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  • アウシュヴィッツの歴史

    Posted by ブクログ

    ポーランドにあるアウシュヴィッツ強制収容所。現在同地は世界遺産として海外ツアー客が年間150万人ほど訪れる場となっている。かつて第二次世界大戦時にヒトラー率いるナチス・ドイツが設置し、ユダヤ人根絶を目的に大量虐殺を行った場所、というのは誰もが知るところである。戦後のニュルンベルク裁判を始めとした各種戦争裁判などでも、その後何十年と同地を含むドイツが設置した収容所に関連する事件について裁きが継続されている。勿論今となっては収容所で虐殺を行なった側のドイツ関係者は、その大半が死亡しており、直接的に裁く事はできない。だが人間が同じ人間をいかに効率よく殺戮していくかを追求したアウシュヴィッツについては、今なお多くの研究がなされ、2度と繰り返してはならない戦争の悲劇を伝える象徴的な位置付けとなっている。
    アウシュビッツ強制収容所はナチスにより当時最大の複合施設として建設された。収容所は3棟。それら捕虜やヨーロッパ人各地から強制連行されたユダヤ人たち囚人の強制労働に使われていた。それらはナチズムに基づくアーリア人至上主義のもと、ユダヤ人の種の絶滅を目的とした収容所としても機能している。1940年5月より建設が開始され1945年までの期間、ナチス親衛隊やそれに準ずる部隊により、110万人から130万人(150万人とも)が、この収容所に移送されてきたと推定される。そのうち110万人はここで銃殺やガス施設などで殺害された。このうち、ビルケナウは第三収容所として1941年より建設開始されたものであり、絶滅を目的とした最大規模の収容所である。ここでかの有名なツィクロンBガスを用いたユダヤ人の殲滅が行われた。
    ユダヤ人を始めとする囚人たちは、到着後すぐに選別が行われる。働ける男子は強制労働へ、そうでない老人、子供、女性たちは、連行するなり直ぐに衣服を剥ぎ取られ(それらはドイツ国民や兵士のために再利用される)消毒と称した設備に向かう。そこでガスにより殺害されたのち、そのまま死体は焼かれるという流れである。これを書いているだけで、吐き気をもよおす様な凄惨な風景が思い浮かぶのだが、当時のナチス・ドイツが如何に神がかり的な思想に支配され、それに抗えない兵士たちの気が狂った表情までもが思い浮かぶ様な地獄の様相だ。戦後、それらドイツ側の関係者はその数の多さに、直ぐには捕縛されず長い年月をかけて逮捕され、裁判にかけられている。戦後のドイツ政府のこうした姿勢は一定の評価がなされているものの、やったことに対する当然の行為といえばそれまでである。
    ナチス・ドイツ崩壊の1941年1月にはソ連がアウシュヴィッツ周辺まで侵攻し、残された囚人を解放するが、その多くは餓死寸前の状態だったという。現在その敷地や遺品などがアウシュビッツ・ビルケナウ国立博物館として保存・公開されており、前述した様に戦争の悲劇を繰り返さないための平和教育の一環として、世界中からの訪問者を受け入れている。
    本書はそうしたよく知られている事実のみならず、その設立からの施設の使用や増設の過程、最終的にガス設備が設置され、殺戮だけを目的とした設備に変遷していく流れを理解できる内容となっている。設備の詳細や薬品研究、戦後関連企業がどうなっていったか、そこに従事した職員の戦後に至るまで、アウシュヴィッツを中心とした史上最大の民族殲滅の歴史について、俯瞰的に学べる一冊である。

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    2026年09月19日