【感想・ネタバレ】ぼっちな食卓 限界家族と「個」の風景のレビュー

あらすじ

【目次より】

序文にかえて――同じ家庭の10年後、20年後を追跡してみたら・・・

第1部 あの家の子どもたち――かつての姿とその後の姿
1 子どもが邪魔
2 ベビーチェアの中から始まる「孤食」
3 家に帰らない子、子どもを待たない親
4 自由とお金と無干渉
5 三男は私のペット
6 させてあげる「お手伝い」とその結果

第2部 やがて「破綻する夫婦」「孤立する祖父母」とその特徴
7 10年後、5組に1組の夫婦が破綻
8 破綻する夫婦と10年前の共通点
9 子ども夫婦の破綻を招く「実家の支援」
10 ダイニングテーブルに表れる家族の変化――「独りベッド飯」の夫たち
11 同居老人より怖い「同居老人」の孤立と孤独
12 祖父母世代は、まるで異星人
13 あなたの親は私の他人――夫婦別「実家分担」

第3部 「食と健康」をめぐる「通説」とシビアな「現実」
14 健康障害は9割が伏せられる?
15 健康管理は「自己責任」
16 「共食」と「健康障害」の意外な関係

第4部 「個」を尊重する家庭食とその影響
17 家族共食を蝕むブラック部活とブラック企業
18 家庭料理の変化と個化する家族
19 同じ釜の飯より「個」の尊重
20 食器に表れる家族の変化
21 「子どもの意思の尊重」という子ども放置
22 「リクエスト食」育ちの子どもたち――その後の姿

第5部 誰もが「自分」は譲れない
23 人に口出しされたくない
24 お教室の変化――みんな「教える」人指向
25 「私一人の時間」が欲しい
26 「自分時間」を生きる家族たち
27 「私」中心の呼称変化

第6部 個化する家族――その後の明暗
28 家庭の空洞化と「外ごと化」する家庭機能
29 正論と現実のはざまに
30 崩れなかった円満家庭とは

調査概要

あとがき

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Posted by ブクログ

ドキュメンタリータッチで淡々と食卓の変遷が記述されており、自説を押し付けることもない。
非常に好感が持てる。
下記、本文より抜粋。
「共食」では、自分以外の人の好みや体調を気にかけて用意したり、自分以外の人に合わせて好みではないものも食べたりする。そうして誰もが、意図せぬうちに個々の好みや癖、習慣さえ超えて、結果として個々の健康を守り維持する内容になっていたのではないだろうか。
いわば「共食」は、他者の存在による(他者を思いやることによる)健康な食生活の安全装置
のようだ。
非常に大胆な仮説で、検証を試みて欲しい。

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2024年05月20日

Posted by ブクログ

「自主性」を育てるために、好きな食べ物を子供自身に選ばせて出していた家庭は、その後どうなったか。
調査対象は首都圏在住家庭、240件。家庭の主婦へ、家庭内の食事についてのインタビューをしたものである。家族一緒に食事をするのか、各々がバラバラに食事をするのか。そしてその食事はどのようなものなのか。10年後、20年後と継続して同じ家庭に調査を入れているため、調査のたびに数は減るし、数が少なすぎて統計学的な評価はできないものの、こういった年月をかけての調査という点だけ取っても、稀有で貴重な調査結果である。
仲がいいとは言えない家族の様子がリアル過ぎて、読み進めていくにつれ気持ちが萎えてくる。子供の自主性を大切にすると言いつつ実態はネグレクト。良くも悪くも干渉しない夫婦、それは家庭内離婚とラベリングされていないだけ。個々の自由を尊重すると言っているのは、自分優先を正当化するための口実。家族が家で食事をしたがらないので外食ばかり、外食が家族のコミュニケーションの場だと。他にも、ブラック企業やブラック部活の問題などもあり、これでもかというほど問題が出てくる。前半は何とか読み、後半はこれ以上読みたくなかったが、何が書いてあるかはわかる程度に目を通した。
勉強になったのは、資格をとって教える側に回りたがる主婦がいること。指導員・アドバイザー・インストラクターなど。だが、実際に本人はその通りにしているかというとそうでもないそうで。若いお母さんの怠慢に嘆く保育士、家では食事をせず子供や夫は外で買ってくる。薬膳料理教室を開いているが、夕食はレトルト食品とお惣菜ばかり。著者は、こういったことをただ嘘つきと非難するのではなく、専門家や先生こそ、その矛盾に向き合うべきだということと、実践を放棄し言葉や情報だけ語ってしまうほど、情報発信者が強い力を持っているという現代の問題だと指摘している。
全体に著者の見解や考えはそんなには書かれておらず、調査結果を読んでいるだけのような感じでした。しかし、実例の多さと、これがフィクションではないことが読む側の陰鬱な気分に拍車をかけてしまう。事実は小説より重いです。しかもこの問題、これで終わりではなく、社会が変わるにつれて問題の様相もどんどん変わっていくわけで。個人の尊重(という誤解?短絡的解釈?)が家庭の空洞化につながり、子供が最も近い人間から人間関係を学べなくなってきていて、子供同士のいじめの問題や、長く見れば少子化の原因の一つになっているのではないかと思いました。
最後に、年月を経て調査をした際も円満だった家庭についても書かれている。あとがきでは、この調査が家族のコミュニケーションのきっかけになったといってお礼の言葉も来たそうである。悪い話ばかりではないのが救いでした。
これのアップデート版もやって欲しいですね。新たに調査を始め、今後の10年後、20年後はどうなっているのか。

