野々村馨のレビュー一覧
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筆者は普通のサラリーマンだったが、突然出家し永平寺に入る。頭をまるめ、門をくぐる一日前からの様子、永平寺での修行の生活が事細かにつづられている。 先日、永平寺に行って献茶式に出席し、そのとき感動したことが、彼の言葉によって何故だったのかがわかったような気がする。 永平寺での修行は、朝起きてから夜寝るまで、すべて、起床も、洗面も、食事も、入浴も、仕事も、もちろん座禅も、トイレさえも定められたとおり行わなくてはならない。「起きて半畳、寝て一畳」の世界の中で、先輩雲水の暴力ともいえる教えを受けながら自己を埋没させていく。すべてのことが、定められたように進み、すべての雲水が自分の立場を心得、自己を捨て
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筆者は普通のサラリーマンだったが、突然出家し永平寺に入る。
頭をまるめ、門をくぐる一日前からの様子、永平寺での修行の生活が事細かにつづられている。
先日、永平寺に行って献茶式に出席し、
そのとき感動したことが、彼の言葉によって何故だったのかが
わかったような気がする。
永平寺での修行は、朝起きてから夜寝るまで、
すべて、起床も、洗面も、食事も、入浴も、仕事も、もちろん座禅も、
トイレさえも定められたとおり行わなくてはならない
。
「起きて半畳、寝て一畳」の世界の中で、
先輩雲水の暴力ともいえる教えを受けながら自己を埋没させていく。
すべてのことが、定められたように進み、すべての雲水が自分の -
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その日、僕は出家した、彼女と社会を捨てて――。道元が開いた曹洞宗の本山・永平寺。ひとたび山門を潜れば、そこは娑婆とは別世界。東司(トイレ)にも行鉢(食事)にも厳格な作法がある。新入りは、古参僧侶に罵倒され、規矩を徹底的に叩き込まれる。さらに坐禅に日々打ち込んだ末、30歳の著者が会得したものはなにか? 雲水として修行した一年を描いた体験的ノンフィクション。(裏表紙)
修行のパートには閉口。著者がその意味を書いてくれているけど、門外漢にしてみれば到底納得できるものじゃあない。
一方、著者の心情や周囲とのやり取りはすこぶる面白かった。寺を去る際の手洗い送迎がとても良い。 -
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実家がお寺というわけでもない、ちょっと社会に馴染めなかった若者が永平寺の雲水として過酷な修行を積んだ一年間の記録。文章が巧みで丁寧、細かなことまで詳細に記録されていて、普段は知ることのできない世界を垣間見ることができとても興味深い。単なる修行の記録ではなく、雲水としての成長や社会観、宗教の真髄など、著者が感じちゃことを素直に綴ってあって勉強にもなる。うちは実家が曹洞宗でありなんとなく「座禅」や「二つの月」、「正法眼蔵」などに馴染みがあったし、永平寺には縁あって2度ほど訪ねたこともある。「座禅は悟りを得るための手段ではないし、目的でもない。ただ座るだけ。」とか「全ての私を捨て、自然と一体になるこ
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しばらく読書から遠ざかってしまい、とびとびでかなり間を空けてやっと読んだ。
秋に永平寺を訪れ、雨の中の壮大な伽藍の荘厳さに感動した。
その際、一生懸命に説明していた雲水や、供養をお願いし後日送られてきたお世辞にも上手いといえない回向証を書いたであろう雲水を思い、それぞれに志を持って門を叩き同じ修行に耐えたのかと胸が熱くなった。
道元禅師がトイレや風呂の細かな決まりまで書き残していることに驚いた。
山奥の厳しい自然の中で、余計な人の営み全てを削ぎ落とした生活。人の限界に挑戦している。
さようなら永平寺、には泣きそうだった。
お疲れ様、今後の人生にどう影響したのか、後日談を知りたい。 -
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永平寺で1年間修行した作者の修行記。たかだか1年の雲水生活で畏れ多い永平寺の本を出すなんて、、と斜に構えて読み始めたが思った以上に深い内容で面白かった。
肉体的苦痛と精神的苦痛を伴う厳しい修行は私情の入り込む余地を無くし、がゆじがらめに型にはめてしまうことですべての執着を捨てさせる。
−我見を捨て去るー自分が自分であることを捨て去り、ひたすら自己の無に徹し、長を敬い長に従い、黙々と日々の務めを遂行する。
⇒頭で考えてできることではなかなかない。そこで自己に縛られている人間を罵詈打擲し徹底的に打ち砕く。学歴、地位、名誉、財産、人格までも引裂き落とし、そうして全てを捨てさせる。
読み終えて思っ -
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再読。年明けに永平寺に参拝したこともあって、以前読んだこの本を読み返すことにした。
読み進めるほどに当時感じた熱い思いが甦ってくる。永平寺で雲水として過ごした著者の1年間が実に詳しく書かれているのだが、時折挿まれる情景描写や心情表現に、抑えがたいほど胸動いてしまうのだ。
何度も思う。作家というわけではないのに、こんなにも切なくて透き通った表現のできるこの人はどんな人なのだろうと。どんな声音でどんな話し方をする人なのだろう。どんな風に微笑み、何に涙する人なのだろうと。
初めて読んだときも、今と同じように野々村馨その人に惹かれたのだった。
永平寺入山者には等しく「殴られ蹴られして徹底的に叩きの