【感想・ネタバレ】戦争論のレビュー

あらすじ

ウクライナ戦争開始の1ヵ月半後、ヒトラーの独ソ戦を描いた小説『同志少女よ、敵を撃て』が本屋大賞を受賞し、ベストセラーとなった。我々は戦争を嫌悪しながら、『宇宙戦艦ヤマト』『風の谷のナウシカ』『進撃の巨人』『鬼滅の刃』などのマンガ・アニメから小説『永遠の0』まで、悲惨な戦争を享受している。ナチスドイツ、原爆、プーチンの戦争、安倍元首相暗殺事件など現実の暴力・戦争を多様な文芸作品を通して分析し、読み解いていく。批評界の俊英が放つ、新時代の「戦争」論!

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Posted by ブクログ

 第三章で語られた戦後日本の位置づけ――冷戦体制下で軍事=戦争を外部にアウトソーシングし、経済的な「豊かさ」の中でまどろんでいた――はその通りだと思う。だがそれは、むしろ1990年代以降の人文社会科学での基本的な認識だろう。一国主義的で抽象的な「平和」をめぐる議論を書き込み直す必要がある、という問題意識にも共感できる。しかし、本書全体として見ると、「大きなこと」「意味があること」を主張したいがゆえの過剰な意味づけや、議論の単純化が気になった。

 例えば著者は、太田洋子のテクストに触れながら、戦後日本は「復讐心」を抑圧してきたのではないか、とする。これは加害の自覚の不在の裏返しとも言えるが、一方でそのことは、日中戦争・アジア太平洋戦争における「敵」の曖昧さや抽象性に由来する問題ではないか。「誰がこの戦争の敵なのか」が曖昧であるならば、そもそも何に対して「復讐」するのかも不透明なものとならざるを得ない。

 もう一つの問題は、1990年代以降の20年間をどう捉えるかである。著者が提出した戦後日本観は、それこそ政治家として安倍晋三が登場した1990年代後半の段階で基本的なフレームが提出されていた(安倍は、それに対するバックラッシュを象徴的な資源としてのしあがった政治家だった)。むしろ第三章で問われるべきは、加藤典洋=白井聡的な「戦後日本」の枠組みではなく、この25年間の日本社会の戦争認識だったのではないか。

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2023年09月09日

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