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2024年01月04日

Posted by ブクログ

衝撃の書であり、傑作と言われるディストピア小説より恐ろしいのは間違いない、けど、待って待って我が子にこんな底辺な生活させてるママ達よくこんなに見つけて来たね!?とも思う…。
十年前との変化などの考察を読むと、確かに時代の流れと合わさった変化であろうと察せられるけれど、これを「現代家族の真の姿」と言い切るのは大袈裟すぎない…??
「限界家族」の話だよね?やっぱり?
だって私も、おそらく友人たちも朝ごはんから我が子にしっかり食べさせてるし(子のムラ食いに手を焼きながら)昼も夜も何食べさせよう〜ってずっと考えてるし、それが当たり前だと思ってますよ。もちろんそんな胸を張れる食卓ではないけれど…。

とはいえこの本から学ぶことは沢山ある。(そして幼少の頃から1人で食事を済ませなければいけなかった子供達のことを思うと胸が痛む。)
食卓を大切にしなければ、と改めて思わせてくれる一冊。

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2024年07月24日

Posted by ブクログ

食事が家族関係、社会性に大きく関わることを改めて考えさせられました。
子どもが大きくなると塾や部活、朝の出発時間の関係で食事を一緒にすることが容易ではありませんが、意識して一緒に食べること、親が手をかけることの大切さがわかりました。

最後に関係の良い家族の食事が書かれているのが、とても参考になりました。

家でバランスの良い食事をしていなければ、給食だけで補うのは無理ですね。食べ慣れていないものには手を付けません。そして、学校では食べることを強制することはできません。
身体的な栄養だけでなく、心の栄養も不足することを親が知っていなければならないですね。

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2024年07月03日

Posted by ブクログ

 この本を読み終えて、私は、背筋が寒くなる思いをした。これは、食事の記録の書というよりは、家族の崩壊を記した書ではないか?
 著者は、1998年から、家族の食卓風景を調査している。今回、同じ家庭の10年後、20年後を調査して考察している。調査地域、サンプル数など少ないし、著者のバイアスのかかったような見方により、こんな家庭ばかりでは無いだろうと思う部分もあるが、ショッキングな内容であった。
 食事も「個」が優先。一人一人が食べたいものを、食べたい時に食べる、そういう家庭が増えているという。まるで家族バラバラ。「家族で食卓を囲む」なんて死語になっているかのようだ。
 そのような家庭で育った子供達は、社会性を身につけられるのだろうか?日本の未来が心配になる。

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2024年05月15日

Posted by ブクログ

食卓を定点観測の場として、1998年〜2009年にかけての第1回、その10年後の2回目、さらにその10年後の3回目と同一対象家庭に、アンケート、写真入りの日記調査、詳細インタビューなどを行った結果の分析、考察をまとめた本。
この調査結果自体見れたら興味深いだろうなと感じたし、分析、考察をまとめた本書も非常にインパクトが強いものだった。

家族内であっても、「個人の意思を尊重する(自分のやりたいこと、自由、好みを優先する)」という親の気持ちのもとで、結果それが食卓に反映し、親子関係(対象者の子どもだけでなく、親、義親含め)、夫婦関係などにどう反映していたのか。

