あらすじ
わたしたちが日々意識せずにおこなう「他者といる技法」。そのすばらしさや正しさだけでなく、苦しみや悪も含めて、できるかぎり透明に描くにはどうしたらよいか──。思いやりとかげぐち、親と子のコミュニケーション、「外国人」の語られ方、マナーを守ることといった様々な技法から浮かび上がるのは、〈承認と葛藤の体系としての社会〉と〈私〉との間の、複雑な相互関係だ。ときに危険で不気味な存在にもなる他者とともにいる、そうした社会と私自身を問いつづけるための、数々の道具を提供する書。
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Posted by ブクログ
「わからない他者」とわかり合おうとしないで、一緒にいる技法は、質問しあい、説明しあい、話し合うこと。
わかりあえず、愛し合えないから、一緒にいられなくなったり、殴り合う事なく、ただ一緒にいることもできる。
それが他者といることをもっと豊かにする。
目から鱗。
Posted by ブクログ
レインやゴフマン、ベイトソンやブルデューなどを引用しつつ、コミュニケーションの素晴らしさと苦しさが論じられる。社会というのは素晴らしくもあり、困難を抱えているものでもある。他者とは、わかりあえることもあり、わかりあえないこともある。無理に十全にわかりあおうとすると、それは他者に対し、自分と完全に一致する人格であることを求めることになり、容易に差別や暴力へと転じる。けっしてわかりあえない他者とともに過ごすことが、すなわち生きるということだ。親本が出たのは一九九八年だが、第5章「非難の語彙、あるいは市民社会の境界‐自己啓発セミナーにかんする雑誌記事の分析‐」(pp195-252)は今でもよくみる光景であるし、第3章「外国人は『どのような人』なのか」(pp111-151)は外国人排斥の言説が跋扈する二〇二五年現在、古びるどころか重要さを増している。
Posted by ブクログ
面白い視点が多かった
全体的に色々な考え方?の光と影に注目していると思った
一般的に良さそうな考え方や行動にも悪い部分があるが、良いと思い込んでいるのでそこを無視してしまう事が多いと感じる
これに警鐘を鳴らしているのかなと思う
Posted by ブクログ
傑作だと思う
私達が日常的に行っている「技法」を言語化することで、それだけでは対処しきれない「異質なまま他者と共存する技法」へと議論を開かせていく
人間は「わかる」部分に着地しがちだが、「わからない」まま過ごすのも悪くないのかもしれない
1章で提起されてそれ以降全章を貫く概念として著者独自の〈承認と葛藤の体系としての社会〉があり、その社会の元である〈力〉を持った他者を適切に制御するノウハウとして「技法」が存在するという
何処から読んでも良いらしいが、個人的には1章を初めに読んで欲しい
弱い立場にいる他者の心象とその構造をゴフマンやレインなどの文献を引いて淡々と、しかし彼らに寄り添った描き口で描いているところにボクも安らぎを覚えた
少し落ち込んでる時に読むと自分を客観的に観て解決(寛解)に近づけられるかもしれない
Posted by ブクログ
思いやりやかげぐち、他者による承認や否定といった日常的なコミュニケーションの背後にある力関係の構造やそれに対処する私たちの様々な「技法」について思考したり、外国人や自己啓発セミナーなどの理解が難しいものへの理解の枠組みの作られ方をメディア報道から考えたり、複数の観点から他者を理解することや理解されることについて考察されていく。「わからないままでともにいる」ことの模索が提示されるというひとまずの結論は最近ではネガティブケイパビリティなどの概念としても重要性が認められるようになっている態度だと思うが、本書の単行本は1998年刊行ということでかなり時期が早い。今読むべきものということで2024年に文庫化してくるちくま学芸文庫、さすがに良い。
それにしても関心のあるテーマ読んでるとだいたいゴッフマンが出てくる。いい加減読んだ方がいいんだろうなぁ。
Posted by ブクログ
この本が1998年に発刊されていること、この2024年に文庫版が発刊されたことの意味を考えています。
