あらすじ
太平洋戦争末期、焼け跡の瓦礫の中から助け出された赤ん坊の茉莉江は、十歳になった年に母と二人、船でアメリカに渡るが、その後母を喪い一人きりになってしまう。茉莉江は自らの手で人生を切り拓き、長じて報道写真家となり、人間の愚行と光を目撃していく。激動の時代を生き抜いたひとりの女性の人生とともに、戦後日本、そしてアメリカの姿を描き出す。恋愛小説家として知られる著者が新境地を拓いた、美しく骨太な感動作。
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Posted by ブクログ
『一億一心。一億総決起。欲しがりません、勝つまでは。ぜいたくは敵。足らぬ足らぬは工夫が足らぬ。鬼畜米英。米英撃滅。神州不滅。神国日本』。
今から八十年前のこの国で誰もが口にした、させられたというこれらの言葉。
『いずれ神風が吹き、神国日本の皇軍は勝利すると信じて、疑っていなかった』。
そんな思いの中に苦しい毎日を生きた人たち。そんな苦難の時代は一九四五年八月十五日にようやく終わりを迎えます。
しかし、世界が平和になることはありませんでした。その後も続く世界各地のさまざまな紛争をはじめ、日本国内でも『あさま山荘事件』、『三菱重工爆破事件』、そして『日航機』の御巣鷹山尾根への墜落などなど、誰もが知る事件・事故は決してなくなることはありません。
そんな事件・事故を私たちは視覚によって知ることになります。写真や映像によって知るそれらの事ごとは文字だけでの理解よりも遥かに深く私たちの心を掴んでもいきます。百聞は一見にしかずということわざにある通り、視覚から入る情報の威力は絶大なものがあると思います。
さてここに、事件や事故などの現場を自らの仕事場とする『報道写真家』の人生を描く物語があります。『私は戦禍の炎のなかから、生まれてきた』と語る一人の女性の生き様を描くこの作品。そんな物語の中に、この世界を震撼させる事ごとのあまりの多さに驚くこの作品。そしてそれは、激動の世界を写し撮っていく、一人の『報道写真家』の人生に『平和』という言葉の意味を思う物語です。
『こんなものを見つけました。矢も盾もたまらず買い求め、お送りする次第』と『ボールペンで、走り書き』されたメモが付された『一冊の雑誌』を手にするのは美和子。『雑誌』- 『Searching Monthly』- 『が発行されたのは、一九七六年四月、奇しくも、私がこの世に生を享けた年であり、月である』と思う美和子。『その年の四月五日、中国では第一次天安門事件が勃発。十三日には、カンボジアでポル・ポト政権が成立、以後、四年間にわたって、人々は生き地獄にさらされた』という時代を振り返り、『のちに、この大量虐殺の現場への潜入取材を決行している』『彼女』のことを思います。『「注目のアーティスト十二人」というくくり』の中に『新進気鋭の報道写真家として紹介されていた』という『彼女』の記事には、『長野県軽井沢で、連合赤軍が起こした浅間山荘事件。山荘破壊の現場 。1972年』など『彼女の撮った写真が三枚』掲載されています。そんな中に『あなたはなぜ、そんなにも勇敢なのですか…死と隣り合わせの場所が怖くはないのですか』という『インタビュワーの質問に対して、彼女は簡潔な答えを返して』います。『怖くありません。なぜなら私は』、『私は、炎のなかから生まれてきたのです』。
時はさかのぼり、『一九四五年、六月二十九日の早朝』、岡山駅へと『一糸乱れぬ行進を』する少年たち。そんな中で、『真夜中に耳にした、あの、空を引き裂くような轟音、地の底から突き上げてくるような轟音』を思い出し、『父は、母は、無事だろうか』と思うのは『十四歳の鳥飼希久男』。『深夜に激しい空襲があったということだけは、確かだった』と思う希久男は『中等学校』である岡高の『航空機科』に通っています。『必ずや将来はりっぱな航空技術者となって、天皇陛下とお国のために命を賭して全力で戦います!』と『口頭試問』で宣言し『競争率二・五倍の難関を突破』した希久男は、戦況が厳しくなるのを感じながらも『いずれ神風が吹き、神国日本の皇軍は勝利すると信じて、疑ってい』ません。しかし、『硫黄島で日本軍守備隊、二万六千人が玉砕…』と悪化する一方の戦局の中で起こった、後に『「岡山無警報空襲」と呼ばれることになる無差別絨毯爆撃』が岡山の街を『焼夷弾』で焼き尽くします。