あらすじ
『たぶんみんなは知らないこと』で野間児童文芸賞、『ふたり』が読書感想文課題図書、『香菜とななつの秘密』が児童福祉文化財に選出など、特別支援学校での教師、作家として活躍してきた福田隆浩氏。厳しいテーマでも一気に引き込まれる作風で、今作も温かい感動作品となっています。※※このまま家にいると、ぼくは目を覚ましたふたりと顔をあわせることになる。気にしなければいいのかもしれない。でも、母さんはあの男のそばにずっといるだろうし、そしたらぼくはいつも以上にばかみたいにから元気だして、おかしくもないのに笑わなくちゃいけなくなる。それはやっぱりいやだった。じゃあ学校にいこうと思った。だって今のぼくには、もうあそこしか行き場所がなかったから。(本文より。)
※※最初の数ページですっかり物語に入り込んだ。「ネグレクト」「いじめ」「学習障害」といった重たいテーマを散りばめながらも、その重さは全く感じられない。むしろ、愛情と優しさに満ちた物語のように思えた。「ぼく」が最後に選ぶ道はそんな状況にある子ども達もそうあって欲しいと願わずにはいられない。作者の福田隆浩さんの子どもを見る目は偽りのない確かさがある。素晴らしい作品だった。/ 主人公は小学六年生。荒廃した家庭で諦めることに慣れきってしまった彼が、心のよりどころとなる存在を見いだし、そこに救いを求めていきます。いじめられていた彼が教室の空気を一変させる場面、カッコええわ~。このときの先生のさり気ないゼスチャーも超ナイス!徹底してぶれない少女の気高さにも心を打たれましたよ。この作品、胸に迫ってくる衝撃が尋常じゃないです。気づけば少年がつらさから少しでも解放されるよう、ひたすら願っていました。親ガチャ、ネグレクト、いじめ、LDなど軽くはないテーマを扱っていながら思い切り爽やかな終幕でしたね。大人でも心を震わせてしまう稀有な児童書。これは間違いなく子どもたちにも刺さると思いますよ。(対象年齢は10歳半以上かな?)/一気に読まずにはいられない作品でした。私も学校に勤務していた経験がありますが、実際に主人公の少年のような子どもたちはいます。とてもリアルに、そして誠実に書かれていて、ラストは涙が止まりませんでした。この作品に出会えたことに感謝いたします。/とてもとても重いテーマが扱われているけれど、読みやすくすっきりした文章がすっと自分のなかに溶けていきました。希望を持てるラストに胸が熱くなった。/あなたもミイラ男と出会うかもしれない。居場所がないと感じている子供にも大人にも読んでほしい物語だ。/卒業制作の下絵のエピソードや、工藤さんとの関わりなと、気持ちが明るくなる部分もありました。アキトの未来に希望が見えるラストでよかった。/後半は涙なしには読めませんでした(皆様のレビューより)
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Posted by ブクログ
小6男子、シングルマザー、貧困、そして学校でも自信がなくて居場所がない。そんな主人公が教材室で謎のミイラ男と出会う。ミイラ男が特別な力を使って主人公を助けるなんてことはない。だから、リアルで、どんどん読み進めた。黒板に絵を描くシーンは圧倒的。そして事実が明らかになってからの福祉の動きや学校の動きがきれい事ではなくて胸をうった。それにしても、ミイラ男とは何者だったのか、ネタバレ感想ではあっさりと記載されているけれど、物語内ではそんなことは書かれていない。もっと違う何かだったのかもとついつい考えてしまう。苦しみを抱えつつ懸命に生きている子どもたちへ届いて欲しいと切に思った。
Posted by ブクログ
野間児童文芸賞受賞後の作品。前作とはちがう雰囲気にとまどったが、読み出すと一気にひきこまれた。シビアな展開だけど、自分の同級生もこんな感じだったし、決して特別なことではないと思う。強く印象に残ったのはミイラ男の詳細でリアルな描写、そして、中盤の黒板絵のシーン。いじめがそこで大逆転したので正直ほっとした。それにラスト近くで主人公のアキトがはじめて涙を流すシーン。さすがにもらい泣きしてしまった。子どもは大人以上にタフで未来に希望を抱くことができる。頑張れ、アキト! と心から願った。
Posted by ブクログ
ネグレクトされている六年生の話。工藤さん、すごい。こんなにしっかりした人、大人でもなかなかいないかも。アキトもお母さんも幸せになれますように。
Posted by ブクログ
福田先生の本を読むのは初めて。
本作では「ネグレクト」「精神面で未熟なシングルマザー家庭」「貧困」「学習障害」などがテーマになっている。
それらを全部小さな体で抱える男の子が主人公だ。
素直がゆえ、全てを受け止めてしまう姿が痛々しい。
明日を生きるため理不尽な全てに未熟な防衛本能フル回転で立ち向かい、「お母さん大好き」という気持ちと「しょうがないんだ、これが僕の人生なんだ」という納得と諦念の繰り返しで日々を暮らしている。
学校で見える緑色をした化け物(「ミイラ男」と名付ける)を縁(よすが)としている。
どん底まで落ちた命すら危険だったラストは希望が見え、少年は自分には実は色んな選択肢があり、その先の未来で絶望を知った元少年たちも色んな生き方をきっとしていて命は続いていて、だから生きていていいんだと思えるような展開になっている。
彼の未熟だった母親も少しずつ変わろうとはしている(現実的にはどうなるかはわからないが)。
そこでつい思ってしまう。
どうして児童文学の多くは、最後になって急スピードでの主人公の納得、大団円、ハッピーエンドみたいな展開になるんだろうか…
寄り添われていると思っていたものにそこで突然突き放されたような気がして、線を引かれたような気がして、自分はすぐに児童文学からは離れてしまった子供時代だったのでついひねくれてしまう。
でもハッピー展開がなければ、目に見える大きな救いがなければ、純粋な子供たちの先には純粋がゆえにすぐに単純に死の影が生まれ、そしてそれにとりつかれてしまう気がするので、それが結果的にページ数の都合的に始まる急速な大団円であっても正しいんだろう。
しかし本当に見せてほしいのは、大きな出来事が小さな子供の人生を浚ったあとであり、この先にはどんな未来が広がっていて、どんな救いがあって、そこにはどんな困難があって、これまでの苦しみのどんな部分が自分を救ってくれるのか――そういったことのような気がする。
そこでようやく、どうやら自分の人生も、自分さえしかるべきところへ手を伸ばせば、その手を取ってくれる誰かがいるのかもしれないと具体的に現実的に思わせてくれることが兆しに繋がるのではないか。
本作には上記で挙げたテーマの辛辣さ、それらに翻弄される少年の生活や思考があまりに凄惨なため、そればかりが独り歩きしてしまい、「本当の救済」が欠けていると思う。
まず実際、子供のころの自分が、子供では解決できない問題の中心にいたときにはそんな自分の境遇に似通った本など手に取らなかった。
裏切られることを知っているからだし、自分が本当に「そういう子」だと認めたくない気持ちが混在しているからだ。
だから手に取るのは健康な、元気な、本好きの子だったとして、その子たちは本作を読んでどのような感想を持つのだろう。
願わくば、助けてあげたいなどと思わないでほしい。
結局何もできない、できることなどそもそもない、だけどひとつだけ、自分と「その子」との間に線を引かない、それだけなら出来る。
そんな感想でいいから持ってくれる子が増えたらいいなと、以前解決できない問題を抱えていた子供だったわたしは思うのである。
そうすると必ず、幸福だったあなたにこそ見えて、出来ることがあると思うからです。