【感想・ネタバレ】古今妖怪累累(るいるい)-湯本豪一コレクション-のレビュー

あらすじ

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まだまだ魅せます、湯本豪一コレクションの深い妖怪愛。

古くは江戸時代に描かれた妖怪から、新しくは昭和の懐かしい妖怪まで古今津々浦々から、ぞくぞくと集結!前作『今昔妖怪大鑑』収録には、うっかり間に合わなかった妖怪たちの大舞台『古今妖怪纍纍(るいるい)』、いよいよ幕開けです。長らく秘蔵された初公開の妖怪は150体以上!

※電子版は紙版のP168-P171を掲載しておりませんが予めご了承ください。

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言語:日英バイリンガル
著者:湯本豪一

収録作品の種類:絵巻・掛軸・絵馬・納札・浮世絵版画・版本冊子・木彫・着物・刺子半纏・帯・印籠・根付・鍔・小柄・煙管・陶磁器・人形・変わり絵・かるた・双六・神戸人形・シール・雑誌など【湯本豪一コレクションとは】約3000点からなる日本最大の妖怪コレクション。時代は近世から現代まで、ジャンルは肉筆画から玩具まで、深い妖怪愛に支えられた幅広い一大コレクションです。2018年度広島県三次市にオープンする「(仮称)湯本豪一記念日本妖怪博物館開館(三次もののけミュージアム)」に寄贈され、公開される予定です。

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Posted by ブクログ

たっぷりと内容充実、特に立像と坐像や焼き物などが興味深った。大変素晴らしいコレクションです。MUST

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2017年09月04日

Posted by ブクログ

旅レポートになっています。三次の旅2日目は、三次もののけ探訪である。とは言っても、歩いていると路地裏から妖怪が出てきそうな家がたくさんあるとか、そういう場所では全然なくて、ひとえに日本の妖怪博物館としては最大級、最高質の「三次もののけミュージアム」があるというのが来三次の大きな理由。

何故三次にそんなものが約4年前にオープンしたのかというと、日本屈指の妖怪コレクター湯本豪一さんのコレクションが一括三次市に贈呈されたからである。何故彼が三次市を選んだかというと、ここは『稲生物怪録(いのうもののけろく)』の舞台であったから。「稲生物怪録」とは、江戸時代に実在した広島藩士の稲生武太夫が平太郎と名乗っていた少年時代に30日間に渡って現れる様々な妖怪や怪異に耐え抜いたとされる物語。その最古の写本や絵巻物と、3000点にも及ぶ湯本コレクションが合わされば、物凄い博物館が出来る!とおそらく湯本さんは思ったのでしょう。本書は、そのコレクションの代表的なものを大判オールカラーで載せている。そのまま、ミュージアムの常設展示室ガイドブックになっているだろう。

ミュージアムは2回目の訪問。今回は「チームラボ妖怪遊園地」に参加した。子供用の体験展示だと侮ることなかれ。とっても興味深かった。妖怪たちをクレヨンで色付けをすると、それをスキャンして、スクリーンに自分の描いた妖怪が、その色のままで、なんと立体で登場して動いたり踊ったりするのである。6種類ぐらいの妖怪・子供が、画面の中所狭しと動き回る。ビックリするのは、同じ原画を色付けしただけなのに、一つとして同じ妖怪がいない。個性的な色付けで全く違う生き物になっている。不思議な生き物たちが生きている。あゝこうやって異界の者達は出現するのか!という感動があるのです。

「妖怪」という言葉が普及したのは明治時代からです(井上円了や柳田國男の影響)。それ以前は「もののけ」と言われていました。‥‥いかん、展示内容のことを書き出すと、物凄く長くなるので、是非本書を読んで見て下さい。でも、一つ二つだけ。日本の妖怪はもともとは中国の「山海記」などを参考にしていた。やがては日本独自の発達を遂げる。人の「想像力」の無限さをつくづく思う。また、湯本コレクションの中で有名なもので、木製の妖怪像136体があるのですが、今回企画展で、それが一堂に集まった。馬の顔、I本角、2本角、のっぺらぼう、人食い婆婆、二つ頭‥‥ポスターには、前回の企画展の人気投票一位が前面に出ているけど、今回も人気投票をしていた。私は二つ頭を選びました。

そのあと、三次城下町をぶらぶら。辻村寿三郎人形館(旧三次市歴史民俗資料館)にはいると、人形しかなかった。しかも少ない(八犬伝の玉梓などはいた)。唯一面白かったのは、元銀行だったので、廊下の壁に金庫の扉が付いていたこと。

三次の町を歩いて、思ったほど昔の佇まいは残っていなかった。

比熊山に登った。見事な円錐形、小降りのお茶碗を逆さにしたような形の山、見たら誰でも「只者じゃない」と思う山、「稲生物怪録」で稲生平太郎が肝試しのために登り、そこから怪異が起き出した曰く付きの山、現代でも麓に寺や神社が5つもあって三次のシンボルとなっている山、頂上には「たたり石」があるという。神籠系の石と言われ決して動かしてはいけないという伝説がある山。
‥‥決まりでしょ!この山は弥生時代から、明らかに神奈備山として聖なる山だった、と思う。ところが、弥生時代の遺跡は一切見つかっていない。登り口を人に訊きながら、なんとか約1時間かけて登った。頂上には展望台はないけど、青いベンチがあり、木を切り倒して三次城下町を一望できるように努力してくれていた。折から晴天、素晴らしい景色。「たたり石」には触ると祟りがあるという説明板があった。思ったよりは小さい。少なくとも、磐座(いわくら)という聖なる石として、起源は縄文時代にたどるだろう。この頂上には、戦国時代三吉氏の山城があった。だとすると、弥生墳丘墓などは全て壊されている可能性が高い。ただ、ここを山城に据えたい気持ちはよくわかる。三つの川の結節点、やがては三次藩の城下町となる家々が一望、正に山城のためにあるような立地なのである。江の川、西城川、馬洗川に囲まれた町をいつまでも眺めていたかった。

そういうわけにもいかないので、山を降りた。神廻町のワニ(鮫)料理のフジタフーズでワニガンスとワニプリンを買い、三次ワイナリーで霧里ワインを買ってホテルでこれを書きながらグダグダした。

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2022年05月23日

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