【感想・ネタバレ】いのちの政治学 リーダーは「コトバ」をもっているのレビュー

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Posted by ブクログ

2023/02/03
【感想】
日本に蔓延している“閉塞感”の原因について、最近考えている。その中で、似て非なるものを混同してしまっている現状を感じていた。
この本では、言葉とコトバ、命といのちは異なるというスタンスから始まる。どちらも前者はとても記号的で無機質なように感じる。
「コスパ」なんて言葉がもてはやされ、遂には「タイパ」という言葉も耳にするようになった。そんな社会では、殺伐としてしまうのもやむを得ないなぁ、なんて考えた。

この本を読んでいて一番思考したことの一つは「寛容さ」だ。この寛容さを考えたときに、最もしっくりした例えは“おみそ”だ。
子供の頃、友達の弟や妹たちと一緒に遊ぶときに“おみそ”システムが活用されていた。良い意味で包摂する考え方は、まさにこれではなかろうか。参加したい!という思いを尊重しながら、我々も楽しむ。こんな政治が営まれるようになると、世界は寛容になるのではなかろうか。

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2023年02月03日

Posted by ブクログ

正月から良い読書体験ができた。信頼関係のある二人の対談集なので相補的に「コトバ」豊かな内容が広がっている。取り上げられたリーダーは、聖武天皇、空海、ガンディー、教皇フランシスコ、そして大平正芳。大平氏は「アー、ウー」の人というイメージだが、その「アー、ウー」に「コトバ」を生み出す思索があるというのは言い過ぎな感じもするが、氏の生き様も踏まえての評価では理解できた。ともに利他の研究家であるが、「利他というのは、自分が受け手になった時に始まる」「意識して利他の発信者になろうとすることは、逆に利他の暴力になる可能性が大きい」というのは日々の日常臨床では感じるところ。「いのちの政治学」というのは「私のいのちを守る」ことではなく、私とつながるすべてのいのち、そのつながりそのものを守ること、いのちは時間を越えて過去や未来も包含するので、亡き人、未来の人ともつながることが「いのちの政治学」。そのいのちを生かすために重要なのが「リーダーの選び方」と若松氏がしめてくれた。

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2023年01月08日

Posted by ブクログ

「大切な思いが『言葉』にならないことって、私たちにはよくあると思います。『言葉』にならないからといって、その思いが存在しないというわけではありません。時に沈黙の方が雄弁であることさえあります。」

政治は観察するものではなく参与するもので、今の私たちはその参与意識が極めて低いのだと2021年最も強く感じたことだった。リーダーが変わってもそれを選ぶ私たち自身が変わらなければ何一つ問題は解決されないのだ、受け手側に問題があるのだ、と知ることができた。

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2022年01月06日

Posted by ブクログ

行政には、楕円形のように二つの中心があって、その二つの中心が均衡を保ちつつ緊張した関係にある場合に、その行政は立派な行政と言える。      大平正芳 
(引用)いのちの政治学 リーダーは「コトバ」をもっている、著者:中島岳志、若松英輔、発行所:株式会社 集英社クリエイティブ、2021年、253

本来、危機的な状況に陥ったとき、一国のリーダーの発する言葉は、とても重たいはずだ。時としてリーダーは、新型コロナウイルス感染症拡大時における都市封鎖(ロックダウン)や飲食店の営業時間短縮要請など、国民に対して厳しい措置を取らなければならない。いや、国民への影響だけに留まらない。一国のリーダーであれば、複雑化する外交問題をはじめ、我が国への入国規制など、世界的な影響も及ぼす。

このたび、集英社クリエイティブから「いのちの政治学 リーダーは「コトバ」をもっている」が発刊された。日ごろから、私も”言葉の力”について、興味を抱いていた。我が国は、「言霊(ことだま)」といい、古から、日本人は、言葉に宿る力を信じてきた。
しかしながら、この本の帯には、「なぜ日本の政治家はペーパーを読み上げるだけで、表層的な政策しか語れないのか」とある。私は、書店でこの帯を見て、「いや、違う」と思った。長い我が国の歴史において、「語れない」のではなく、「語れなくなった」のではないかと思った。少なくとも、自分が幼少期の高度経済成長時代においては、我が国のリーダーの言葉は重かったように思う。そんなことを思いながら、「いのちの政治学(以下、「本書」という)を拝読させていただくことにした。

本書では、聖武天皇、空海、ガンディー、教皇フランシスコ、そして大平正芳元総理大臣という5人の人物に焦点を当てている。そして、この5人の足跡を辿り、危機の時代において、人々に心の平穏を与える「真のリーダー」像に迫ることを試みている。
まず、本書のよいところは、政治学者である中島岳志氏と批評家である若松英輔氏という、東京工業大学のリベラルアーツ研究教育院教授による対談形式ということである。この対談は、歴史的史実をもとに、高等学校で学んだ日本史や世界史のレベルに留まらない。本書に登場する5人がどのような「コトバ」を発し、どのようにリーダーシップを発揮したのかという視点で、分かりやすく解説してくれる。

本書を読み始めて、私は最初に登場した聖武天皇から、すっかり魅了されていった。現在と同様、聖武天皇が即位した時代も天然痘に悩まされていた。しかも、大震災や大火災などの発生なども重なり、まさに危機の時代であった。そのなかで、聖武天皇は、「鎮護国家」の発想により、東大寺の大仏、つまり巨大な廬舎那仏の建立しようとする考えに至る。
本書では、聖武天皇のコトバである「大仏建立の詔(みことのり)」が紹介されているが、なぜ、人々は聖武天皇から強いられることなく、自律的に廬舎那仏建立に関わっていったのかといった解説が素晴らしい。そこには、人間は「与えられる」だけではなく、「与える」存在であるといった本質を突いたコトバがあった。

