【感想・ネタバレ】複眼人のレビュー

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Posted by ブクログ

呉明益の小説は、『歩道橋の魔術師』『自転車泥棒』を読み、これで3冊目。今まで読んだ2冊が、中華商場や、第二次大戦といった、台湾の歴史的な記憶を拠り所にした物語だったのに対して、『複眼人』は、ファンタジー要素が強く、印象がかなり違う作品だった。

世界中の人間が捨てたゴミが太平洋沖に集まってできた「ゴミの島」が、台湾に衝突するという事件を中心に、そこにいた様々な人たちが描かれる。一番印象的だったのは、自殺寸前の大学教師の女性「アリス」の話だった。
「アリス」は、登山に出かけた夫と息子を失ったことで、自殺を考えるようになる。しかし、ちょうどその時、野良猫が家に舞い込み、「オハヨ」と名づけ、育て出したことで、自殺を思いとどまる。「アリス」にとって、この物語は、いかにして夫の「トム」と、息子の「トト」の死を受け入れるかという物語だった。彼女は、「複眼人」という小説を書き、「トト」は、自分の書いた文字の中で生きていたのだとすることで、二人の死を受け入れる。

「複眼人」というのは、彼女が書いた小説だと思われる物語の中で、これまた「トム」と「トト」だと思われる「男」と「少年」が、死の直前に出会う超自然的な存在だ。複眼人は、人間の男の姿をし、その名の通り、目が複眼になっている。彼の複眼には、一つひとつの個眼に、全く別の様々な情景が映し出されている。

面白いのは、この「複眼人」が、実在するのか、しないのか、「トム」と「トト」の身に起こったことが、現実に起きた出来事なのかどうかが、分からないことだ。この物語には、「アリス」の他に、台湾の先住民族や海外からやってきた技術者、神話の島から追放された少年などが登場する。それぞれの人物が、それぞれの人生における身近な人の死との関わりの中で、神話のような超自然的な経験をする。「アリス」の物語は、そうした登場人物たちの経験が語られる中に置かれることで、夢なのか、現実なのか、判別がつかなくなる。
「トム」の遺体は、山の中で見つかったものの、息子の「トト」は、遺体どころか、結局、その痕跡すら発見することができない。そうした現実を、「複眼人」という物語にし、猫の「オハヨ」と生きていくことを決意することで、彼女は受け入れられるようになる。

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2023年08月23日

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海に浮かぶワヨワヨ島、迫り来るゴミの島、クジラ、台湾の先住民族、娘と母、娘と父、猫、母と息子、地震と津波、小説、山、森、海。

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2022年01月03日

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『人生というものは、自分の考えを挟むことは許されず、ほとんどは否応なしに受け入れるしかない。オーナーの独断で料理が決まるレストランで食事をするようなものなのだ』

「歩道橋の魔術師」や「自転車泥棒」の郷愁漂う趣とはかなり異なる味わいの物語に少し驚く。現実に仮想を投映した文明批評という印象に先ず染まる。少し警戒しながら読み進めると、じわじわと印象は変化する。もちろん、読み手によってはこの本を環境問題に意識の高い著者の人類に対する警句と捉えてしまうことも出来るのかも知れない。だが、架空の島に暮らすワヨワヨの人々の自然と対話するように生きる暮らしと都市化による数多の歪を抱えて台湾に生きる人々の暮らしぶりの対比に、正反対の生き方をしているようでいて本質的には命が命を生贄にしてしか永らえることができないという点において変わりはない、という託(ことづ)けを読み取る。その生き永らえる術に対する単純な正誤の判定を呉明益は下している訳ではないように思う。

例えば最近流行の持続可能な開発目標というやんわりとした標語の究極的に意味するものと、月齢百八十か月を越えた次男は島を離れなければならないとする具体的な孤島の定めは、思想としては同根のものである。一つずつの決まりごとに対して様々な視点があること、そのことを何よりも呉明益は丁寧に描いているように思う。例えば、先住民族の習慣に対する距離感。捕鯨やアザラシ漁に対する考え方。多くの登場人物が語る幾つもの話はどれも慣習のもたらす功利とその弊害という究極の選択の狭間で揺れる価値観を示すもの。決してそれは単純に土木工事がもたらす自然破壊を凶弾するような物語でもなく、自然回帰奨励の話でもない。

