あらすじ
吃音で「いらっしゃいませ」、メニュー、代金が言えず、接客アルバイトを諦めてきた若者がいる。人と話したいけど言葉がうまく出てこない――そんな若者たちが、奇想天外な1Dayカフェを始めた。発起人は、自身も吃音症で夢に蓋をしてきた奥村安莉沙。言葉をめぐる冒険、急がない幸福。エッセイの名手・大平一枝が紡ぐ温かな感動ノンフィクション。
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Posted by ブクログ
「注文に時間のかかるカフェ(以下、注カフェ)」発起人である吃音のある女性への取材内容を中心に、吃音と吃音のある人々の苦労や想い、注カフェの取り組みについて綴られたノンフィクション作品。
会話をするとき、吃音のない人でも言葉に詰まることはある。吃音のある人は言葉に詰まることが人より多い、その程度の認識だった。
しかし本書を読み、私の吃音に対する認識は誤りで、想像以上の苦悩に衝撃を受けた。
まず、吃音のある人の多くが孤独を感じていること。吃音であることを周囲に言い出せないというパターンはもちろんだが、吃音に関するデマや偏見から、家族の間ですら吃音を話題にしない場合があることに驚いた。
そして、子どもの頃に話し方をからかわれたり、いじめられた経験から、社会不安障害や対人恐怖症等を発症してしまうこともあるということ。
吃音の症状は様々で軽重があるとはいえ、人生における大きなハンディキャップになり得るとは思いもしなかった。
一方、注カフェという取り組みが、吃音のある若者達に大きな勇気と自信を持つきっかけになっていることを知った。カフェの店員をやるという挑戦が体験者に劇的な変化をもたらすのは、準備段階から体験当日まで、店員をやると決めた子達へ細やかな心のケアを行う、発起人の奥村安莉沙さんの働きの賜物であるように感じた。
読みやすい文章であっという間に読み終えた。
吃音について少しでも知ることができ、本書を手に取って良かった。
Posted by ブクログ
これまで吃音障害にあまり関心を払ってこなかった。それは当事者が隠していたり、自分にとって苦手な発音を避け言い換えていたりしていたから。
吃音への誤解や偏見に胸がふさがる。
ただ人によりタイプがあること、どうしてほしいか望む対応も違うことなどデリケートな問題なので近くにいたとして適切な対応ができる自信がない。
カフェで各自がマスクに
話すのは苦手だが喋るのは好きなので話しかけてください
どもっても待ってください
最後まで聞いてください
推測して代わりに言ってほしい
などメッセージを書いたエピソードがとても素敵だと思った。
内部障害の人が赤いマークを付けたりするように自然に伝える仕組みって大切だ。察してもらえなくても気づいてくれる人は少数ながらいるはずだから。
Posted by ブクログ
文句なしの⭐︎5
大平さんは子育てのWEB連載(後に『新米母は各駅停車でだんだん本物の母になっていく』として単行本化)に救われて以来、勝手にメンターのように感じているが、それを差し引いても本当に読んでよかった。
吃音の当事者が各地の吃音の若者と不定期に開催するカフェのドキュメンタリー。
吃音という症状があることは知っていたが、当事者の悩みがここまで深いと考えたことがなかったし、どのように接して欲しいか理解が深まった。
この本を読まなかったら、出会った時に「ゆっくりでいいよ」「落ち着いて」と言ってしまってたと思う。
もちろんそういう実用の部分だけでなく、わかりやすい感動やお涙頂戴になってないところ、気遣いやお節介、迷いや反省、そういうところが大平さんならではで、書くものって人柄が現れるんだなと強く感じた。
この年になると影響を受ける、新しいことを知ることがなかなかなくなってくるが、そういう経験としてもよかった。
ぜひ幅広く読まれてほしい。
Posted by ブクログ
以前TVニュースで注カフェを見たことがありますが、真剣にはみておらず、吃音の事もさほど重くは受け止めていませんでした。
奥原さんや当事者の方たちの見えない奥深い苦悩の数々、愛美さんや参加者の成長の様子に胸がギュッとなりました。思わず涙。大平さんの距離感を保ちつつ優しい眼差しのように寄り添う文章が好きです。沈黙、間、待つ、忘れがちな時間です。
Posted by ブクログ
私は吃音者です。だからこそ読んでいる間、出てくる若者たちが訴える苦悩や願望に、共感の叫びが絶えなかった。
取材をした 大平さんの、注カフェ店員の若者たちへの寄り添い方がやさしい。
老婆心ながら、 などと言っているが、それは本心からとっさの言動なのだろう。
注カフェを発起させた奥村さんもとてつもない大きなモチベーションのある方で、仕事を辞めて活動に注力する情熱。「自分が経験した苦しさを、これからの若者には味わって欲しくない」