他者といる技法について、「理解」の限界とその先にあるコミュニケーションの可能性について示されている。他者といるというその手法について様々な論点から整理されていて、少し前の本ながら読みやすい。
個人的には、本を読み進めながら筆者の案内に沿って共に検討を進めていったその体験に価値があるなと感じました。おすすめです。
Posted by ブクログ
読みやすくて面白かった。考えが割と合うからか、こういう本にしては珍しく、メモ取りながらでもスルスル読めた。
ちょっと机上の空論じゃないか、根拠が弱くないか、と思う点もあったし、理解以外の「他者といる技法」について、明白な答えが出たとは思わない。でも、わからなさを前提として、一緒にいるためにはどうしたらいいか、はやっぱり考えていきたいし、そのきっかけにはなると思う。
Posted by ブクログ
『他者といる技法』という刺激的なタイトル。文庫になる前の書籍は1998年に刊行されているのが驚きだった。
社会の分断が叫ばれている現在、このような心の営みを考える本は大変興味深い。
リスペクタビリティに対するゆとり、無視、気後れの3つの対応とその先にある病が記憶に残った。心理学と社会学の接点にある論考だと感じる。
Posted by ブクログ
「本当はそんな事思っていないって知っているのよ」「カワイソウな外国人就学生」「もっと他者を理解することが大事」…一見するとこれを発する人は善人に見えるけれど、理解するという事のマイナスな面が実はある…目から鱗でした。
Posted by ブクログ
他者とコミュニケーションが取りたいという思いは,私の存在を他者から承認されたいという欲求からくる。また,コミュニケーションにおいて,他者に主体を取られたくない。そのため,一般にコミュニケーションとは礼節やマナーなどの交換にとどまり,それぞれの個としての理解には及ばない。
さらに,他者は完全には理解できないのに,他者を完全に理解したとする自己完結や,理解できないことがわかったことによる排除・差別などが起こってしまう。
他者といる技法とは,完全には理解できない他者に対して,適切な程度でわかろうとする態度をとることで,ともにいられる状態を維持し続けることである。
Posted by ブクログ
いつもこういう類の本は最初真剣に読むけどだんだんわからなくなって字追ってるだけになるので、今回は時間をかけてゆっくり読んでみた。
結果、やっぱわからないところは多かった、、
かなり学術的な内容だった。
相手のことがわからないことは当たり前、自分のことを(ある程度)理解してもらえないのも当たり前だと思うと、気持ちはちょっと楽になる。
Posted by ブクログ
タイトルが気になって、ネットで注文。
届くのに時間がかかった。人気なのだろうか。
読むのに体力がいる本だった。
けれど、新しい視点がたくさん。
陰口が「思いやり体系」を壊さないためのものだったり、中間階級は大変だったり。
一貫したことを突きつめる内容ではなく、章ごとに別なテーマを取り扱っている。
でも結局は「わかることよりも、わからないまま一緒にいられる技法が大事」ということみたい。
Posted by ブクログ
終始「確かにー」って思いながら読んだ。特に個人的に4章のリスペクタビリティの病はためになることが多かった。世界中ほとんどの人がここで言われる中産階級に属しているだろうからみんな同じような病抱えてるんだろうなって思った。
Posted by ブクログ
興味があったのは二章と四章
他者との関係性において自身の理想が高すぎると自身・他者に求める規律が多すぎて、かえって自己破壊を招く。適度にほどほどに。
ゆとりと無視と気後れ、という心の佇まいは強く実感する。例えばそれはおしゃれな街の古着屋や雑貨店に入るとき、どうしょうもないほどに場違いな雰囲気、視線。空気にのみ込まれてろくに見たりせず店を出る。あの感覚。
そしてこれまでをふまえて、じゃあどないすりゃええんに対するアンサーが、最後の章で語られる。
一言で言えば、他者と私は別物だということを認識し、つまるところあなたとわたしは理解し合えないということを前提につきあっていくということになる。
その距離感でよいのです、とのことだそうですよ