複眼人もまた架空の存在ではあるが、そのような多義的な意味を見つめる神の視点を持つ存在として描かれるのは象徴的だ。『傍観するだけで介入できない、それが私が存在する唯一の理由である』と死にゆく登場人物の一人に告げる複眼人は、必然的に一神教の神の存在を思わせる。自然の中に数多の超越的な力の存在を認める架空の島の信仰や台湾の伝統的なアニミズム的民族神話も描きながら、この架空の存在を作家が登場させる必要があったのは、自らの生に執着せざるを得ない人間に他者の存在を認めさせることが出来るのは、ひょっとすると自然信仰に根差した多神教の神々のような存在ではなく、一神教の神だけなのかも知れないと作家が捉えているからなのかと、ぼんやり考えたりもする。アルファであり同時にオメガである存在とは、全ての集合を含む集合のように矛盾した存在ではあるけれど、その不合理性を受け入れることこそ他者を認めるということの端緒なのかも知れない。

一方、多くの主人公たちのエピソードが輻輳的に語られながら物語が進行する本書には、幾つもの謎解き的な要素が含まれてもいる。その謎の一つが解ける時、読者は存在するということの意味を自身に引き寄せて今一度深く考え直すに違いない。ある意味、この一つの謎解きは(決して完全に解き明かされたとは言えないけれど)本書の後に執筆された「歩道橋の魔術師」や「自転車泥棒」に続くやや幻想的な郷愁の色濃く漂う物語と同じ趣向のエピソードだ。その根底にあるのは喪失ということへの強い抵抗であるようにも思う。思わず、「歩道橋の魔術師」の中の中華商場をジオラマで再現し続ける男のエピソードを思い出した。

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2021年10月05日

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10年前に書かれた世界がだんだん近づいてくるような、そんな近未来。にぷっかり浮かぶ小さな島ワヨワヨ島。島の神話の掟、次男は旅に出るに従ってアトレは海へ。台湾では夫と息子を探すアリスがゴミの島、渦の到来と破壊の中で、二人の世界が交差する。
環境破壊、アザラシや鯨の乱獲などの問題の他先住民の魂の拠り所、言い換えれば神の存在に触れ、そして衝撃的に感じたのは、神などいないということ。複眼人として現れる存在のあるがままの姿に、そういうものかとふに落ちた。
物語として面白く、またいろいろ考えさせられた。また表紙の絵が素晴らしい。

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2021年06月28日

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ネタバレ

海と、山と、時々ネコチャンと。遠くない未来の台湾を舞台とした喪失の物語。大学教授で物書き志望のアリスを主人公に、アトレやトム、ダフやハファイ、さらにデトレフとサラなど、たくさんの人々が渦を巻き、現実と空想との境界を越えて物語がパッチワークの様に紡がれる。海と共に生きるワヨワヨのアトレ、山に魅せられ山消えたトム。アリスはそれぞれと繋がりを持ち、そしてまた失っていく。トトも果たして…。俯瞰的な場所から複眼人の見るこの世界はどう映っているのだろうか。静かな雨の日に読みたい一冊。

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2021年06月04日

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台湾の歴史とか知っていると尚更興味深い一冊。
村上春樹が好きな人なら、ちょっといい感じの印象を持つかも。

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2021年06月01日

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前半、各登場人物たちの来し方が静かに語られる。さざなみ、ゴミを運んできた大波と共に物語が動きだす。アリス、アトレの出会い。アトレはアリスにとって夫、子の影である。自然との出会い。文字の世界(トト)からの解放。自然の子、海に帰る。
アトレ、アリスは色々意味で現実の環境問題から切り離されている、または意識していない、できない。 
他の人物の視点から地球の黄昏が各々の目の前に現れる様がわかる。終末の光景はときに美しくすら見える。ただゴミだけはその光景の邪魔をするように視界に入り続ける。情報の氾濫、物体として定まらない大量のもの、ノイズ。
複眼人、多面的世界が同時に映る映像的イメージは登場人物を超越した視点のスケールを与える。
雨雨雨

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2023年01月30日

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全体的に孤独と悲哀に満ちたイメージ。傷つきながらも前に進む人々。人類の愚かさと叡智を併記しつつ、自然破壊への警鐘を鳴らしていて、それが押しつけがましくない。静かに心に沁みる。複眼人にはきっと、様々な生命の記憶が映って見えているのだろうな。