と。彼女の本気さ感じた。
また、大平さんは以前 相手の話を聞いていることをアピールするために無意味な相槌を何度もついていたり、言葉の先取りをしていたそうだが、
そのような行動は吃音者には禁忌で、かえって焦られてしまいストレスを与えるばかりだということを知ってからは、
「相手(の言葉)を待てるようになった」P234
で語っている。
待つからこそ、聞ける本音がある。
その通りだ。
私たち吃音者は、沈黙を恐れる。
言葉が喉や舌に貼り付き、根を生やし、呻き声しか出ない苦しいあの瞬間。
無理やり言葉を言おうとするも、空気しか出ず、苦しさに表情が歪む。そのみっともなさ、情けない自分に嫌悪感。
とっさに言いやすい言葉に変換しようものにも、挨拶などの定型文だと言い換えができない。
そんな、「外から見えにくい苦労」を抱えた吃音を持つ若者たちが、安心して、接客できる カフェ。
彼らも日々周りからの偏見や誤解に晒され、心をすり減らして生きているのだろう。
だからこそ、何の心配もする必要のない場を求めていたんだな。
注カフェ、そこはなんてやさしさに溢れた場所なのだろうと。
自分も高校生なら参加したかった!(いま32歳・・・)と思いながら、本を閉じた。
Posted by ブクログ
本書は"吃音"をもつ言葉が流暢に話せないカフェ「注文に時間がかかるカフェ」の非当事者視点で書かれたルポです。
当事者ではない視点から語られる話は吃音を知らない、名前だけは知っているという方にとって伝わりやすい内容かと思います。
純粋な若者の夢を見つめる気持ち、私達が何気なく話している言葉の重みが詰まっています
新しい視点から言葉、コミュニケーションが観られる良書です。
Posted by ブクログ
学校に勤務していますが、本当にここまで吃音への理解がなくその子を追い詰めるような現場はあってはいけない。どれほど子供達の心に傷をつけ、その傷は大人になっても降りかかる。
注カフェで同じ悩みを抱える人同士が支え合ったり接客ができるって素晴らしい。こうした成功体験をつめて社会参加ができる場を自らの体験を元に増やしていけるってすごいことだと思う。
Posted by ブクログ
吃音のあるスタッフが運営する1dayカフェを取材した一冊。吃音についてはなんとなく知っていたつもりだったけれど、人によって発音しにくい行が異なっていたり、言いにくい言葉を避けて別の表現に言い換えて話していることがある、というのは初めて知った。また、「話の続きを先回りせずに、最後まで聞いてほしい」という人もいれば、逆に「言いたいことを察して先に言ってほしい」と感じる人もいるなど、対応の仕方が一人ひとり違うというのも盲点だった。つい言ってしまいがちな「ゆっくりでいいよ」や「落ち着いて」といった声かけも、本人にとってはかえってプレッシャーになることがあると知れたのも、大きな気づきだった。
著者の大平さんが、注カフェの発起人・奥村さんが働きすぎだという点にちゃんと触れていたのも、読んでいてちょっとホッとした。
Posted by ブクログ
いままで近くに吃音の方に気が付かなかったのでこんなに苦しものだとは。
子供の頃はみんなと違うことにとても排除されている感情に襲われる
学校側の教育がなされずにみんな教師になってしまうのか
ちょうど今日のニュースでも教師が吃音の生徒に対してイジメのような扱いをした、と伝えられた
また、吃音をもつ親の対応もあまり進んでいないことを知った
Posted by ブクログ
吃音を完璧に理解したとは言えないが、読んで良かった。大人になったら治ると言われているから、家では吃音に触れないで接する親と、学校では新学期の自己紹介から上手くいかず、同級生にからかわれ、話し方がうつると心ない言葉を浴びる子供。根はおしゃべりな子なのに、家でも学校でもだんだん無口になってしまう。孤独に吃音と戦う人たちの横の繋がりを作るため・吃音をより知ってもらうために立ち上がったプロジェクトへ同行。発案した代表者の方とカフェに参加した人達にもインタビューし、まとめた1冊。個別具体的で沢山の学びがありました。
『今も本棚の1番目立つところに『かがみの孤城』を飾っている。なにがあっても生きていこうと思える、大きな影響を受け救われた本だからだ。しかし、本書のことは誰にも話したことがない。「タイトルと作家名に、カ行とタ行があるからです。必ず吃音が出るから、普段は絶対に言わない。でも彼の背中を押したかった。」-2章変わる若者たち-』
辻村深月さんがこんなところにも出てきた!!ベストセラーの影響力、恐るべし…。同著の別作品ですが、「傲慢と善良」を読んでいて、自分の生き方にダメージを今受けているところです( ゚∀゚)・∵. グハッ!!
