あらすじ
■ナルシシズムの悪魔、マキャベリズムの悪魔、サイコパシーの悪魔…
3人の悪魔は、私たちを成功に導き、あるいは破滅させる
本書は、心理学において現在進行形で活発に研究が進められている
最新テーマの1つ「ダークトライアド」の心理・行動パターンとの関連を一般向けに解説している。
■ダークトライアドとはナルシシズム、マキャベリズム、
サイコパシーの3つのパーソナリティの総称で、しばしば三角形で表現される。
自己中心的で他者操作的、かつ共感性の欠如などが共通した特徴。
セクハラ、パワハラ、裏切り、嘘、マウンティング……私たちは人間関係を通して
さまざまな嫌な思いをし、もしかしたらさせているかもしれない。
その根底には、このダークトライアドが潜んでいるのだ。
このように、ダークトライアドは共に力を合わせて営むべき我々人間社会にとっては
望ましくないかもしれないが、一方で個人の人生をより豊かにするにはこうした性質も必要になる場合があるという。
これは誰もが持っている邪悪なパーソナリティなのか?
相手や自分の中の“悪魔”を飼いならす方法はあるのか?
さらに、「4人目の悪魔」サディズムとは?
■こういう人、身近にいないだろうか?あるいは自身の行動に身に覚えはあるだろうか?
平気で嘘をつく/自身が「HSP」であると自己呈示する/ネットで誹謗中傷を繰り返す/
マウンティングをとる/リーダー的立場につくことが多い/パワハラやモラハラをする/
寝取り寝取られ経験が多い/セフレがいる/男女ともに反フェミニズム傾向/第一印象はよかったが……...etc.
■こんな人に読んでほしい!
●他人や自分に振り回されて心が疲弊している人(エキセントリックな性格の人が身近にいる人、
自分のなかの望ましくない感情を自覚している人、いつも遠慮して損ばかりしていると感じている人)。
●「サイコパス」など、人の心の闇に関心がある心理学好き。
■目次
まえがき より豊かな生活を送るために、あえてダークな心を覗き込む
第1章 そもそもダークトライアドとは何か?
第2章 3人の悪魔とその仮面の下
第3章 悪魔合体した一体の悪魔ダークトライアド
第4章 4人目の悪魔?サディズムについて
第5章 他人や自分の悪魔の見抜き方
第6章 悪魔の飼い慣らし方
あとがき 異なった意味で言葉が独り歩きしないために
感情タグBEST3
Posted by ブクログ
悪魔とは何か。正義とは何かという創作物語の対局にあるが、刷り込まれた感情と直結するイメージの中で、悲しみや悔しさ、憎しみに繋がるもの。「殺しの行為」を悪魔と呼ぶか、ヒーローと呼ぶか、結局は「文脈や物語」次第だ。かわいい子熊を殺したと言えば悪魔っぽいが、人食い熊を殺したと言えばヒーローだ。同様に、ヒトラーを処刑できたのならヒーロー扱いだっただろう。その点で、この世界は文脈を頼りにした集団催眠の状態にある。メディアからの情報を教育されたOSによって選別し、その認識を頼りに日々手探りしている。
ダークトライアドは人間に備わる〝悪魔的性質“で、ナルシストやマキャベリアン、サイコパシーがそれに当たるのだと本書はいう。しかし、人間に悪魔が定義できるだろうか。
恐らく、人間には正義も悪魔も定義できはしない。昨日殺した可愛い牛の親子を美味しく頂いて、テレビを見て戦争による被害者に同情した後で、スマホでお笑い動画を見る。それっぽい正義に浸って自らを正当化した後で、あの政党は本当に徴兵制を主張しないか、調べ始める。外国人が日本を食い物にするのは許せない。どう食い物にされたのか、肌感覚での実感がないままに、全てが嘘くさい正義感だ。
美しい自分。ダークトライアドが高い人は、レイプを正当化するという。だが、正当化とは、自分自身を許す事でしかなく、そこに客観的正当性はない。つまり、本来正義とは客観的評価、悪魔もまた他者による評価を要するのである。対して正当化とは、自分勝手な文脈という事だ。共有できぬ文脈こそ、物語における悲劇に他ならない。
評価軸の共有を否定しては、社会秩序は形成されない。他者との比較にこそ、関係性の原点がある。そして、比較には評価が必要である。評価ゆえの良し悪し、正義と悪魔。評価基準としての他者の視点。悪魔は、相手の価値観を飲み込み、いつでも正義に化ける怖さがある。
― 化ける怖さ。
ある日、目を覚ますと、日本は正義から悪魔に変わっている。道徳的に生きてきたはずの日常が、侵略を防ぐために憎しみ合い、奪い合う世界へ。相手の価値観に飲み込まれ、弱者から、悪魔へ仕立て上げられる。
ダークトライアドに最も近い存在があるとすれば、相手を飲み込もうとする派閥や国家ではあるまいか。民主主義の危険性が見え隠れする。