デザイン事務所でのサラリーマン勤務に倦んだ著者は30歳にして出家を決意。両親・恋人に別れを告げ、単身、永平寺の門を叩く。
道元の思想に基づいて、食器の上げ下げまでも厳しく定められたルールのもとでの一年間の生活。精神の淀みを払い落としていく著者。
◯ようするに道元の示す修業とは、超能力や特殊
...続きを読むな瞑想でもなく、また難行や苦行でもなく、日々の行いそのものの中に見出されるものなのである。そして、目的と手段を二分しない。悟るための修行ではなく、そのひたすら修業していく姿が
すなわち悟りだと考えた。したがってそれは何者かに委ねるものではなく、自分自身の心と体で成し遂げなくてはならないのである。
「威儀即仏法、作法是宗旨(いいぎそくぶっぽう、さほうこれしゅうし)」
永平寺での修業は、この開祖道元の教えに従って、今日まで綿々と続けられている。
◯修業とは本来そんなものである。たとえ時を経て位が上がったり、歳を重ねたとしても、それによって特別な待遇が与えられる種のものではない。修業とは、どこかへ向かうための段階ではなく、生きているその瞬間瞬間の、自分の在り方そのものなのである。
ようするに、生きているという事実に自分の心と体で気づき、人間としての良き生き方を修し行い続けること、それが修業なのだ。道元の「威儀即仏法、作法是宗旨」の真意は、まさにここにある。