市村尚久のレビュー一覧
-
Posted by ブクログ
教育哲学をテーマにした論稿なので、学校教育に限らず「○○教育」と表される教育活動にあてはまる。もちろん「成人教育」・「従業員教育」等といったことも含まれると思う。
教師の積極的な指導が伴うことによってはじめて、生徒が主体的に教育的経験を得られる。このことも職場での従業員教育で大切なことだろう。日常の職場の業務経験の持つ高次な教育的意味を、意識するかしないかで、職場での人の育ちも変わってくるはずだ。
この視点は、第4章の「社会的統制」のテクストでもしっくりくる。「因習は摩擦を防ぐ潤滑油」(P.94)というフレーズだけ聞いてもしかり。
とはいえ、基本的に、本書は学校教育の現場の先生方に読むように意図されている。訳者あとがきでは、特に体験・経験を基づく知識を身に付けることが望まれている「総合的学習の時間」の理論書として活用されるよう言及されている。また、直近の指導要領改定で示された集団宿泊活動や、自然体験活動、職場体験活動の設定に際して、参考にすべき指針であるに違いない。 -
Posted by ブクログ
教育学専攻なんだから一冊くらい読まなきゃ!
って思って読んだ本ではなく、たまたま授業でこの本の第二章をプレゼンしなきゃいけなかったから勢いで全部読みました。でも教育学専攻なんだから読まなきゃという気持ちも一応あったぞ!久々に骨の折れる本を読んだ。結構本気出して読んだら同じ事ばっか言ってることに気づいてだんだん面倒くさくなってきた。でもせっかく読んだんだから細かく要約でもするかって思って一章毎に要約してたら字数ぶっ飛んでめんどくなった。頑張って自分用に一章毎にまとめたが、ここでは簡単に。
教育は伝統的教育か進歩主義教育のどちらかに進まなければならない。デューイはこの本で、後者に進んだ場合にその上で必要な条件を今まで述べてきただけであり、決してどちらかの立場を養護するわけではない。で、その条件ってのが「(教育的な)経験」だったりするわけです。この本の一・二章を読めばここまでわかるので、それだけでこの本はほとんど読んだと言っても過言ではないでしょう!あとは似たようなことがひたすら書かれています。あとは最終章の結論を読めばいいかな。結局デューイがこの本で本当に述べたいことは、「伝統的」でも「進歩主義」でもない「教育」なんだと。
まぁでも「経験の内在する可能性が知的に指導され開発されるものとして扱われた教育を非常に信頼している。」といってることからどう考えても後者を支持しているんだと思います。
教育的な経験が大事だとかいろいろ言ってるけど、この本ではまったくもって具体例が書かれていないので実際にどういうことすればいいのかまったくわからない。なのでこれだけみるとデューイがただの理論家にしかみえてこないかもしれません!訳者も今の教育者は全員読めって言ってるけど読んでも何すれば良いかあんまりわからないんじゃないかな?他の文献も読んだらわかるかも!たぶん読まないけど。
さて、これを機に教育学専攻を名乗ろうか! -
Posted by ブクログ
薄いのに、重かったー。
ゆっくり読まなければ理解出来ないのは、文末までいかないと「ある」か「ない」かが分からないからだと思う。
肯定的に読んでいると、最後に「とは言えない」みたいにバーンとひっくり返されるので、えぇっ!?ってまた一文を読み返すという。
今こそデューイ、と思って読んでいる。
周りには、デューイといえば経験主義、となって、極端に言えば「活動あって学びなし」的に考えている人もいるように思う。
学びとは、単に生活の経験をさせればいいだけなら、正直学校は要らないんでは。
そうではなく、生活しているだけは手に入れられない理論や見方を踏まえて、自身の経験を観察出来る所に教育の価値はあるのではないかしら。
というわけで。
伝統的な教育に対して、新しい方向に教育を進めていこうとする方が先生は大変なのよ!とデューイはちゃんと述べている。
教科書をただ知識として教えて、大人としての権威を振りかざし、単に思考の束縛をすることは、ある種、先生も考えなくていいわけだものね。
社会が先生と生徒という図式はそういうものだという後ろ盾を担ってしまったら、ますます、その構図から変わることは難しい。
経験をどう教材化するのか、そして子どもたちの経験に対して教師はどんな知を与えられるのか。
それを発達段階を含めた、「成長」という連続的な学びからアプローチするとはどういうことか。
成長って正だけではなく負の方向もあるわけで。
じゃあ、教育は負の成長に対してどうすることが出来るのか。
また、経験が大事!といって、現在と将来を安直に結ぶものではない。
反対に、ただただ過去の出来事を現在から切り離して、静かに埋没すれば良いものでもない。
教材は過去に基づいて作られたものがほとんどだが、過去と現在が共通して抱えた課題、それは未来にも考えなければならない問題として迫っている。
今で言う「真正の問い」を教材を通して如何に問いかけ、子ども自身の生活の中に位置づけていくか。
それを考えた時、教師は単に彼ら彼女らの成績や素行にだけ気を配っておけばいいわけでなく。
生涯に向けての態度を日々「成長」させているのだという責任感が湧いてくるような気になる。
現在、デューイ著作集が刊行されている最中なので、新訳で読めそうならリトライしてもいいかなーと考え中。 -
Posted by ブクログ
デューイの『経験と教育』に星印で評価をつける、というのも奇妙な気がするのだが、とりあえずこんな感じか。
たんに教育論を振りかざしたものではなく、そもそも自由や経験とはなにか、といった深みのある話が読めてよかった。
デューイというと政治的には「左派」プラグマティズムというイメージがある。が(かなり簡略化すると)そうした従来の保守または進歩主義のイデオロギーに染まった教育を「プラグマティックに乗り越える」ということが重要とのこと。このあたりが一見すると「左」っぽいのだが、デューイの立ち位置はそこではないという(当たり前のこと)をあらためてよく理解できた。
個人的には教育論よりも「行動と思考の一致・不一致」というあたりを論じている箇所が一番おもしろかった。