やがて、『秩序正しくおこなわれていた線路上の行進が乱れ』、『ひとり欠け、ふたり欠け、と、落伍者が出るようになって』いきます。そんな中、『この臭いはいったい、なんの臭いなのだろう。いったい何が焼けたら、こんな臭いが出るのか』と疑問がわく状況が生まれます。そこに、希久男の疑問の『答え』を『向かい側からやってき』た『リヤカーが教えてくれ』ます。そこに『うずたかく積み上げられていたのは、焼き出された人々の遺骸』でした。『上半身はそのままで、下半身だけ焦げて炭のようになっている人…幼子を抱きかかえるようにして、焼死している母親…』。そして、『そんなリヤカーを追いかけるようにして、追いすがるようにして、「おかあちゃーん、おとうちゃーん」』と、『泣き叫びながら走ってくる女の子の衣服も、肩から胸にかけて、焼け落ちてい』ます。『後頭部には、ぱっくりと割れたざくろのような傷。髪の毛を伝って、したたり落ちている血液』という女の子を見て、『この子も死ぬのだろうか』と、『希久男の目には、女の子が死に向かって、走っているかのように見えてい』ます。『これは地獄だ』、『今、自分は地獄を見ているのだ、と』思う希久男。そんな時、『リヤカーから一体』『亡骸が』『転げ落ち』ると、『黒焦げの両腕が肩からすぽっと抜け』ます。奇声を挙げる同級生の声を起点に『行進は、あっけなく解体』します。『背中から、恐ろしい地獄が追いかけてくるような気が』して、走る希久男。やがて、『もうこれ以上、歩けない』という時、『何かにつまずいて』倒れた希久男は、『棒切れのようなものを掴んで、立ち上がろう』とします。しかし、『次の瞬間、ひいいいいと声にはならない悲鳴を上げ』『仰向けに倒れ』ます。『掴もうとしたのはズボンからのびた人の足首で、その足の先には、胴体が』ありませんでした。そんな時、『しっかりせんか。こんなところで死んだら、元も子もねえじゃろ』と老人に助け起こされた希久男は、『瓦礫だらけの道なき道を死に物狂い』で歩き続けます。そこへ、『どこからともなく、近づいてきた女の人が、『なんぼ捜しても、そこにはもう誰もおらんよ』と『みんな、岡山駅の貨物倉庫じゃわ』と『ぼそっと言』います。『なんじゃ、駅か』と思う希久男でしたが、女の人は『行ってもどうしょうもねえわ…倉庫いっぱい、死体の山じゃ』、『ひとり残らず焼き殺されて、全滅じゃ』と言います。『それでも行くんなら、駅はあっちじゃ』と言われ『歩き出そうと』する希久男。その時でした。『背後から、かすかな泣き声が聞こえてき』ます。『なんじゃろう…まるで赤ん坊のような』と思う希久男は、『今年の初め』、『希久男の父の姉』の『娘の子』という『赤ん坊』がうちにいたことを思い出します。『動員に駆り出される数日前』のことを思い出す希久男は『この泣き声は、あの子の声に違いない』と思います。『助けちゃる。今、助けちゃるからな』と『瓦礫を』『丁寧に』『取り除いて』いきます。『今、助け出しちゃる。生きたれよ』と思う希久男の目の前に『どんな偶然と必然が重な』ったのか、『赤ん坊は、生きて』いました。『頰から首筋にかけての皮膚が赤く焼けただれていた』ものの『元気に泣いてい』る『赤ん坊』を見て、『なんという生命力だろう』と思う希久男。そして、助け出された茉莉江(まりえ)。そんな茉莉江のその先に続く壮絶な人生が描かれていきます。
“第二次世界大戦末期、焼け跡の瓦礫の中から助け出された赤ん坊、茉莉江は、十歳になった年に母と二人、船でアメリカに渡った。茉莉江は、自らの手で人生を切り拓いて報道写真家となり、人間の愚行と光を目撃していく。時代の波や環境に翻弄されながらも、人を愛し、真摯に仕事に向かった女性の命の物語”と内容紹介にうたわれるこの作品。私は文庫本でこの作品を手にしていますが、その表紙にはテロ事件によって2001年9月11に崩壊したワールドトレードセンターがまさに建築中という意味ありげな写真が使われています。
さて、そんなこの作品は、内容紹介にある通り”第二次世界大戦末期、焼け跡の瓦礫の中から助け出された赤ん坊、茉莉江”の生涯を描く物語でもあります。物語は、そんな茉莉江を、『今、助け出しちゃる』と、瓦礫の中から救い出す希久男の姿が描かれるところから始まります。そこには、陰惨極まる戦争の惨禍が描かれていきます。まずは、『ありとあらゆる物資が底をついていた』というあの時代の人々の暮らしを描写した箇所を見てみましょう。
