あらすじ
死んだ女のことを教えてくれないか。三箇月前、自宅マンションで何者かによって殺された鹿島亜佐美。突如現れた無礼な男が、彼女のことを私に尋ねる。私は彼女の何を知っていたというのだろう。交わらない会話の先に浮かび上がるのは、人とは思えぬほどの心の昏(くら)がり。極上のベストセラー。(講談社文庫)
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Posted by ブクログ
『死ねばいいのに』
舞台を見に行くため、その前に再読。
この本がミステリだと紹介されるのがずっと不思議なんだけど、この本を「犯人は誰だ?」と考えながら読む人はいないんじゃないかな。
「死んだアサミがどんな人だったのか教えてくれ」と聞くところから始まるのに、いつの間にかアサミではなく聞かれた人物自身の醜い部分が引きずり出されていく。この会話の流れは巧みだなあ。気づいたら誰もアサミの話をしていない。
「醜いのは分かってるけど辛くて苦しくて逃げられなくてどうしようもないんだどうしろっていうんだ」と訴える彼らは、「死ねばいいのに」と言われたところで死にはしない。
しかし誰よりも不幸だったのに「ヘンテコな人生だけど幸せだ。このままずっと幸せでいたいんだけど、どうしたらいいだろう」と言ったアサミは、「そんなに幸せなら、幸せでいるうちに死ねばいいのに」と言われて呆気なく死んでしまう。
『魍魎の匣』の雨宮を思い出す。
どんな環境に身を置こうとも、それを最終的に受け入れて自分を幸福な状態に持ち上げる、狂おしいまでに現実肯定の出来る人…。
雨宮は、作中で彼岸に行ってしまった(人を辞めてしまった)男として描かれているが、アサミを殺す際のケンヤは「自分が手を掛けてるのが人間じゃなくて、何かもっと凄えものみたいな気がして来て」と怯えている。
また、アサミを模したであろう1ページ目の写真には「菩薩」と文字が入れられている。アサミが京極夏彦的に"ヒトでなし"判定なのは間違いないと思う。
やはり京極夏彦オタクとしては、"ヒトでなし"概念が大好きだし、生き残ってうだうだ苦しみ続ける人間達と悟ってさっさと死んでしまったアサミとの対比を魅せる構成の美しさに感嘆する。
死んだアサミがヒトでなしとして書かれているからこそ、「死ねばいいのに」と言われても死のうとしない奴らの、浅い欲望とか、狡さとか、都合の良さとか、そういう部分が人間らしくて、人間はそれで良い、良くないかもしれないけどそれで当たり前で、それが人間だ、というのが読者への赦しでもある。
もちろん、この本の見どころは他人の吐き出す苦しみを切り捨てていくケンヤの言葉だろうと思う。
醜くて生き汚い登場人物達はみんなどこかが私と似ていて、ケンヤに説教されるたびに心が痛み、反省する。
でも、最終的に生きているのは「何も望まなかったアサミ」ではなく「醜い欲望ばかりの人々」なのだ。
人間、自分勝手な欲望ばっかり抱えてて「足るを知る」なんてなかなか出来るもんじゃないけど、本気で「足るを知る」ができると「完全な現実肯定」ができてアサミになり、それはもはや菩薩になるということなのだろう。
それは美しいことかもしれないが、もうヒトではない。
でも幸せになれるなら菩薩になりたい気もしてしまうな…。
Posted by ブクログ
セリフが多いからか、すごく読みやすかった!
