【感想・ネタバレ】「NO」から始めない生き方 先端医療で働く外科医の発想のレビュー

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Posted by ブクログ

ネタバレ

すごい人だー!
普段、「生き方」とか「考え方」とか、「○○の方法」とか、そういう自己啓発系の本はほとんど読まないけど、書店でパラパラとめくってみたところ、一人の外科医の方が自分の仕事について語っているエッセイみたいな本かな?と思って興味を抱いて購入しました。
著者名からは思い出さなかったけど、読んでみると、そういえばコロナ禍でのニュースで、ニューヨークで活躍する日本人医師がコロナに罹って、重症化から生還したっていうニュースを見た覚えがあって、そのときに、もともとアメリカで高い評価を受けている移植医療が専門の日本人医師、という感じで伝えられていたので、すごい日本人医師がいるんだなー、こんな優秀な人材をみすみす死なせてはいけない、ということで、同僚の医師たちが必死になって彼の命を救ったのか…と思った、その先生ですね。
さて本書では、1・2章は加藤医師の基本的な考え方、3~7章はこれまで行ってきた難しい手術の実例が、患者さんとのやりとりも含めて詳しく書かれていて非常に興味深い。医学の専門的なこともわかりやすく、図解も入れて書いてある。でも何より、患者さんとのやりとりが人間的魅力にあふれていて素晴らしい。しっかりと「病気(腫瘍とか)」そのものに向かい合うプロの医者でありながら、患者さんの心や、家族などのバックグラウンドにも寄り添って、冷静でありながら温かく、使命感にあふれ、前向きで、タイトルの「NOから始めない」の通り、柔軟でチャレンジングな発想で医療に向き合ってきたいろいろな体験が、ありのままに、分かりやすい言葉で綴られている。私は教育や心理学、社会学関係の本を読むときも、やっぱり具体的な事例を読むのが好きなので、この本でもたくさんの難しい手術の事例はとても興味深く読めた。
8章以降は加藤医師が「仕事」に向き合うときの考えかたや、これまでに学んできたことが、こちらも平易な言葉で書かれていて、医者に限らずどんな仕事にも通じる内容でとても共感したし、私もそうありたいと感じた。
特に印象に残ったというか、私なりに解釈して、大事だなと思ったことは、どんなことからも学ぶ姿勢をもつ謙虚さ、かな。自分と違うタイプの医師からも学ぶ。患者さんの一言からも学ぶ。困難にぶつかったときに、そこからも学ぶ。うまくいったときも、自分の力でうまくいったと奢らず、うまくいった理由を考え、そこから学ぶ。謙虚で、感謝の気持ちをもつことは、次につながるし、人として成長するためにとても大事だと思った。
私もそうありたい。
文庫版増補章として、ご本人がコロナウィルスに感染して生死の境をさまよった経験、子どもの頃の思い出、医師になるきっかけ、いかにしてアメリカで働くことになったか、などオマケ(?)で加藤医師の来し方を読めてお得感満載です。

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2022年02月05日

Posted by ブクログ

p.127 外科医の技術は言葉を超える。
・・・たとえば、LASIXという利尿薬を日本では「ラシックス」というが、あめりかでは「レーシックス」と発音する。利尿薬としてはもっとも基本的な薬だから、これを知らない医者はそうそう居ない。しかし、米国に来たばかりの頃、「レーシックス」と言われたとき、僕はなんのことかわからなかった。看護師は両手を広げ「お手上げ」といったような身振りをして、去っていった。言われたことがわからない、たとえわかっても答えられないとモノを知らないと思われてしまう。確かに、言葉の伝わらない相手を見て、言葉はわからないけれど、本当は中身を知っていると考えることは普通に考えれば難しい。くだんの指導医だって、言葉が話せない僕が実は技術は持っているかもしれないとは考えられなかったわけだ。これはある意味では当たり前である。アメリカにはたくさんの人間がアメリカ以外からやってくる。職や教育を求めて米国に来た人間が英語で話をするのは当たり前だ。アメリカ人はそう考える。日本人の場合は違う。外国人が日本語を話せるとはもともと期待していない。だから、言葉が話せることと中身がわかっていること、技術をもっていることは別だとはじめから理解しているのだ。
 このアメリカ人の考え方は、英語が世界共通語になっていることを背景にしたアメリカ人のおごりと思う人がいるかもしれない。でも、そうだと決めつけられないところもある。アメリカの職場ではその人がそれまで何をしてきたかということよりも、その時何が出来るのかということでその人間を判断しようとする傾向がある。つまり、能力のある人間には公平にチャンスを与える。その人が若いか年をとっているか、どこの大学を出たのかなどはあまり大きな判断材料ではない。そういう意味では英語が話せない=能力がないという考え方は一見乱暴に思えるが、公平に能力を判断するという姿勢の現れでもあるのである。僕にとってラッキーだったのは、たまたまその誤解を解くチャンスが巡ってきたこと、そして外科医の技術は言葉がなくても伝わるということだ。さらに、いったん能力があるとわかれば、それまでの経緯とは無関係に先に進むチャンスを与えるというアメリカのやり方の中で、僕はそこからどんどん先に進んでいくことになった。あの手術はそういう意味で僕の人生変える大きな転機だった。