『食料の配給は日を追うごとに乏しくなり、代用食、代用品、行列、買い出しは日常茶飯事となっていった。主食はじゃがいも、かぼちゃ、さつまいも。おかずが不足すれば、蜂のさなぎ、いなご、バッタ、どんぐりまで食べて、空腹をしのいだ』。
『一億一心。一億総決起。欲しがりません、勝つまでは』という厳しい生活の中、戦況はどんどん悪化していきます。そんな中に『無数の焼夷弾をばらまいて都市を丸ごと焼き尽くしてしまう、無差別絨毯爆撃』が開始され、日本各地の都市は次々に焼かれていきます。希久男の暮らす岡山にも『六月二十九日の未明』に『百四十三機のB29が』『無差別絨毯爆撃』を行います。
『寝静まった民家の上に、夜空から、雨あられのようにばらばらと、焼夷弾がばらまかれた。罹災者数、十万四千六百人。死者、千七百二十五人』
『空襲警報が発令されなかったために、のちに「岡山無警報空襲」』と呼ばれることにもなる紛れもない史実の物語がそこに描かれていきます。物語には、上記でダイジェスト的に記した通り『焼夷弾』によって焼き尽くされた街の有り様が描写されてもいます。
『この臭いはいったい、なんの臭いなのだろう。いったい何が焼けたら、こんな臭いが出るのか』。
そんな希久男の疑問の答えを『そばを通り過ぎ』た『リヤカーが教えてくれ』ます。
『リヤカーの荷台にうずたかく積み上げられていたのは、焼け出された人々の亡骸だった。上半身はそのままで、下半身だけ焦げて炭のようになっている人。手足が奇妙な形にねじ曲がっている人。白目を剝いて息絶えている人。幼子を抱きかかえるようにして、焼死している母親。はだけた胸もとから、まっ黒な乳房がのぞいている』。
そんな『リヤカーを追いかけるようにして、追いすがるようにして、「おかあちゃーん、おとうちゃーん」』と、『泣き叫びながら走ってくる女の子の衣服も、肩から胸にかけて、焼け落ち』、『髪の毛はちりちりに焦げ、泥だらけの顔はすいかのように腫れ、あらわになっている皮膚は焼けただれて赤紫に変色してい』ます。『後頭部には、ぱっくりと割れたざくろのような傷。髪の毛を伝って、したたり落ちている血液』という女の子。希久男は、『この子も死ぬのだろうか』と思う中に『これは地獄だ』と思います。
作者の小手鞠るいさんは、戦争の悲惨さを訴える作品を多々刊行されています。”ディベート”という形式を用いて原爆投下の是非を考える「ある晴れた夏の朝」、先の戦争の裏にあった人びとの暮らしに光を当てる「見上げた空は青かった」など、今までに読んできた小手鞠さんの作品は時間を空けても私の中に深く刻まれている印象深い作品です。そんな小手鞠さんは、戦争を描く作品を執筆する理由を”戦争をなくすために私のできること”と、説明されています。この「アップルソング」という作品もまさしくその系列に属する作品です。作品冒頭に描かれていく戦争の悲惨さを描く描写の数々は、私たちにその意味を強く問いかけるものでもあると思いました。
一方で、この作品は先の大戦だけを描くものではありません。というのも実質的な主人公である鳥飼茉莉江は大戦末期に生まれ、空襲の中で、瓦礫の下敷きになってしまったところを希久男に助け出されました。そうです。茉莉江自身に先の大戦の記憶が残っているはずもなく、茉莉江が主人公となる物語は、その先に大人になり、『報道写真家』となった先にこそあるのです。物語では、そんな茉莉江が赴く先のさまざまな出来事を描いてもいきます。これがこの作品にとんでもない奥行きの深さを付与してもいくのです。では、物語に描かれる数多の事件・事故の中から三つを見てみましょう。『一九七六年四月』、『Searching Monthly』という雑誌の『注目のアーティスト十二人』に『報道写真家』として掲載された茉莉江。そんな彼女が撮った写真とされる三枚に残る事件の数々です。
・『新宿駅西口地下広場での反戦フォーク集会。機動隊によるガス弾発射。1969年』
→ 『アメリカは、日本から出ていけー』と『絶叫する大勢の声』。『人々の輪の中央で、数人の男たちがギターをかき鳴らしながら、唾を飛ばしながら、歌っている』。そこに、『機動隊か警察官と群衆の衝突、それに便乗した小競り合いが発生』し、『機動隊が発射した催涙ガス入りの爆弾が炸裂』…。