ここで、「言葉」と「コトバ」の違いについて触れておきたい。本書では、哲学者の井筒俊彦氏の定義を引用し、言語によって伝えられる「言葉」とは別に、その人の態度や存在そのものから、言葉の意味を超えた何かが伝わってくるようなものを「コトバ」と呼んでいる(本書、15)。

では、どうしたらリーダーは「コトバ」を発することができるのだろうか。

本書の中で、私は、ヒンディー語で「与格(よかく)」という独特の文法があることが参考になった。例えば、「私は悲しい」というときも、主語を「私」にしない。直訳では「私に悲しみがやってきて、とどまっている」という言い方をするという(本書、25)。
まず、現在のリーダーは、「私は、〇〇と思う」というように自分の考えを伝える。しかしながら、本書で紹介されているリーダーたちのコトバは、「私」を主語にせず、社会的弱者の代弁者として語っている。実は、私も実生活で感じるところがあるのだが、人間として苦難や感情を経験するために、あたかも見えないところからその出来事がやってくる。それを私は、ただ受け止めるだけという感覚に至り、「与格」という文法が誕生したのではないだろうかと思う。このことは、本ブログの後でも触れたい。

本書の最後には、大平正芳氏が登場する。なぜ、歴代の総理大臣の中で大平正芳氏なのかといった疑問が湧く。しかし、本書を読み進めていくうちに大平氏が敬虔なクリスチャンであったこと。しかも、本書で先に紹介された4人と共通する部分が多いことに驚かされた。
冒頭、行政の大平氏のコトバを紹介した。行政は、納税者と受益者の均衡にあるという。常にこのことを考え、行動している政治家や公務員はどのくらいいるだろう。納税者に偏りすぎず、受益者に偏りすぎない。この絶妙な均衡に行政は成り立つ。
このことは、「中庸」という言葉にも繋がる。普通、「中庸」といえば、2つの均衡であることを指す。しかし、私は、本来の「中庸」とは、この2つの楕円の均衡点から何かが生まれて立ち上がってくるという意味も知った。よく、経営者の座右の銘として「中庸」を掲げるかたも見受ける。そこまで、理解しての上で、座右の銘とされたのだろう。常に、「中庸」であるかを意識すること。これもリーダーの重要な資質の一つとして捉えてよいのだと感じた。と同時に、まさに今、新型コロナウイルス感染症拡大という危機を迎え、大平正芳氏が内閣総理大臣であれば、我が国の難局をどのように乗り切ったのだろうかと思い馳せた。

本書に登場するリーダーたちに共通する点は、「寄り添う」というほかに、先ほど「与格」のところでも触れたが、リーダーは、「見えない力」を信じているということだ。
私は、宇宙や天からの「見えない力」によって出来事がもたらされ、天の摂理に基づいて自分を信じ、人々を動かしているように思えた。
だから、ここに登場したリーダーたちは、危機発生時、その「見えない力」に助けを求めるべく、人々とともに祈り、人々に寄り添い、奉仕した。だから、リーダーから発せられるコトバは、祈りであり、人々の声であり、希望でなければならいと感じた。

本書には、偉人たちによる人々とともに危機を乗り越えようとするリーダーたちのコトバで溢れていた。私は、偉人たちのコトバに触れ、表層的では決して終わらない、リーダーとしての神髄を知ることができた。

巷に溢れた、どの「リーダーシップ」に関する書籍より、今を生きるリーダーたち、そして本気でこれからリーダーを目指す若者たちに、まずは、本書の一読をお薦めしたい。

危機に立ち向かうリーダーとして、「コトバ」という武器を手に入れるために。

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2021年12月04日

Posted by ブクログ

なかなかの良書です。リーダーの言葉が重要視されるなか、自らの言葉で語り、統計上の「命」ではなく一人ひとり「いのち」に向き合った人物として、①聖武天皇、②空海、③ガンジー、④聖フランシスコ、⑤大平正芳、を取り上げて論評しています。
コロナ禍での独・メルケル首相の演説はつとに有名ですが、(原稿の棒読みではなく)こうした言葉が出てくるのは、「無私」であり他者の痛みが分かったうえでの「利他」であると論じています。
いずれの人物についても、歴史背景や文献・原典を精緻に考証しており、良心的な記述の読後感は「清涼感」という印象です。「終章」の結論として、「すべてのいのちを生かすために重要なのがリーダーの選び方」という点は、常に考えておかなければいけない論点と思いました。

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2021年11月11日

Posted by ブクログ

大平正芳については、中島岳志さんが以前評価されいたのを知って、「あー、うー」の人が?と意外な感じだった。この本を読んで、確かにリーダーにふさわしい人だったと思った。誰かに書いてもらった原稿を読み上げるだけの政治家、自分の主張だけをペラペラ喋りまくる政治家と比べて、「あー、うー」と逡巡しながら自分の言葉で、内容のあることを、責任を持って話す政治家を持てた時代がうらやましい。薄っぺらで軽く、弱い者に優しくない、冷たい政治家は、私たち国民の鏡なのだろう。

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2022年10月21日

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