あらすじ
被爆者の子どもを表す「被爆二世」という言葉には一定の知名度がある。親の戦争体験を語り継ぐ平和運動の担い手というポジティブな文脈で登場することが多い一方、当事者自身の遺伝的影響や健康問題、差別への苦しみなどには光が当てられてこなかった。本書では被爆二世が生きた戦後に焦点を当て、新証言の数々とともに原爆被害の本質を考察する。戦後80年を経て「核の時代」を生きる私たちは、どのように核被害と向き合うべきか。原爆被害を追い続ける気鋭のジャーナリストが、国に、社会に、自分自身に突きつける問いかけとは? 「差別する私」と向き合う渾身のノンフィクション! 第23回開高健ノンフィクション賞最終候補作。
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Posted by ブクログ
「被爆二世というテーマから、逃げ出さない。
それは、この時代を生きる私たち一人ひとりの責任であり、未来に対する約束だ。」という一文でこの本は締め括られる。
今を生きる私の喉元に鋭いナイフが突きつけられた、そんな感覚。本書から目を逸らさずに、正面から受け止めなければならない責任があるということ。
「原爆の被害者の人たちというものを絶滅するにはどういう方法を取らなければならないか。これは遺伝的な問題が私は多少あるのではないかと思うのでございます。そうしますと、永久的に被爆者の援護を続けていかなければならないということになりますと、依然もって戦後は終わらなくなりますので、これを絶滅する何らかの方法はないかとどうかということです。」「被爆者には治療を続けさせ、都は、優勢保護的な見地から、完治するまでは子供を持たないような行政指導をするべきた」。
これらは、1976年自民党の都議の発言である。
著者はこれは「言い換えれば、そもそも被爆者の子や孫は生まれてこない方がよいと言っているのと同じだ」と断じます。
優生保護法が施行されていた時代であり、多くの国民はこの差別性に気づいてすらいなかった時代、しかし著者はこの本をこう始めます。「被爆二世への差別を自覚することから、私の取材は始まった」。それはつまり、現在おいてもその差別は続いていて、だから最後にこう書きます。「被爆二世を「差別する私」は、突然うまれたものではない。私の中に、そして社会の中に、ずっと存在していたのだろう。」
被爆者と被爆二世、被爆二世のアイデンティティはどのようにしてうまれたのか、政府の行為によってもたらされた被爆者の二世は何をもとめてきたのか、そして社会はどう向き合ってきたのか、向き合ってこなかったのか。
被爆二世は被爆者援護法の適用対象外であり、国による法的援護は一切ない。戦後すぐからのABCCの調査、現在の放影研の全ゲノム調査まで被爆二世は調査の対象であり続け、遺伝的影響については未だに「わからない」。しかし国は、「わからない」から援護はしないという。
実際に被爆者や被爆二世に取材し、過去の記録を読み込む中で著者は、「被爆二世にも原爆の「被害」は及んでいるという確信だ。「被害があった」というのは、「遺伝的影響がある」との趣旨ではない。調査・研究の対象とされること、結論が出ない問いの前に立たされる苦悩、差別の対象とされること--それらはすべて原爆がもたらした現実だ。そのように捉えると、被爆二世への援護政策も講じられるべきだ、との考えに行きつく。」
私たちには責任がある。