あらすじ
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10代のうちは、国語にも古典にもまったく興味が持てなかった著者が、大人になったある日、
「まいて雁(かり)などの つらねたるが、いと小さく見ゆるはいとをかし。」
という、『枕草子』の一節を見てふと心をつかまれた。
「ああ、『エモい』ってことか」
秋の夕暮れを見て、
冬の朝の寒さに震えて、
春の朝焼けの景色を見て、
夏の夜に雨音を聴いて、
清少納言が感じた「いとをかし」。
それは「まじエモい。」だったのだ。
*
本書は、枕草子、万葉集、古今和歌集、徒然草……などに綴られた古の言葉たちを、「いまを生きる私たちの感覚」に合わせて“エモ訳“した上で、超美麗なイラストによって視覚化した新感覚エッセイ。
ページをめくるたびに、先人たちが作品に込めた「エモパワー」を強烈に感じながら、切なくなったり、勇気がわいてきたり、なんともいえない胸いっぱいな気持ちになれる本です。
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Posted by ブクログ
・「古今集」仮名序より 紀貫之
やまとうたは 人の心を種として よろづの言の葉とぞなれりける…
人のこころは種。それは無数の言葉として花開く。
・恋はいつでも裏表。それはきっと恋したとき、相手を通して自分自身を見ているからだ。
・「風雅集」序文より 花園院
…本質を忘れ、形ばかり。飾ることばかりうまくなり、中身がない。何をどううたうかは自由だが、基礎なくして応用はない。
・ぜんぶあわせて1つ。花が咲いて枯れるように、どれだけ美しいものでも、「みにくい」部分はあるということ。その意味では、きれいな部分しか見えないのは不自然とも言えるのかもしれない。だから和歌に限らず、日々何かを見て、話を聞いて、そのとき「そう感じたこと」は、それでいいんじゃないのか。受け取る側が決めていい。
・すべては、変わってゆく。すべては、うつろってゆく。結局私たちが選べるのは、自分の「在り方」だけなのかもしれない。