2025.2
Posted by ブクログ
たった一日で人生が変わる
そんな体験ができるカフェ
吃音、という障がいは知っていても、ここまで詳しくは知りませんでした
吃音かな?
っていう人、今までに何人か出会ったことはあるけれど理解してもらえる人がいるかいないかではかなり変わりますよね
この活動が続き、一人でも人生が前向きに変わりますように
Posted by ブクログ
読んでいる途中も読後も色々と考えさせられました。
読んだ人の立場によって捉え方が違うのでしょうけど良作だと思います。吃音の当事者・親家族・周りにいる人・別の障害がある人等々それぞれの立場で当書が気づきの手助けになったり救いになったりする事と思います。
自分は相手の話を遮って話してしまうクセがあり、その後何であんな事したんだろう、何で我慢できなかったんだろうかと後悔ばかりでした。
傾聴力と広く言われるようになるとそうしようと思ってもまたやってしまいさらに強く後悔することもしばしば。
本書を読んでもしかして吃音の方に嫌な思いをさせてしまっていたのかもと反省です。
吃音という言葉を知っていましたが、表面上の事柄しか知らなかったんだということも反省です。
本書は吃音の啓蒙書としてもとてもいいのではないでしょうか。
それにしても、カフェの設立・運営をするパワーと情熱は凄い!頭が下がります。参加した若者たちが変わっていく姿には感動しました。
これからも笑顔が増える活動が続くことを願うばかりです。
そして著者の取材対象者への暖かさも感じられる程でいいノンフィクションだったと思います。
Posted by ブクログ
派遣社員をしていた頃、一時期電話を取ってすぐの「ありがとうございます」の「あ」が出てこなくなったことがありましたが、軽い吃音だったのかな、と今でも思います。
小学校で日本語を教えていたときは、ペルールーツの男の子に吃音がありました。のんびりした性格で優しいためか、クラスでは比較的温かく見守られていましたが、大人になった今ではどうしているのかな、と思います。
コミュニケーション能力、プレゼンテーション能力が求められる社会生活で、生きづらい思いをしている人がどれほどいるのでしょう。
多様性を認める、と口で言うのは簡単ですが、社会が変わるとはなかなか思えません。
このような活動が少しでも広まり、理解する人が増えますように。
Posted by ブクログ
YouTubeも見てみようと思った。吃音者が吃音のことを書いている本はあるが、非吃音者が吃音のことを書いているということが、啓蒙につながると思う。実名を出してインタビューに答えている参加者の方々に敬意を表したい。
匿名
吃音のことをもっと知ってほしい
吃音って聞いたことはあるけど、実際にどんな症状なのか知りませんでした。
それも含め、「注文に時間がかかるカフェ」で接客体験する若者のチャレンジぶりに胸を打たれました。
Posted by ブクログ
成功体験がいかに大切か。受け入れられること、これがないと人間は生きていけないのかもしれない。
重松清の「きよしこ」でも、当事者が周囲の無理解に苦しむ姿が描かれていたが、実際の苦しみは壮絶なものがあった。
構成がいったりきたりして少し読みにくい部分があったが、それも筆者のゆれる心情として読めた。
表面的にしか知らなかった吃音について知ることができたし、思春期の悩みや、学校の無理解など、いろんな問題提起がされていて、読んでよかったと思える1冊でした。
Posted by ブクログ
カフェで働いてみたかった、一歩踏み出したかったなどという理由で吃音の人が集い1dayカフェをする話
話を遮らないで欲しい、言い終わるまで待って欲しい、先回りして言って欲しいと人によって、どうして欲しいかは様々
まずは知ることから
Posted by ブクログ
どこかで聞いたようなタイトルの本。「注文に時間がかかるカフェ」とは、吃音で悩む人達のために、同じ障害の奥村安莉沙さんが始めたプロジェクトだ。本書はその活動に密着取材したノンフィクションである。カフェで働くという夢をあきらめた奥村さんだが、自らの経験から若者のために1日限定のカフェを始める。主催者が場所と資金を提供し、障害を持つ人が接客を担当する。予約制で飲食費は無料だ。参加者は接客体験を通じて自信をつけ、見違えるように変わるという。
奥村さんによれば、吃音の方は全国に120万人もいるという。割合としては100人に1人だ。その割に身近にいた記憶がないのは、彼らが障害を苦にして心を閉ざしていたせいだろうか。単にぼくが鈍くて気付かなかっただけかもしれないが……。
活動の詳細も興味深かったが、吃音を巡る誤解や偏見に胸が塞がる思いだった。
Posted by ブクログ
吃音についての知識は少しあった。
身内にいるから。その子は、とても努力家で、言葉の教室に通いながら頑張っていた。
だから、わたしは、もう少し吃音を知りたくて手に取りました。
個性として受け入れられる社会になるように、と願います。