p.228 子どもの頃に、僕は父親から教えられた。世の中には3つ、守秘義務の課せられている仕事がある。神父、弁護士、そして医者だと。なぜ?と聞くと、「3つとも、人間に深く関わるからだ」と答えられた。僕が成人してからも、ずっと覚えている話だ。3つとも、相手の情報を他言したり、相手の同意なく他者と共有することは禁じられている。日本ではこれは刑法上にも定められた義務である。例えば、神父は、告解(こっかい;懺悔)に訪れた誰かが「殺人を犯しました」と明かしても、通報する義務はない。その本人がもし捕まって裁判にかけられても、「殺人をしたと自白しました」と証言に応じる責任は、ないのだ。もちろん、弁護士も医者も依頼者や患者の情報を他言することは許されない。だからこそ、人間の一番深い本質に迫ることが出来る。「人とふれ合う」究極の仕事だと思う。その重責に耐えられないひともいるかもしれない。しかし僕は、「人間に深く関わる仕事」だと聞いたとき、逆にそこにやりがいを感じた。医者という仕事は、僕の天職だと思う。
「物」を観察することでは得られない直接人と関わる医者という仕事の魅力。大学の研究者時代にあらためて確認した。人と関わることの大変さと責任を背負って、患者とともに病と闘うのが、僕の生き方なのではないかと思ったのだ。

p.232 「アメリカから見たら、大阪と東京の差なんて、これっぽっちしか違わないんだぞ」と言った。その通りだった。アメリカは大きな国で年ごとに時差があることもあるし、移動はかなり長時間の作業だ。しかし日本からアメリカに行くとしたら、東京から行こうと大阪から行こうと、ほとんど関係ない。アメリカに行くんだったら、日本のどこで医者になろうと、同じだ。そうか、僕はアメリカに行けばいいんだ。海を越える距離のスケール感を頭に描いたとき、迷いが消えた。大阪から、さらに外に出たい、アメリカに行きたいと強く思ったのだ。

p248 「本物」であることを問われる時代
ビジネススクールでAuthenticityということをテーマにした授業があった。日本語で言えば「本物であること」という意味だ。これからのビジネス社会では、人脈や投資のセンスだけではなく、Authenticityを持つことが、大切だと思う。それはつまり自分自身が、本物であること、かつ本物か、本物でないかを見極める、眼力を持つことだ。いまの時代はSNSで、あっという間に情報が拡散される。発信する側にとっては便利な環境だが、そこにある情報からいろんなひとに、見測られているということも忘れてはならない。偽物は、すぐに見抜かれる。そのような時代に求められるのはAuthenticityを持つ人間だ。「本物」であり続けるということを、怠ってはならない。逆に言えば、社会は「本物」以外を、淘汰し始めているのかもしれない。Authenticityは社会で認められるための重要なキーとなった。それを自覚する必要があるということを学んだ。
 僕は本業以外に音楽で英語を学ぶという趣旨のラジオ番組(「イングリッシュ・ジュークボックス」TOKYO FM)や漫画で英語の表現を学んでいく週刊誌の連載(「人生で必要な英語はすべて病院で学んだ」週刊新潮)もしている。Authenticityという面でいうと本業と違うことをするのはあまり良くないのかもしれない。ただこれには、別の理由がある。アメリカに初めてきたときにはとにかく英語で苦労した。そんな僕も今では堂々とハイレベルの論議が英語でできるようになった。英語なんて内容が伝わればそれでいいんだ。と思われてる人も多いかもしれない。でも、相手の小事に響く英語ができるように鳴ることは、国際社会に中で信頼を得るためには必須である。これからは翻訳機の時代だから英語なんか勉強する必要はないと思うかもしれない。でも翻訳機で会話する人間と信頼関係を築くのは難しい。英語はアメリカ人と会話するための手段ではない。国際語である英語を使いこなせるようになることはまだまだ大切だと思う。

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2022年02月13日

Posted by ブクログ

筆者の「人と関わるのをやめることはできない」という言葉に共感する。切除不能と言われた病を、どうやって治療するのか。それにはきちんとした考えや、計算があってのことでただ闇雲に手術を推奨している訳ではない。
2014年に移植病棟24時で抱いた思いが蘇ってきて、あぁこの感じ、やっぱりすごいなぁと感じた。
たくさんの思いに動かされてここまで来て、ここから10年、またどんな進化を遂げられるのか楽しみです。コロナからの回復力もすごい!

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2022年02月12日

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