NHK「クローズアップ現代」取材班のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
身なりを整え、大きなカバンを隠して入店。ホームレスだと悟らせないように。
定職を探しながら日銭を稼ぐ。彼らは親にも知人にも現状を告げられないまま耐える。もう責任逃れのできない年齢だからと、人を頼らず、自分で何とかしようと思っている。生活保護は後ろめたい。炊き出しにも罪悪感がある。
彼らの考え方はとても理解できる。私も生活基盤を失って途方に暮れたとき、社会に、他人に、寄り添っていただくのは申し訳ないと感じてしまうだろうな。
「人は人によって生かされる」という現実が、社会全体で喪失している考え方なのではないか。
本書の中の言葉。助け合うということを考え直そうと思った。 -
Posted by ブクログ
読中に思い出していたのは、大学時代の友人のこと。
自分が新卒で入社した会社は割と名の知れたブラック企業で、何年かは必死でぶら下がっていたものの耐えきれなくなって、退職を考え始めた時期があった。
でも、じゃあ辞めてどうするの? 地元は最寄りの電車駅まで自家用車で30分くらいかかるようなド田舎で、帰ったところでやりたい仕事もない。再就活も難しい。というよりも、実家に帰ったら家族に甘えてしまって、ずぶずぶと沼にはまってしまう気がするので帰ろうとは思えなかった。
その頃友人は独り暮らしをしていて、自分の住む2DKのアパートの1部屋が物置状態になっているから、そこにしばらく住めばいいと言ってくれた。 -
Posted by ブクログ
私の身近にも「助けて」と言えない30代がいるので、他人事ではないと思いながら読んだ。
なぜ「助けて」と言えないのか。だって「助けて」なんて言ったら「甘えるんじゃない」と突き飛ばされるに決まっているから。あるいは決まってると思い込んでいるから。
なんとかする、自分の責任だから自分でなんとかする。必ずそういうのだ。
でもなあ。基本的なスキルが欠落している人も多いし、本書では触れられていないけれども、発達障害などがあって根本的にコミュニケーション能力が欠けていたりする場合もあるのだ。そうなると、本人がどれだけ真剣で真面目であろうとも、表に出てくる現象としては遅刻だとか、態度の悪さだとか、そういうマイ -
Posted by ブクログ
こ綺麗な身なりで髪型も整え、一見するとホームレスに見えない30代くらいのホームレスが増えているらしい。しかし長年ホームレスの支援をしてきた男性が見ると明らかに目立つ箇所があるという。それは靴だ。 履き続けたまま長いこと歩くので、汚れが目立つか、傷みが目立つらしい(だからこの本の表紙は靴)
彼らは自らをホームレスと認めがらない。
定住する家がなく、日雇いの仕事で多少の金が入ればネットカフェに泊まり、小銭だけになれば24時間営業のファストフード店で朝を待つ。所持金がなくなれば公園で野宿もするが、ずっとそうしているわけではない。また日雇いの仕事が入ればネットカフェに泊まる。だからホームレス -
Posted by ブクログ
自己責任論。
今の世の中に痛いほど響く声。
人生に失敗した人間が、どん底に落ちる。そのときに、落ちた責任がその人の無責任な行動にあることを理由に救済しないなら、それは人の世ではない。
私はそう思う。
たとえ無責任な行動の結果であっても、救済もせず放置する社会は間違っている。
なぜか言う理由はない。おそらく、困った人を助けるという単純な思いが人類の発展につながったという最近の研究成果とも関係ない。
ただ、私がそのように思うだけだ。
この本には三十代という私と同年代の人たちの苦境が描かれている。
これを読んで、この間読んだビックイッシューの挑戦にも同じようなシーンがあっ -
Posted by ブクログ
北九州で餓死した39歳の男性。「たすけて」と書いたものの誰にも出せなかったその手紙の横で、冷たく横たわっていたこの男性の名は北原学(仮名)。彼の死をきっかけにして、助けを求められず困窮する30代の人々の現実を追ったルポ。
弱いものを救うことができる社会。これが"発展した社会"の定義だと個人的には思っている。弱いものと弱い"ふり"をするものの選別は必要だ。しかし、それは個別具体的でならないと思う。一般論で語ることは間違いなく必要だが、一般論では語れない人たちを切り捨てる社会であってはならない。そう思うのだ。
この本を読みながら迂闊にも泣いてしまった。正社員で実家暮らしだけど、一度転職しているし、