自分自身まさにこの調査対象年代にあたることもあり、え〜!?と思うこと、まあ我が身を考えても思いあたること等様々。
そして、自分は、果たしてどうしていただろうか?(本文中にもあったが、記憶は自分の都合で塗り替えられる、だから自分の記憶に自信が持てない)、子どもがまあ無事に育ってくれてよかったと思う一方、独立した彼等の今の食生活、考え方はどうなのだろうかと若干の不安も感じる。
こんな半端ない当事者意識に苦笑。

しかし、個を大切に自分中心に考える流れは、自分の中にもあるし世の流れとしても止めようが無い。しかし、大人と子どもとでは対応は違って然るべきだし、本来的な意味で自律的な人間を育てるのは、小さい頃から自主性尊重の名の下に放置することとは違う。
人が生きること、育つこと、育てることはそもそも手間がかかり、手をかけることにより得られる価値が大きいと今なら思えるが、若い時はわからなかったなと反省をこめて思う。

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2024年05月02日

Posted by ブクログ

いろいろびっくりだった。個を尊重しすぎるあまりに、子育て、親育てを放棄しているに過ぎない状況だった。なので最近は非常識が多いのか…と思ってしまう…

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2024年02月21日

Posted by ブクログ

自分を大切にして、自由で好きな時間を過ごすことは、必要なことだと思う。外に目を向けることも大切だ。が、この本を読んでとても怖くなった。家庭の食事にもこの考え方をもちこみ、食事は時間も内容も個別、自分の子どもの食事に対しても、面倒くさいから自己責任の道筋を作っていく。嫌いなものを与えると機嫌が悪くなるからとか、残されると嫌だからとか。それを言ったらおしまいと思うようなことが、多くの家庭で見られた。1998年から2009年まで、食卓を定点観測の場として、同一家庭の10年後、20年後の変化を追跡調査した結果だ。ちなみに、初回は240家庭、10年後は89家庭、20年後は8家庭の有効サンプルの結果だそうだ。
個人を尊重することは大切なことだけれど、家族と関わらない食事時間と、帰宅時間を親離れと自立というきれいな言葉で片付けることは、もう仕方がないことなのだろうか。働き方や深夜までの塾や習い事で仕方がないのかもしれない。外に対しては食事や子育てのアドバイザーの立ち位置の人でも家ではきちんとした食生活や子どもへの接し方ができていないというのも、見映えだけを気にしているように思える。でも自分ファーストで子どもを育て、親と接して、自分が老いたときに同じように自己責任として片付けられても納得できる強い人が、そんなに多いのだろうか。
最後に、10年たっても食事を大切にし、皆が家事に当たり前に参加してお互いを気にかけあい、円満に暮らしている家族があることにほっとした。これが大多数の人にとっては、鬱陶しい関係であることは、もうどうすることもできないのかもしれないが、ひょっとするとコロナ禍でなにかが変わったかもしれないとも思った。

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2024年02月05日

Posted by ブクログ

筆者の主観的な部分が多いようにも感じたが、個食の継続が家族のつながりを分断するのは事実なんだろうなと思った。やはり、食は大事だ。

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2023年11月24日

Posted by ブクログ

とてもこわい本。淡々するすると読める。
日本の食卓と家族、個人個人の意識の変化(その裏に隠れているのは社会全体の様々な空気感)
定点観測された地道な食卓調査のアンケート結果や発言がページをめくる度に淡々と綴られていく。対象者の発言と実態が乖離することも多数、驚愕する。
自分と年代の違う調査対象者の発言を「恐ろしい」と感じつつもその考えを完全に否定できず、自分の中にも潜んでいることを実感しぞっとする。
ただただこわいが(興味深い面白さと読みやすさはある)、これはたぶん個人個人の意識の変容の中に、世界と日本の社会のムードがどろどろ音も立てず忍び込んでいる、その結果を表した貴重な本だと思う。

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2023年11月15日

Posted by ブクログ

長い年月をかけて採取した家族のあり方が圧巻でした。
妻との関係、子との関係を見つめ直すための必読書です。読み進めていくと、ほとんどホラーに近いような恐ろしい状況が展開されていきます。そこに登場する方々に「本当にそれでいいの?」と心の中で問い続ける読書でした。
家族という関係性を作り上げるのは、日々の瑣末なことの積み重ねであると感じました。良好な関係性が維持できている家族は、当たり前のように互いを気遣い、それを瑣末なこと、当たり前のことと捉えて気遣いを繰り返す。完全に崩壊している家族は、各々が個人を優先ことが何よりも先決で、瑣末なこと大切にすることができずに、目に見えないほどの距離が毎日離れていき、年月を重ね不可逆的なところまで行ってしまう。
本の題名になっている「食卓」は、家族のあり方の象徴的なものであり、そして、もっとも基本的な土台となるものであると感じました。
自分の家庭も始まってまだ10年。これから、積み上げねばならないものがたくさんあると気の引き締まる思いを胸に、日々の瑣末な気遣いを重ねていこうと思いました。