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2021年10月27日

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幻想小説という説明だったのでそのつもりで読み始めたのだが、読み進めるうちに事実に基づいた部分も多いことが分かってきた。
いちばん幻想っぽい要素である「ゴミの島」は実在しており、過去には国連認定を受けるためのキャンペーンなども行われていたようだ。
地図でその位置を見てみると(作中では台湾だったが)位置関係からして日本の海岸に激突する日も近いのではないか、と感じた。
雨で海岸線が削られる描写なども、ここ数年の猛烈な雨に悩まされている沿岸に住む日本人なら想像しやすいと思う。どういう結末になるのか気になって時間を忘れて読んでしまった。
また、あとがきでも触れられているが、先住民族の文化について丁寧にリサーチ・翻訳されているように感じられた点もよかった。台湾の国内でどのような反響があったのか調べてみたくなる作品です。

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2021年07月01日

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太平洋の渦で集まってきたゴミが島となり、台湾の海岸に激突するところが怖かった。でもそこから、海沿いでで生きる人々の魂の救済が始まるのがとても良い!

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2021年06月20日

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ゴミでできた島が存在することを知らなかった。日々生み出す廃棄物に少しでも目を向けてみれば、それらの行き着くひとつの帰結が「海に浮かぶゴミの島」だと判るのは簡単だろうに、想像したことがなかった。怠慢だと思う。きっとこうした怠慢が無数にあり、その危うい土台の上に自分の生活が乗っかっている。小説は娯楽だが、読者の知らない世界を教えてくれるという素晴らしい効用がある。本作は私の想像力の欠如を教えてくれた。台湾という美しい島のことも教えてくれる。抹香鯨が死んでゆく場面が、複眼人の流す涙が、とても悲しかった。

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2021年06月08日

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『歩道橋の魔術師』『自転車泥棒』がとてもよかった呉明益。でもこちらはノスタルジー風味は薄く、伝説やファンタジーという感じが強い。
悲しい人ばかりだなあ。愛と喪失、生と死。つらいなあ。
「激しい雨」がでてきたか。

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2021年06月02日

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この小説をどのように評すればよいのだろう。

どこまでかは小説内の現実で、どこかは小説内の神話や童話で、どこかはたぶん小説内の登場人物の空想であったりする。
海や森、環境問題に台湾の先住民、息子を亡くした1人の母だったり、そしてワヨワヨ人に複眼人。
それぞれの領域に属する事柄が、押し寄せるゴミの渦のごとく、境界を越え出会い、時に混ざり合う。
そうやって混ざり合ったものの深みから、浮かび上がることで救われる何かがきっとある。

個人個人の苦難を克服するために、少しずつ記憶は形を変えていく。物語られていく。

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2021年04月08日

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パンチライン引用
〜人生は、いわば交換の連続なのだ。自分が持っているものと相手が持っているものとを交換する。自分の未来を差し出して、今ないものを手にする。交換を繰り返していくうちに、かつて手放したものが再び戻ってくるかもしれない。それがハファイの考えだった。〜

変わり続けるもの。文化や立場が違えば、同じ景色には映らない。その人が持つ眼によって、同じ事象でも全く違う映り方をする。

話がてんてんとして、ついていけなかった。。。過去と現在も入り乱れていて、海に浮かぶゴミの渦みたいな小説だった。

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2023年09月12日

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素敵な表紙と不思議なタイトルに一目惚れして購入。大量のゴミと環境破壊という現代の問題とファンタジーを融合させた作品で、ついつい読み込んでしまった。

物語は思いもよらない結末(しかもunhappy end)で終わっちゃってさみしい。

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2022年02月22日

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自然と人間(現代人と少数派民族)との関わりを見ていた。


p279
ひとつの種が存続できるかどうかの問題ではなく、人間がなぜ必要以上のものを手に入れようとするのか、というのが問題だ。

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2022年02月11日

Posted by ブクログ

台湾の作家・呉明益さん初読。うーん、難解な小説だった。単純に読めば、近未来の台湾を舞台にした群像劇──ということになるのだろうが、そこに盛り込まれたメッセージは膨大だ。そもそも登場人物たちに明確な関係性はなく(少なくとも登場時には)、彼らの背景にも共通点はない。まあ、群像劇ってのはそういうものだし、それぞれ興味深くはあるのだけれど。環境問題から神話までを取り込んだ摩訶不思議な物語世界を堪能した……というか翻弄された。

