「主体化」をおこなったとラカンは批判します。ラカンの変動時間セッションは、こうした分析家による「主体化」の簒奪を防ぐことで、「あらかじめそこにある真理」へと回帰するのではなく、「まだそこにない真理が到来する」ことを待つための実践的な技法でした。こうして著者は、ラカンが症例を読みなおすことで、臨床の場面におけるフロイトの継承とその超克を図ったことを明らかにしています。