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2023年11月14日

Posted by ブクログ

p.59 家の仕事を手伝う子どもたちもいたが、そのほとんどが父親が日常的に家事をする家の子どもたちであったのも見逃せない。父親が子ども時代から(家業が忙しかったり、ひとり親であったり、親が病弱だったりして)日常的に家の手伝いをして育ち、結婚後も「黙っていても自ら(家のことを)する」人、そして「自分の子どもにも当然のこととしてさせる」人たちであった。理屈抜きで、ほかの人を思い、ほかの人のことをする(助け合う)暮らしがその家庭にはあるに違いない。
近年、「ヤングケアラー」の問題がしきりに語られるようになってきたが、彼らの対極にあって、家族も人も「助け合わなければ暮らしていけない」ことなど考えもせず、「自分のことさえすればいい」「自分はしてもらうのが当然」と思って育つ子どもたちの問題も、これからの社会や家庭の在り方を考える上で無視できなくなっているのではないかと思う。

p.90 には、家族の誰か一人だけがテーブルや椅子さえ与えられていない例もいくつかあったので、取り上げておきたい。
祖母が亡くなり子ども家族と祖父が同居することになった家庭。この祖父の食事は家族と同じ食卓ではなく、一人だけ脚立 (踏み台)の小さな天板部分がテーブルの代わりだった。
居間の長椅子の前に脚立を引き寄せて、その上に載せたものを食べる老人の姿(写真データ)
に驚いて理由を尋ねたが、「おじいちゃんは、そこでいいと言うので」と、主婦(43歳)は気に掛ける様子もない。
家族と食事をしたがらなくなった「反抗的な」(と母親が言う)男の子(15歳)の椅子も奇妙だった。彼の椅子だけは、以前ドッグフードが入っていたドラム缶だったのである。「ウチは椅子が人数分ないんだけど、息子は滅多に家で食べないし、食べても私たちと一緒に食べないから困らないんで、新たに椅子を買い足すつもりはない」と母親(38歳)は話す。自分の椅子だけドラム缶になった男の子は今後も家に帰って家族と食事を共にするようになるだろうか。
このように、食卓のテーブルや椅子は、当人たちの意を超えて家族関係の変化やその本音を露骨に物語ってしまう。だが、それが本当に怖いのは、一度テーブルや椅子などハード面の変化となって顕在化すると、そこに表れた家族の関係や変化も戻り難いものとして規定され、さらに指車をかけてしまうことである。
その意味で、個々の「自由」をとりわけ指向する家庭の中には、結婚当初から「ダイニンクテープルはない」家もすでに複数出現していることは、これからの家族を考える上で見逃せないだろう。

p.137 作り手も、他の家族の体調や都合を考えて自分一人なら決して作ろうとは思わないものも出し、自分も食べている。そこに自ずと偏らない食事バランスが成立し、矢食や不規則な食事も総じて少なくなっていることが認められ
る。
その中身は、必ずしも「外食」か「中食」か「手作り」かにはかかわらない。共食を捨てて個々バラバラになった食事では、たとえスーパーやコンビニに多様な食品が並んでいても、街に様々な外食店があっても、その人の「好み」を濃厚に反映して偏った選択になっているのである。いくら栄養・健康の情報が溢れていても、あるいは病院で食事指導されても、人は自分一人の食事にあえて好きではないものを選んで食べ続けられるほど、強くはないのだ
と思う。
「共食」の大切さと言えば、家族や仲間が揃ってワイワイ食べる食卓コミュニケーションの楽しさについて語られることが多いが、共食の価値はそれだけではないだろう。
「共食」では、自分以外の人の好みや体調を気にかけて用意したり、自分以外の人に合わせて好みではないものも食べたりする。そうして誰もが、意図せぬうちに個々の好みや癖、習慣さえ超えて、結果として個々の健康を守り維持する内容になっていたのではないだろうか。
いわば「共食」は、他者の存在による(他者を思いやることによる)健康な食生活の安全装置のようだ。