→ 『とにかく、撮らねば。撮るのだ。私にできることは、それしかない』と『シャッターを押しつづけた』茉莉江
・『長野県軽井沢で、連合赤軍が起こした浅間山荘事件。山荘破壊の現場 。1972年』
→ 『女性ひとりを人質』に『河合楽器の所有する保養所「浅間山荘」に』立て籠った『連合赤軍のメンバー』五人。母親らの『説得工作』も上手くいかず…という中、『巨大なクレーン車』が現れると、『「モンケン」という、重さ約一・五トンの』『黒っぽい鉄球』を『壁にぶち当て』、さらには『穴を目がけて、高圧の放水』を開始します…。
→ 『恐いけれど、私は後ずさりはしない』と、『狙いを定めて』『シャッターを』『切りつづけた』茉莉江
・『東京丸の内の三菱重工業東京本社ビル前で時限爆弾が爆発。死者八人。1974年』
→ 『「東アジア反日武装戦線」と名乗る過激派グループに属する、四名の実行犯』。『三菱重工業東京本社ビル』に『時限装置付き』の爆弾が仕掛けられ『十二時四十五分』に爆破。『亡くなった人』八人には『それぞれ名前があり、家族があり、家族と営む日々の暮らしがあ』った。爆発によって『ざわめきやどよめきで騒然としている路上』…。
→ 『これは私の信念。私の仕事は「そこへ行くこと」。なぜなら私は「報道写真家」なのだから』という茉莉江
1969年から1974年にこの国で実際に起こったこれらの事ごとをどのように捉えるかは、このレビューを読んでくださっているみなさんの年齢にもよると思います。まだ生まれていません、という方から青春時代でしたという方までみなさんの年齢もさまざまでしょう。しかし、後年になってそんな事ごとを知る起点は写真であり、映像であると思います。百聞は一見にしかずと言う通り、目からストレートに入ってくる事ごとのインパクトは絶大です。この作品の主人公である茉莉江は、それぞれの事件の現場へと赴き必死の思いでシャッターを切っていったのです。そして、茉莉江の行き先は国内に限りません。紛争は世界各地に及びます。私が一番衝撃を受けたのは『ロシア軍によるチェチェン侵攻』でしょうか。
『肛門から電気端子の片方を突っ込まれ、ペニスの先にもう片方を取りつけられた上で、通電され、長い時間をかけて、悶え死んだ』。
『戦闘行為に関与しているかどうかを調査する』という目的で『選別収容所』へと送られるチェチェンの人たちの行く末。その『拷問』のあまりの恐ろしさに言葉を失います。先の大戦でユダヤ人が連行されたアウシュビッツを彷彿とさせるかのような『収容所』が設けられたのは、なんと一九九九年のことです。決して歴史の中に埋もれる過去などではないほんの少し前の出来事です。そしてそんなロシアは今もウクライナに無差別攻撃を行っている現実があります。私たちの生きるこの世界の現在進行形の恐ろしさを改めて感じると共に、そんな危険な場へとカメラを片手に駆け回る『報道写真家』という職業。そんな彼女らのことを思うと、なんとも言えない思いが湧き上がります。
そんなこの作品の主人公が茉莉江です。しかし、冒頭にダイジェストで記した内容にはもう一人、茉莉江のことが書かれた記事を第三者的に見る美和子という人物の語りも登場します。この作品は章題のない4つの章から構成されています。物語は、希久男によって瓦礫の中から助け出された茉莉江が海を渡ってアメリカ・シアトルへ渡り、やがてニューヨークへと移り住んでいく様子が描かれていきます。そんな中では、さまざまな人物と出会いが茉莉江を突き動かす原動力ともなっていきます。そして、その先に『報道写真家』としての道を歩み始める茉莉江。そんな茉莉江が赴いていく場が上記したさまざまな事件の現場です。一方で、美和子はそんな茉莉江の人生の歩みを追うように登場し、物語はそんな二人の視点を切り替えながら展開していきます。美和子とは何者なのか、茉莉江とはどういった関係性にあるのか、これが全編を通して貫かれる一つの謎です。この作品を読む読者は間違いなく、美和子とは何者なのか?という点にも意識は向くでしょう。しかし、それはあくまで一つの演出材料に過ぎません。そこにメインに描かれていくのは、あくまで『報道写真家』としての茉莉江の生き様を描く物語なのです。