亡くなったアサミがどんな人だったのかを聞いてまわるケンヤ。言葉遣いが悪いし、どちらかといえば失礼な物言いなのに、みんなだんだん自分の気持ちをぶちまけていく。誰もアサミの話はしない。どんなに辛いか、仕方ないか、と弁解する。
じゃあ死ねばいいのに。とケンヤに言われると、は?って。弁護士さんのいうとおり死にたいとかっていうのは辛さの比喩であって、本当に死にたがってるわけではない。
でもアサミは本当に死にたがっていた。不幸というか、恵まれた生い立ちではないのに、幸せだからこそ。
それはもう人じゃない。っていうケンヤの言葉がずっしりきた。
生きるってなんだろう。
Posted by ブクログ
女性が殺害され、周囲の人間に被害者の人柄について嗅ぎ回るケンヤ。“知り合い”としか名乗らず最後の章まで正体は明かされなかった。ただ被害者の周囲の人間に被害者について尋ねるも、自らの現状や生い立ちについて語り出し、しまいには生きることが辛いという結論に各々至る。それに対し、ケンヤは「なら死ねばいいのに」と言葉を浴びせる。
結果的に女性を殺した犯人であるのはケンヤだが、肉体関係を持っていた上司や度を超えた誹謗中傷をしていた隣人など、被害者を自らの欠点のかき消しのために利用していたりと、人間の暗い部分が浮き彫りになっていた。やはり人間関係では皆相手のことを見ているようで、自分が最優先なのだと、また善良な一般市民だと謳いたいだけなのかもしれないと思った。
Posted by ブクログ
死んだ女の、上司隣人彼氏母親警察…
「アサミの事を教えて」と尋ねてきた男に語られる話
死人に口無しという言葉のリアリティをひしひしと感じ、恐ろしくなった。
面白いのが、読んでいて犯人は誰なんだ?と推理するような気持ちにあまりならないところ。
京極夏彦ワールドに引き込まれるというか、場面を追って、言葉を咀嚼して行くうちにどんどん物語が進んでいく。
この感覚が好きなのだと、思いだした。
この世の分かりきったことなどないと意識しながら生きていこうと思う。
ケンヤが俺はバカだからなどと何回も口にする度に、何を口に出しても自分を否定されない免罪符を得ているのではないかと考えてしまった私は、もう既に作中の皆と似たような頭をしているのなもしれない。
そして、辻村深月の解説もとても良かった。
「大人に軽くいう事を禁じられた「死ねば良いのに」は、本来軽くしか言ってはいけない言葉」
という一節がとても心の残った。
まぁ、軽くとも言ってはいけないのだろうが。
Posted by ブクログ
アサミのことが知りたいというケンヤ。
会社の上司、恋人、隣人、母親等々、一人一人に会いに行く。
誰も彼女のことをくわしく語らない、分かっていない。
彼女の話よりも自分の置かれた状況、愚痴、不平不満が止まらない。
そこでケンヤがいい放つ「死ねばいいのに」。
ケンヤが、相手の本質をとらえる。
ハッとする、ゾクッとする。
ケンヤに知られていないと思っていたことを突っ込まれると本性をあらわす。
一気読み。
なぜアサミは、殺されたのか、彼女はどんな女性だったのか。
Posted by ブクログ
【2023年14冊目】
「死ねばいいのに」
ともすれば、ものすごい悪口である。悪意100%である。タイトルにもなっているこの言葉は、物語の章が変わる度に必ず発せられる言葉だ。けれど、それを発するケンヤという男は何も相手を不快にさせようと思って言っているのではない。
死んだ女、鹿島亜佐美について何一つ知らないから教えてくれと、話を聞きに行くケンヤの先々には様々な相手がいる。不倫相手、隣人、ヤクザ、実の母親、警察官――亜佐美の話を聞きに行っているのに、なぜか彼らは自分のことばかり話すのだ。だからケンヤは話を聞いた上で結論付ける。
死ねばいいのにと。
言われた相手は皆一様な反応を見せる。だが、「はい、じゃあ死にます」とはならない。普通だ、それが普通の反応の筈なのだ、なのに。
ケンヤの言うことは1人目から最後まで至極真っ当で、そうだそうだと思いながら読みつつも、かと言って話を聞きに行った相手が特別変なことを言っている訳ではない。ただ、視点が亜佐美ではなく、自分の世界だけに向いているだけ。だから、その目線でしか話せない。いつの間にか愚痴になっている。でも死ぬほど辛いわけでもない。
恐ろしいのが登場人物誰一人として辛いから死にたいと思っていたわけではないというところです。そりゃあ、わからないと思う、話も聞きたいと思う。でも死人に口なし。最後の最後でケンヤが笑うんですけど、やっと理解できることを言われた=自分の罪っていうのが何とも。
改めて京極夏彦さんは恐ろしい作家だなと思いました。解説が辻村深月さんというのがまた。
初読:2012年11月1日以前
Posted by ブクログ
なんてこったい。
辻村美月さんが崇拝されていたので読みました。
ほとんどが会話で構成され、章毎にひと段落するので読み進めやすい。が、愚痴だらけで気分が悪くなる、でもケンヤの言葉にハッとするのは読者も同じなのでは。敢えてともみえる難しい漢字とガラの悪い話言葉の入り混じりや、立場が逆転を繰り返すのが斬新で面白かった。著者の意図を考えるのが楽しい1冊。
文庫でなく、単行本の装丁がとてもいい。異常で神聖な雰囲気すらある威圧感が合っていた。
Posted by ブクログ
タイトルからしてインパクト抜群。
関係者がアサミについて話すことが、理屈と言い訳じみていて、最初怒りが沸いてきた。それぞれの抱える事情、言い分がどこかしら自分にもあてはまるような気もして、渡来がの存在がだんだん怖くなってくる。
死ねばいいのに、なんて言葉を聞いたらぎょっとするけど、渡来健也というキャラがこのノリで言う言葉だからこそ、すっと胸に入りこんでしまってそこから重みのある毒としてじわじわと刺さってしまうんだろうなと思った。
結局一番自分に正直な人は殺されたアサミなんだろうなと思う。
いくら境遇が不幸に見えても幸せだったのかもしれないし、幸せだったと言っても、本当のところは本人にしかわからない。
最後の最後までどういう動機なのか全く読めないミステリーだった。