朝鮮王朝繁栄の裏には、蒸気機関を発明した謎の男・都老[トロ]の暗躍があった。何百年にも渡り歴史の影に現れ、実は蒸気で動く汽機人なのではないかと噂される都老の存在を軸に、朝鮮王朝とスチームパンクを掛け合わせたSFアンソロジー。
日本版の表紙だと都老が見るからにロボじみた姿で登場しそうだがそんなこと
...続きを読むはなく、見た目は完全に人間という設定。基本的に都老は朝鮮王朝時代に蒸気機関を移植するためのマジカルなガジェットであり、主人公になるのは最後の一篇だけ。以下、各作品の感想。
◆「蒸気の獄」チョン・ミョンソプ
宮廷での蒸気機関推進派と反対派の派閥争いと、推進派粛清の真相。このあとの作品で蒸気技術者が隠れている理由が説明されているので最初に置かれるのはわかるんだけど、いきなり読むには少し煩雑に感じた。宮廷ドラマで慣れていると違うんだろうな。
◆「君子の道」パク・エジン
完成度が高い一つ目の作品。奴隷階級の少年が蒸気機関で作ったアンドロイドを使い、生涯をかけて支配階級のポジションを乗っ取る。主人公は人間らしい扱いを受けられず老いていくが、作りだしたアンドロイドは人間として出世するという皮肉なストーリーに、異母兄弟の愛憎が重ねられている。自立歩行できて文字が書けて簡単な問答もできるアンドロイドをサクッと作ってしまうので、SF的にはエッて感じではあるけど、虐げられた者たちに技術を授ける都老がプロメテウスのようで印象深い。
◆「朴氏夫人伝」キム・イファン
民話の伝説的な人物を下敷きにした作品。蒸気機関が強固な身分制度を突き崩すかもしれない希望のように語られる。あんまり"夫人"にスポットが当たっている感じはしない。
◆「魘魅蠱毒」パク・ハル
蠱毒を行なった罪で死刑になった男は、本当にそれを実行したのかというミステリー仕立て。人の死骸をエネルギーにして動く(?)巨大ロボが思わせぶりに登場するわりに地味に終わる。ロボに暴れてほしかった。
◆「知申事の蒸気」イ・ソヨン
完成度が高い二つ目の作品。これが一番の当たり。有名な史実上の人物だという洪国栄[ホン・クギョン]の正体を汽機人の都老だという設定にして、人の形をしていながら情を持たない側近と、人間である前に王でなければいけない男の心の交流を描く。都老が死骸の山のなかから見つかる登場シーンの不気味さと、蒸気のせいで人間より温かく、近づくと体内からかすかにゴロゴロと音が聞こえて猫みたいだというディテール描写のギャップがアンドロイドものの旨味って感じでたまらない。史実的な辻褄合わせの結果っぽいけど、都老に心が芽生えるきっかけが王じゃないところもよいと思う。都老にとって王がどんな存在だったのかはよくわからない。それでいいのだ。
「息をし、動き、考えることを止めよ」という言葉。これが最大の愛の台詞になってしまう人間とアンドロイドの非対称性。「では、すべて消すように。そして何も受け入れてはならぬ。止まることができぬなら、目からも、口からも、皮膚からも、何も受け入れてはならぬ。再び命令するときまで、息でも整えておけ。それならできそうか?」いい台詞だなぁ。このアンソロ、全体的に賜死(王が毒を渡して自死を促す刑)をロマンティックに描いてて、それ自体はあまりよろしくない気もするが、死ねない都老を壊すこともできなかったとわかるのがいいよね。
◆「スチームパンク朝鮮年代表」
この設定資料がかなり面白い。収録作は宮廷や官僚を書いたものばかりだけど、年表では秀吉の朝鮮出兵が蒸気機関の技術狙いだったことになってたり、女真族が蒸気馬で無双したりしていて、これで架空戦記的なものを書いてほしいと思った。