『カメラは私にとって、コンタクトレンズのようなものです。私の目に「世界」をくっつけてくれるのです。残酷な世界の裏側に隠されている、愛おしい世界、愛おしい風景、愛おしい人たち、愛おしい生き物を、カメラは私に見せてくれるのです』。
『カメラ』について自らの想いをそんな風に語る茉莉江。そこには、『愛おしい』と思ってやまない対象を見据える茉莉江の眼差しの行方を見ることができます。そんな茉莉江は、『報道写真家』として生きる想いをこんな風に語ります。
『この世界は、美しくないもので満たされている。この世界は、美しくない。醜い。むごい。残酷で冷酷だ。非情で非業だ。私は、この醜い世界を撮りたい。悪、憎悪、暴力、虐待、争い、奪い合い、殺人、殺傷、殺戮、人の悪がもたらす悲劇。私はそれらを撮りつづける』。
そんな想いの先に自らの人生をかけて、世界各地の事件・事故の現場へと赴いていく茉莉江。その人生はあまりに壮絶であり、読者は息をつく暇なく、そんな彼女の人生の軌跡を追うことになります。そして、そんな物語がその最後に描く物語、そこには、茉莉江という『報道写真家』が持つ真の優しさに涙する、感動的な結末が描かれていました。
『恐いけれど、私はあとずさりはしない。なぜなら、私は戦禍の炎のなかから、生まれてきたのだから。一度は死にかけた命なのだ』。
そんな想いの先に『報道写真家』としての人生を駆け抜けていく茉莉江の人生が描かれたこの作品。そこには、”戦争をなくすために私のできること”を思い、戦争を扱った作品を書き続けられている小手鞠るいさんの深い洞察に基づく奥深い物語が描かれていました。先の大戦から半世紀の間にどれだけ多くの事ごとが世界を震わせたかを改めて思うこの作品。そんな事ごとを写真によって私たちにわかりやすく見せてくれる『報道写真家』という職業の貴さを思うこの作品。
読後しばらく放心してしまった圧巻の物語。このような素晴らしい作品を届けてくださった小手鞠るいさんに心からお礼を申し上げたい、傑作中の傑作だと思いました。
Posted by ブクログ
「私のてのひらの中に、一冊の雑誌がある」
この書き出しで本書ははじまる。1976年に発行されたこの雑誌「Searchlight Monthly」には、当時頭角を現しつつあった日本人の報道写真家「鳥飼茉莉江」についての記事が載っていた。「私」はこの写真家の生い立ちから亡くなるまでを調べている。だが、「私」については「美和子」という名前以外、どんな人物で、なぜこの報道写真家にそれほど興味があるのかは、物語の終盤まで明かされない。読者は「私」とともに、報道写真家鳥飼茉莉江の数奇な人生をたどっていく。
1945年、岡山で激しい空襲がある。戦時動員の訓練中だった14才の鳥飼希久男は急いで家へ戻るが、家屋は跡形もなく、家族の生存は絶望的と知らされる。呆然とする希久男にかすかな赤ん坊の声が聞こえてくる。希久男はその声で、家に赤ん坊がいたことを思い出す。父の姉が神経を病んでいたため、その姉の乳飲み子を預かっていたのだ。それがその子の声だと確信した希久男は、慎重に瓦礫をどけながら、火傷を負った赤ん坊を救い出す。それが茉莉江だった。
希久男とともに親戚に預けられた茉莉江は、そこの女の子たちと姉妹のように暮らすが、やがて突然迎えに来た母親に連れられ、アメリカへ渡ることになる。船の中で出会うフルブライトの学生たち、電車の中で茉莉江を「日本鬼子」と罵倒する中国人等、当時の世界の様子を様々取り入れながら物語は進行し、ある写真に魅せられた茉莉江は写真家を志すようになる。
やがて彼女は、新宿駅西口の反戦フォーク集会、浅間山荘事件。三菱重工本社ビル前の爆弾事件、そしてニューヨーク同時多発テロ等を報道写真家として追い、人間について、世界について考えていく。
「私ののてのひらの中に、一枚の写真がある」
「私のてのひらの中に、声がある」
「私のてのひらの中に、一個のカセットテープがある」
茉莉江の人生を追う物語は、カセットテープから流れる彼女の講演で幕を閉じていくのだが、とにかく素晴らしい小説である。私は人より余計に本を読む方だと思うが、この小説は私にとっては別格だった。著者に敬意を表し、この本と出会えたことに感謝したい。是非多くの人に読んでほしい本である。