p.145 いわく「毎日家に帰って来て食事されたら、毎日ちゃんと作らなければならなくなって1まうから、私はこのままでいい」(50歳)、「あんまり帰って来られると大変だから、ウチはこのままのほうがラクでいい」(54歳)などと言う。一世を風靡したCMの「亭主元気で留守がいい」(大日本除虫菊、1986年)というセリフを思い出させるが、事態はもう少し深だ。中には、単身赴任や交代制勤務の夫の恒常的な不在を前提に、妻は実家に入り浸って「娘返り」したり、母子だけの気楽さに慣れたりして、もうその快適さを手放したくないと言い始めるケースもよく見る。
そして、しばしば家族の関係も夫婦の仲も蝕んでいくのである。10年後の調査で夫婦関係が著しく悪化していたケースに「単身赴任」や「交代制勤務」の夫、「出張」が多い夫が目立っていたことも、忘れてはならない。(7「10年後、5組に1組の夫婦が破綻」参照)
やがて彼女たちは「老後、夫が退職して毎日家にいるようになったら、私は一緒に暮らせるか不安」「夫のいない日常生活に慣れてしまったので、私はもう一人のほうが良くなってしまった」などと語り始める。子どもの受験や反抗期、自身の病気や親の介護などで大変だった時期に「そこにいて、事態を共有してくれなかった夫」への戻り難い心情を語った主婦は一人や二人ではない。
「定年退職したら一緒に食卓を囲み、夫婦で旅行にも行きたい」と楽しみにしている夫たちはどうしたら良いのだろうか。興味深いのは、そんな働き方を変えた夫の事例である。「シフト制で働いていた夫 (43歳)が解雇されて昼型の職場に転職したら、給料は下がったのに夫婦仲は良くなった」(46歳) ケースや「主人(49歳)が残業の多いIT関係の会社を辞めて、普通に帰れる会社に転職したら、夫婦で毎晩飲みながら食べたり話したり、休日も二人で行動することが多くなった」(49歳)夫婦の事例もあった。家族が円満であるためには「時間の共有」が想像以上に重要なのかもしれない。
そう考えると、10年後に成長した子どもたちの就職先やアルバイト先が、シフト制・交代制・昼夜逆転の職場がとても多くなってきたこともやはり気になる。子どもたち世代にとっては、曜日も昼夜も問わずサービスを提供してくれるそれらの会社こそ、部活や友達との付き合いなど、家族と離れた「個」の自由を支えてきた最も身近な仕事であり会社なのであろう。
だが、その仕事がまた、家族バラバラの時間を生きる人を生み出して、「コンビニで働き始めた息子(20歳)は昼夜逆転の生活で、もう家に居てもほとんど顔を合わせることがなくなった」(42歳)、「長男(22歳)が鉄道関係で働き始めたら、交代制で泊まりも多くて、帰宅は不規則」(53歳)、「娘(20歳)の職場(ホテル内飲食店)は交代制だから、一緒に食事することはめったになくなった」(50歳)ということにもなる。IT関係や物流関係の仕事に就いた子どもたちの実態も同様だ。
卵が先か鶏が先か。その「一人の快適さ」「自分ペースの自由さ」を保障するサービスの充実は、家族と時間も場所も共にせずそこで働く人を増やし、巡り巡ってまた、個々に自分ペースで暮らす家族の増大に、拍車をかけていく。
多くの家族が生活時間や生活場所を共にしていたのは、いったいいつまでだったのか。かってはどこにでもあった「同じ屋根の下」で「一緒の時間」を生きる家族の暮らし、一緒の食事は、学校や職場など家庭の外側からも崩され蝕まれ始めている。
決して、便利さに慣れた現代人のわがままさゆえに食卓が個々バラバラになってきたとばかりは言えないのである。

p.205 そんな家では、まだ中学生や高校生の子どもたちが朝まで起きていたり午後まで寝ていたりすることも、家族と交わらない食事時間や帰宅時間になっていることも、「子どもの自立」「親離れ」と言って、関与しなくなっている。
個人尊重の時代、「モノ」や「コト」だけでなく、「時間」の個人化も急速に進んでいる。