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2021年11月06日

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 これをSFのジャンルの作品とするなら、昨今、大陸側で話題の『三体』が思い浮かぶ。
 一方、こちら台湾の作家呉明益によるお話。同じ漢字を使う文化圏 ― 実に雑な括りだけど ― の作品として較べるなら、明らかに本作のほうが好みだ。

 冒頭、“日本の読者へ”というサービス的なパートが追加されている。その中で、人類学者のクロード・レヴィ=ストロースの言葉と、「物哀しい」という日本独特の言い回しを引き合いに、日本語の美学的な表現と、音や情景の描写の豊かさを讃えている。そして自身について、

「私は情景や五感で感じた気持ちの描写に時間をかける物書きだ」

 と語る。言葉の意味の区別に音の高低を用いる声調言語を操る中国語圏(これも雑に広い意味で)の作家が、声調言語でないが「声調文明である日本語」(byクロード・レヴィ=ストロース)に翻訳され謝意を表してくれているだけでも親近感が湧くというもの。

 お話は、神話の島から追放された少年アトレにまつわるプリミティブな寓話的なストーリーと、海洋に浮かぶ巨大なゴミの島という現代の環境問題に否応なしに思い至る仕掛けに、海と山、地震と津波といった自然現象に翻弄される大学教授の女性や台湾先住民の姿を、個々に丁寧に紡ぎ、大きなスケールで人間の運命が描かれている。

 きっちり分かりやすく起承転結があったり、原因と結果、伏線とその回収といった展開は見られないが、多くの登場人物が、同じ時間帯をそれぞれの場所で過ごす人生が、それぞれが背負った過去と共に綴られる筆致が、実に多元的なのであった。

 神話、ファンタジー、自然科学と、いくつかの要素が盛り込まれた欲張りな背景からは、ジブリ作品や、映画、幻想的な設えが村上春樹をも彷彿させる。映画は、特に、エイリアンと意思疎通を図ろうとする言語学者の奮闘を描いた『メッセージ』(ドゥニ・ビルヌーブ監督 2017US)を思い出させるのは、神話の島のからやってきたアトレと大学教授アリスが交流を図ろうとする話が、ひとつの軸として語られるからだろうか。

 最後に、Bob Dylanの”A Hard Rain’s A-Gonna Fall”が引用される。
 先日読んだ、オードリー・タンの自伝エッセイでも、最後にカナダのシンガーソングライター レナード・コーエンの「すべのてものにはヒビがある。そして、そこから光が差し込む」と言う詩の一部を引用し、ヒビ=不備、歪みの中から見出せる希望に言及していた。
 台湾では、こうした歌詞の引用で、話の印象を深める手法が一般的なのか、あるいは流行りなのか。

 “激しい雨が今にもやってくる”と、半世紀以上も前のクラシカルな曲の歌詞に、近未来の予言が含まれていたかのような思わせぶりも悪くはなかった。

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2021年06月18日

Posted by ブクログ

2021/6/4 読み終わった

地元の本屋さんで一目惚れして購入。一昨年から自分の中で続いている中華SFの延長として(これはSFではないと思うけど)。台湾の作品を初めて読んだ。
台湾には一度だけ旅行で台北市に行ったことあるけど、本作の舞台は台北ではなく台湾東部の田舎で、日本で言ったら和歌山とか四国の太平洋側ってところだろうか?読んだイメージだけど。
複眼人っていうタイトルだったから、複眼の宇宙人か何かが地球に現れて、人間と交流か何かをする話だと思っていた。全然違った。中華SF読みすぎかしら。

元大学教員の文学者兼作家の女性と、南の島から漂着した男の子が中心ではあるんだけど、それ以外にも何人かの登場人物がいて、それぞれに過去を抱えている。地域の都市化とともに生活スタイルを変えて生きてきた台湾の先住民族の男。同じく先住民族で、食事処を営んでいる女性。デンマークから台湾に移り住んだ冒険家気質の男。かつてインフラ整備のために当地を訪れたことのあるトンネル掘削の専門家。海洋環境活動家のノルウェー人女性。
物語全体に漂う無常観とか、生まれた土地や自然が移り変わっていく悲しさに乗せて、ちょっとおとぎ話みたいな、どこに向かうのかわからない文章に浸かることができる作品だと思う。

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2021年06月06日

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