岡田芳朗のレビュー一覧

  • 暦ものがたり

    Posted by ブクログ

    ネタバレ

    著者は、日本史、殊に暦についてを専門にしてきた人だという。
    プロフィルによると、その道に進んだきっかけは、神武天皇の紀元の計算方法に疑問を持ったことだそうだ。
    本書第二章にも、その話が出てくる。
    ここか一番、目からウロコの話だった。

    聖徳太子は、隋と対等な国交関係を築こうとして、中国で権威のあった「讖緯説」により建国の年代を定めた。
    まだ若い国家だとして軽視されないよう、後漢の鄭玄の説に則り、当時(推古天皇九年)から、1260年遡ったところを神武天皇の建国と定めた、というのだ。
    そのために、当時残っている伝承と整合的な説明が出来ず、国史の編纂者たちは混乱して、天皇をやたらに長寿することでつじつまを合わせたのだ、と。

    それ以外にも、面白い話はたくさんある。
    大学の日本史の講義で聞いた、明治の改暦も、聞いた以上に詳しく説明されていて、満足。

    0
    2012年11月05日
  • 日本の暦 旧暦と新暦がわかる本

    Posted by ブクログ

    ネタバレ

    世界と日本にいろいろな暦があることが解った。
    閏月など、暦の仕組みにより、昔の日付は、西暦と和暦とで年だけ変えて日にちを同じにしても合わないということが解った。

    0
    2012年03月02日
  • 南部絵暦

    Posted by ブクログ

    ネタバレ

    標題からは、いつの時代のどういうものかわからなかった。
    南部といえば、南部鉄が代表だと思っていた。
    絵暦といっても、暦に絵が描いてあるのだろうかという想像しかつかなかった。

    文字が読めない人のための暦として、絵暦が普及していたことを本書で始めて知った。
    また、本書の図、写真は情報を一つの紙に収めるための技法としても、いろいろな考え方を教えてくれる。

    0
    2012年08月22日
  • 切手の歴史【電子特典付き】

    Posted by ブクログ

    1976年発刊書の文庫化による再刊。
    子供の頃、切手収集に夢中になっていた時の感動が蘇ってきた。
    切手は小さな紙片だけど、浪漫あるよね。
    お金がかかるようで、それほどでも無いし(1枚数十円〜数百円)

    0
    2025年02月24日
  • 改訂新版 旧暦読本 日本の暮らしを愉しむ「こよみ」の知恵

    Posted by ブクログ

    地方暦と官暦のことを知りたくて購入。十二辰刻法と時の鐘の関係、旧盆という言い方と月遅れ盆、土用が四季にある理由……そういうことだったんだというネタがいっぱい。伊勢暦を買ってしまった。

    0
    2022年11月24日
  • 日本の暦 旧暦と新暦がわかる本

    Posted by ブクログ

    暦が始まった経緯から現在まで発展していく過程が書かれており、また、発展の過程でどのような暦が生まれてきたかなど幅広く紹介している。

    0
    2011年02月13日
  • 日本の暦 旧暦と新暦がわかる本

    Posted by ブクログ

    日本の暦だけでなく、世界の暦にも触れてあって面白い。
    とくに明治の暦変更の話は、暦変更のための思惑の錯綜ぶりが興味深い。
    明治政府の貧しくも悲しい、強引な改暦、それに巻き込まれて大損する暦刷り会社。
    改暦一つで上手い政治家かそうでもないのかわかるような気がする。
    明治政府はあまり上手くなかったが、運がよかった?のかもしれない。