p.243 では、その明暗を分けているものは何だろうか。そして、「少数派」の円満家庭に共通して見られる特徴とはどんなことだろうか。データから見る限り、こんなことが言えるのではないかと思う。
10年後に円満だった家は、親子・夫婦間の大小様々な諍いを含めて、日常的に「家族が真剣に、深く、関わり合ってきた」家ばかり。決して、「自律的であること」や「個々の自由(勝手)の尊重」を語って、互いに「干渉しない」「詮索しない」ことを是としてきた家族ではない。食卓の態、手伝いや家事協力、子どものアルバイトや深夜帰宅・外泊なども含めて、本気で話し合ってきた親子(夫婦)である。
子どものには、むしろ口うるさかったり厳しかったりする家ばかりで、自由に使える小遣いが他家より少なめなのも特徴だ。それにもかかわらず、アルバイトをしている子が少なく、していてもアルバイト収入は少ないから自由に遊べるお金もあまりない。子どもから見たら決して「良い」状況とは言えない。どうやら、親子の信頼には「口うるさく言うか、言わぬか」が大事なのではなく、どんな心から言うかが大事なのであろう。
また、夫婦の関係も「自分のことだけする人」同士ではなく、率先して家のことや相手のことを考え、それをし合ってきた人が多い。決して「頼まれないことはあえて手出ししない」「余計な口出しや干渉はしない」という夫婦ではなかった。つまり、「困っていること
(困っている人)はないか」と互いを気にかけあう家族の方が、分担して自分のことだけきちんとする家族よりも、言頼を築き上げていたことは見逃せない。いくら家事参加があっても自分の分担しかしない夫婦は「こっちも勝手にするからいいよ」と、互いへの関心も思いやりも失って10年後には無関心・無干渉になっていたのである。
外食や買い物・レジャーなど楽しいところだけ「一緒」にして円満であろうとする他の多くの家庭とはその繋がり方もずいぶん違う。
だが一方、そんな家が緩く見積もっても4~5軒に1軒しか見られなかった背景には、それがすでに一般的な現代人の望む家族関係とは思われなくなってきていることを表しているのではないかとも思うのである。
主婦たちの発言を聞いていると、上記のような深く密な関わり合いは、多くの人にとってすでに暑苦しくうっとうしく感じられ「そんなことをしても、ご家族は平気なの?」と言われるようなものになっているからだ。
「私は家族にもドライだから」「私は子どもたちにもクールなので」、だから「向こうから頼まれない限り、あえて何もしない」「知らんぷりしている」「干渉したくない」「詮索したくない」......そんな関係を誇らしげに語る主婦たちがすでに多数派であったことも忘れてはならない。
「実家の親たちみたいに家族にプライバシーが無かったり、何でも干渉しあったりする関係ってすごくイヤ」(48歳)、「食事も休日も一緒、グループラインも一緒だなんて、夫婦でも気持ち悪い」(40歳)などの声もたくさん聞いた。事実、親自身も含めて「個々の自由」
「個々のペース」「個々の気分」「個々の好み」・・・・・と「個」を優先する時代になっている。
そう考えると、夫婦揃ってそうではない考えを持ち、実際にまだそれを実践している家が4~5軒に1軒と少数派なのも、十分頷ける。また、序文に記した3家庭に対する主婦たちの異口同音の発言もそれを映し出したものとして、是非を超えて、よく理解できるのである。

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2024年11月20日

Posted by ブクログ

長女、次女、長男、次男と4人の子を長女、次女、三男、四男と話す母親。自身にとって生まれた順番と性別で表す。食のアドバイザー、子どもの教育などの仕事に就いている母親の正論と現実。
そういう現実もあるかもしれないけど、不都合なところだけをクローズアップしているようにも感じてしまう。この著者の本を何冊か読んだことがある。それならご自身とスタッフの写ルンです一週間を開示してほしい、と思うのは意地悪かな。

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2024年10月28日

Posted by ブクログ

2024.06.15

とっても考えさせられる内容でした…。そして怖い本。
うちも共働きでフルタイムで、あまり子どもの食事には手をかけてあげられてないけど、孤食やこどもの自主性に任せた食事にはなっては…いない…はず…。
家族円満、子供が育って巣立った後も夫婦円満でいられる秘訣は、夫が妻と子、家族に深く関わっているか、がキモなような気がします。
夫婦間、家族関係が良くない家は総じて夫の存在が薄かった。
最後の家庭円満の3件のお家は、夫が家族に深く関わっていたのが印象的だった。

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2024年06月15日

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