小松原織香のレビュー一覧
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同意のある性交で性暴力を受けた筆者の壮絶な心象が、誠実な言葉で綴られている。同様の経験をしない私には、初めて知ることがたくさんあった。性暴力被害はドーナツの穴のように、存在の証拠でありながら語りえないものであること。相手を殺さないために赦そうとしたのは、無力感の反転だったこと。社会制度改革に関わるなかで一時的に自己の問題から離れられたこと。真実より物語(例え画一的だとしても)が必要だったこと。
印象的だったのは、支援者が被害者を「珍しい生き物を解説」したり、力を奪っていくように感じ、必要な支援はエンパワメントだ、と猛烈に憤った点。弱き存在として「矮小化」されたという感覚や、回復させたいという「 -
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NHKの放送を観て本書を知り、一気に読みました。
トラウマとなる体験を通しての心の動き、
言葉にできない、正しく説明なんてできない、
記憶が飛んでいる、
解離、、
深刻さの矮小化。
性暴力と性被害。立証が難しいことに震撼
殺すか、赦すか。死ぬか。
たまたま被害に遭ってしまうだけで、取り返しのつかない深刻なダメージになる、、こわい。死につながる。
私は全然想像できてなかった。
たとえ前もって知識があっても、いつ大切な人が、そんな被害に遭うとも分からない。
そこからのサバイバル。
自助グループの存在。
同じ立場の人の存在が、自分の内面に入ってくる。
自分の外に目を向けることにもつな -
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「当事者は嘘をつく」というのは著者が、体験した性被害の経験について語るとき、自分は嘘をついているのではないか、という考えが拭えないということを意味したタイトルである。
性被害にあった人間が修復的司法というケアの方法を通してどのようにサバイブしていけるのか、ということを主軸に、そこから無限に枝分かれするさまざまな重要な事項へ触れていく。それらのことは読者自身が何らかの被害体験を持っていなかったとしても、特別に響いてくるものがある。なぜなら、それは誰もが経験する「傷つけること/傷つけられること」に結びついていて、それらをどう扱うかということをこの本は語っている。
また、自助グループでの体験やケ -
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ショッキングなタイトルだ。性暴力被害をうったえる者は、必ずと言っていいほど「嘘を言っているのではないか」という疑いにさらされる。だからこそフェミニズムの運動は、まず被害者の言葉をそのまま受け止めることを何より重視してきた。だのに当事者が、自らの語りを疑っているというのだから。
著者にとって性暴力被害とは、「わたしは真実を述べる者である」と言いうるような語る主体の枠組みを崩壊させるような経験としてあった。それを著者は「思考の海で溺れていた」とも表現している。言葉をまとめあげて自らの語りにするような枠組みが崩壊してしまった状態、といえるのだろうか。そして、そのような激しい苦痛のただ中においてのみ可 -
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響きすぎて、読み終えてからしばらくの間、言葉が出てこなくなりました。
「共振」が起きていたのだろう、と思います。
「人間の記憶は、秩序と混沌の両方があることで完全になる」という言葉に深く納得しました。
言葉にできることと、言葉にならないもの。どちらもあっていいし、どちらもあるのが人間なのだ、と受け取りました。
「弱さの源泉はどこにあるのか」を探っていく、という問いに、「その観点はなかった!」と新鮮な気持ちになりました。安心安全が確保された場でないと探りにくいものですが、それを知ることができれば、自分の身を守りやすくなるだろうと感じました。
先輩や同僚のお話を聴いているような親しみや、読者 -
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どんなときによみたい本か?
「当事者」という言葉に違和感を覚えた時。
当事者体験全般に興味を持った時。
【感想】
感想を語るのが難しい本だと感じた。
なぜならこの本は著者が自分に疑い続けた経験を記録しているからだ。
当事者体験を持つ著者は何度も「当事者は嘘をついているのではないですか」の問いかけに葛藤していく。それと同じように読者である私もこの感想は本当だろうか。ご都合主義であったり、表面的な語りではなかろうか、という疑問を自分自身に抱いてしまうのだ。
なぜ当事者体験は似た定型文で語られるのか、のひとつの答えを得る事ができる。
葛藤の記録としてはすごく丁寧に描かれているが、当事者で -
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性被害サバイバーの著者がサバイバーとして自らが生きていく為に性被害についての向き合い方を学び研究者となるなかで研究者になったからこその葛藤が生まれるというエッセイ的な自伝(?)。性被害者としての自分と性被害について論文を書く研究者としての自分、それぞれが両立し得るのか?研究者でありながら性被害サバイバーと公表していいのか?その悩みについて、勿論性被害サバイバーとして生きてきた苦しみについても書かれていて性被害というものが1人の人生をどれほど変化させてしまうものなのかという事を感じずにはおれなかった。上手く言えないのだが人の内面にどれ程の傷があるのかは想像するしか出来ないし、想像が当たっているか
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「当事者は嘘をつく」という題で書かれた本だが、こんなに嘘のない本はない。
当事者が語る言葉だろうがなんであろうが、事実の再現は不可能だという大きな壁に著者が一人で責任を負い、その葛藤をそのまま、いかに嘘をつかずに書くか、七転八倒しながら自分に誠実であろうとしている。
読みやすい文体だが、著者がそうやって全身全霊でぶつかってくるので、読むのは苦しく重く、ぐったりする。
読み終わった後、これを書くメリットも大きいだろうが、デメリットもまた少なからずあるだろうと思った。もしできるなら、それらから、この著者を守りたいような気になった。そんな必要は無いのは承知の上で。
ノルウェーでの、支援者が「わ -
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この作者は性暴力被害者なのか
冒頭にレイプとあるが
私の感覚では作者はレイプなどされてはいない
DVは事実であると思う
恋愛でそういう関係を持ったのではないのだろうか
同意の上でそういう行為に至ったと文中にある
読んでいると作者自身が性暴力被害者であるように感じてしまった
繰り返しになるがDV被害者は紛れもない
私の読み方が浅いのかもしれない
性暴力被害者が世の中に多数存在する事実は私自身は直接確認してはいないが事実だと思う
話は変わるが、当初受けた精神科医の診察
この医者は専門家であることを疑ってしまう
自分の価値観のもとに患者を誘導しているのではないか
哲学については、私のレベルではよくわ