    0
    2010年05月26日
  • 改訂新版 旧暦読本 日本の暮らしを愉しむ「こよみ」の知恵

    Posted by ブクログ

    数年前に文庫本サイズの旧暦に基づいた72候(各24節気をさらに三等分したもの)が紹介されたものを購入し、それを勤務先の机の上に置いていて、時々眺めています。

    現在私達は、正確な太陽暦を用いていますが、旧暦は太陽や月の運行をもとに、閏月を入れて調整しながら行っていたようで、そのカラクリには興味があります。

    この本では、様々な暦や、それにまつわるエピソードを取り上げてくれていて、今まで読んだ中では一番面白かったです。今後も暦に関する本に触れていきたいと思いました。

    以下は気になったポイントです。

    ・昔、中国では、閏月には王様は宮殿で休むことが叶わず、町中のどこかの門の下で休まなければならなかったというところから字ができた(p18)

    ・太陽太陰暦においては閏月は、19年7閏法ができた、正確なルールとして、「中気を含まない月を閏月とする」という考え方が出された(p22)

    ・明治5年11月9日、改暦の詔書を発布して、「来たる12月3日を以て、明治6年1月1日とし、太陽暦を実施する」と発表した。11月は29日の小の月だったので、それまで約1300年間にわたり使用されてきた太陰太陽暦からの猶予期間はわずか22日(p30)

    ・明治6年は閏6月があることになっていた、また12月3日が新年なので、2日しかない12月の月給は要らないだろう、ということで2か月分節約できた(p31)

    ・漢時代から約2000年に渡って、一年の始めは、いわゆる旧正月、つまり立春前後(雨水を含む月)であった(p36)

    ・貞享元年(1684)には、渋川晴海によって作られた、我が国最初の暦法が完成して採用された。宝暦、寛政、天保と三度改暦が行われた。これ以降は全国の暦の内容の統一が計られた(p37、53)

    ・天保暦以降は、定気法を採用したので、中気と中気の間が短い秋から冬には閏月が起きにくくなり、春から夏に起きやすくなった(p56)

    ・ローマの新暦は3月であったが、シーザーがそれを改めた。執政官の就任が暦年よりも2か月早い1月からあったため。おかげで、セプテンベル(第七の月の意味)は、9番目の月になってしまった(p122)

    ・シーザー、オクタビアヌスは、勝手に自ら「神の座」についた。ユリウス暦の1月から6月までの月名は神の名前、残りの4つは数詞(p122)

    ・ユリウス暦は1年を365.25日としたので、実際の1年よりも11分14秒長くなる。128年経過すると誤差が1日に達する。16世紀には、10日もずれていた。そこで1582年に、ローマ法王グレゴリオ13世が新しい暦を制定。10月4日の次を10月15日にして、1年の長さを365.2425日と定めた。(p123)

    ・これはプロテスタントでは受け入れられず、ドイツやスイスでは1700年まで、イギリス関連は、1751年までグレゴリオ暦を拒否していた。ギリシア正教の国は、20世紀まで使っていた(p123、124)

    ・月齢から旧暦日付を求める計算方法、月齢の小数部分が0から4までの時は、整数に1を加える。5以上のときには2を加える(p132)

    ・五行には仲の良いモノと悪いものがある、仲のよいほうを相生(木→火→土→金→水→木)悪いほうを相剋、がある(p177)

    ・江戸時代には、夜明けを「明け六つ」、日暮れを「暮れ六つ」と呼んだ。夏は昼の一辰刻が2時間よりかなり長い、四季に応じて長さが違う(p232)

    ・江戸っ子の一日が始まる明け六つの時刻は、夏至の日は、3時47分(7時36分日没)、冬至の日は、6時11分(5時8分日没)である(p235)

    ・昼夜の長さがほぼ12時間になるのは、2月15日(5時56分、17時55分)あたりと、10月28日(5時25分、17時24分日没)(p239)

    ・運勢上の循環は、節分でいったん打ち切られ、立春から新しくなる(p256)

    ・門松の飾りつけが12月30日の夜までとされるのは、31日に飾るのは一夜飾りといって嫌われていたから(p270)

    ・12月14日の赤穂浪士の討ち入りの日は、新暦では翌年の1月30日、旧暦の14日はほぼ満月の月明り(p284)

