石井幸孝のレビュー一覧
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筆者はJR九州の初代社長です。
国鉄のときは、乗客のことを「利用客」と呼んでいたのをJR九州が発足したときに「お客さま」と呼ぶようにした、ということが書かれていて印象に残りました。
横軸にJR各社の営業エリアの人口密度、縦軸に各社の収支率のグラフがあって、きれいな右肩上がりの直線になっていました。JR北海道が一番左下でJR東海が一番右上にありました。
JR北海道の営業苦戦のニュースを時々目にしますが、仕方ないのかなと納得しました。
日本は人口が減少していくので、これからは新幹線を貨物輸送に使うなどしていく方向に進むべき、と書いてありました。
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今年は日本に鉄道が出来て150年。新聞や学校制度も同じ年に生まれています。日本を近代化するためのインフラ3点セットが同じ年に誕生したことを偶然にも、当然にも感じます。日本の隅々まで行き渡る鉄道網は近現代史の主役だったと思います。一方で今年、東北を旅した際、初めてBRTに乗車し鉄道の路線跡をバスで移動しながら地方の鉄道はこのシステムに乗り替わっていく予感に囚われたりもしました。150年の歴史のうち1949年から1987年の38年間だけ存在したのがJRと呼ばれる前の国鉄でした。その日本で一番大きい会社のクロニクルがこの新書です。去年の自分の中での新書ベストの「サラ金の歴史」や今年のベスト候補の「日
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書店で見掛けて興味を覚え、入手して紐解き始めた。本書の各章を実に興味深く読み進めた。出逢って善かったと思える一冊だ。
「国鉄」というモノが「分割民営化」で「JR」になってから既に三十数年なので、「全然知らない…」という人達の世代も広くなっていると思う。が、「国鉄」は日本国内で非常に大きな存在感を示していて、後にも先にも「日本最大の企業」であったと考えられる。そしてその「国鉄」には、栄枯盛衰の様々な経過が在った。
本書では実に広範な話題について、非常に興味深く綴られている。
「国鉄」という略称でよく知られる「日本国有鉄道」という“公社”の体制が登場する以前の、昭和10年代の戦時体制下の色々な要因 -
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国鉄について、民営化に至った経緯、抱えていた問題点について、様々な視点からまとめられた内容でした
更に途中、著者が関わったディーゼル機関車開発の逸話も、私自身がエンジニアということもあり、かなり興味深い内容でした
物心ついた時が丁度JR発足間もない頃だったこともあり、国鉄の印象はほとんど無い状態でしたが、まさかこんなに桁違いな問題点をたくさん抱えていたとは思いもしませんでした
現在のJRの姿から考えると想像できません
また、最後の方には未来への提言についてもまとめられていました。ものすごくグローバルで長期的な視線で考察されている内容でとても面白かったです
人口減少にIT化、DX化に向 -
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JRの前身「国鉄」の栄枯盛衰を、元JR九州社長であった著者が様々な切り口から述べている1冊。
中でも興味深かったのは、車両開発の部分です。著者は技術者としてディーゼル車(気動車)の開発に長く関わってきました。蒸気機関車をリプレースする無煙化を進める中、国鉄時代の名車ともいえる特急用キハ81系、急行用キハ58系、牽引用のDD51型などの開発に関する記述は、開発に携わった人ならではという印象でした。
「国鉄」は巨額の赤字を抱えてしまうわけですが、その原因としては1)運賃改定は国会での議決が必要であった、2)国策として赤字を承知の上でローカル線の建設を進めた、等々民間企業であれば普通に経営判断できる -
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JR九州初代社長の、人口減少社会でも持続できる鉄道論。
主張は二つ。多角経営化と貨物新幹線について。
今回は、特に後者について考えてみる。
貨物新幹線が実用化すれば、トラック65台分の荷物を一度に、しかも新幹線のスピードと正確さでもって南は鹿児島、北は函館まで運ぶことができるメリットがある。
俺の考えでは、貨物新幹線の考えは新幹線技術の海外戦略に使えるとは思っている。
東南アジアの国営鉄道はバカ安で(例えばラムパーン、チェンマイ間3時間乗って運賃80円だった)、そこに日本の新幹線を持って行ったところで運賃でペイできるわけがない。
たいていの東南アジアは道路事情も悪く、渋滞もヒ -
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●=引用
●(略)20年も経つと、世界中が注目する「新幹線」を作った。ただそこには国鉄マンの「勤勉」と技術の「日進月歩」はあっても、「経営者感覚」はなかったといえる。そういう風土は変わりようがない集団だった。
●国鉄貨物輸送は「貨車」を運ぶのが仕事という観念で、「モノ」を運ぶのが仕事という使命感がなかった。前述のように車両・コンテナの構造や荷役機械・設備などのハード開発・提案に知恵を出さなければならない技術屋にも大いに責任がある。要するに「経営」と「ビジネス」がわかっていなかったのである。
●国鉄後半の22年間、最終2年間を除いて、実に20年間、国も国鉄も取り組みの意識は変わらなかったといわ