    2015年12月31日作成

    0
    2015年12月31日
  • 暦ものがたり

    Posted by ブクログ

    ・岡田芳朗「暦ものがたり」(角川文庫)は、「あとがき」によれば、「年代順に章を立てており、通読していただければほぼ日本における暦の変遷をご理解いただけるもの」(273頁)である。ただ暦の歴史を述べてゐるだけでなく、暦にまつわる様々なことにも触れてをり、いささか大袈裟だが、カバーの「時代を映す暦の森羅万象がわかる!」といふのもあながちまちがひではない。暦の専門家や暦に縁の深い歴史家ででもなければ、このくらゐの暦の知識があれば十分であらうと思はれる。古代から近代まで、自然暦から太陰暦、太陽暦、更には皇紀まで、暦の「通史ではない」(同前)が、いささか「硬い本」(275頁「文庫版あとがき」)である。正直なところ、前半の近世以前のあたりは全く身近ではないゆゑにいささか読みづらい。それでも平安朝の日記と暦の関係等はおもしろく読める。それが貞享暦あたりからおもしろくなる。所謂旧暦で生きてゐなくとも、それなりに旧暦が身の回りにあり、その現行の所謂旧暦は、江戸時代の4回の改暦の最後の暦による 「天保暦もどき」(274頁同)だからである。
    ・天保といふのは文政の後で、明治維新まで30年といふ頃である。この少し前、「享和から文化頃」に「完全に現行のものと一致する形になったの」(206頁)が六曜である。六曜といふのは、暦の新旧を問はず、現代の生活にも深く関はつてゐる大安、仏滅等々といふあれである。これは気にするしないにかかはらず、慶弔中心に非常に広く使はれるので相当古くからあるのだらうと思つてしまふのだが、実は「六曜・ 九星・三隣亡は(中略)新しく登場したもので、さほど歴史の古くない」(200頁)ものであるといふ。九星は塚本邦雄が「六白嬉遊曲」な どといふのを編んでゐるが、私はほとんどこれを知らない。三隣亡も日めくり等に書いてあるのは知つてゐるが、それ以上は知らない。六曜は世間がそれを許さないところがあつて、筆者の言によれば、「いわばあやふやな『旧暦』によって六曜をはじめとして、種々の暦註が割付けられており、庶民はそれを一生懸命信奉している」(216頁)やうな状態であるから、なかなか気にせずにゐることはできない。では、いつかうなつたのか。「六曜は幕末頃にはかなり普及した占日法」(209頁)で、それも限定的に「勝負事や投機的な目的に用いられたもの」(同 前)であつたらしい。ところが明治維新以後、公許の官暦がおもしろくないといふので私製の贋暦が流行り、そこで用ゐられたのが六曜等であつた。これが庶民に受け入れられて現在に至るのである。先に引用したやうに、その昔の六曜の形、つまり用語は現在と同じものではない。意味も違ふ。そもそも最初の六曜は唐代に発案された(201頁)と言はれる「時刻の吉凶を占うもので」(202頁)あつた。そこでは大安や赤口が使はれてをり、日本でも天保頃までは使はれたらしい。ところが江戸に入つて以後、これが「日の占いに変り、解釈も日本独自のものが行われるようになり、元禄・正徳以後に今日のような順序に変化したものか」(206頁)といふ。さうして文化頃には用語も現行のものとなつたのである。新しいといへば確かに新しい。しかも非科学的である。それでもかういふものが使はれるてゐるのが現状だが、それを筆者の先の引用のやうに言つて良いものかどうか。筆者は「文庫版あとがき」で「やや硬い文章になっている部分もある。」(274頁)と書く。これなどもその類であらうか。私には所謂上から目線のやうに思へる。さういふところさへ気にしなければ、本書は暦に関はるかなりを知ることのできる重宝な書である。

    0
    2012年11月18日