若竹千佐子のレビュー一覧
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なぁしってる?イギリスのいぬはバウバウバウってなくねん。
わぁ懐かしい~ 昔小学校で子供たちに読んだ「うしはどこでもモ~!」という絵本の一説です。
スペインは・・・フランスは・・・と各国の鳴き方を教えてくれて、最後に、けどうしは・・・とくる。
それがどないしてんな・・・ってまあ聞いとくなはれ、(翻訳が落語家の桂かい枝さんなのでつられて関西弁)
いろんな動物の鳴き声が紹介され、たしか鶏の鳴き声でした。「かっかどるどるどう」どこの国かも忘れました。スペインかな?
でもこのタイトルを見た途端、あっあれやな、て思いました。
ほんで肝心の本の内容はどないやねん、そやな、それや。
いろんな事情を持った人た -
Posted by ブクログ
いきなり東北弁で始まる60代後半の女・悦子の語り。
ほぼ胸のうちに溜まる愚痴めいた独り言のようだ。
続いては、夫を見送り舅姑の介護を延々と続けてからそれぞれ看取ったあとひとりになった68歳の芳江。
自由になり好きなことができるはずなのに何をしたらいいのか…ひとり地味に生きていくだけなのかと。
また、大学院を出たものの非正規雇用の職を転々とする38歳の理恵。彼女も何をしたらいいのかゆらゆらと彷徨っている。
公園で薄汚れて痩せ細り怪我をしている犬を相手に喋っているのは、20代の保。
彼はもはや生きる希望すらなく残り少ない有り金で食べ物を買い、最後の食事を犬といっしょに終えた。
見知らぬ男から -
Posted by ブクログ
読むのがしんどかった。
ほとんどを桃子さんの独白で進められる物語だけれど、馴染みのない東北弁で、支離滅裂とさえいえる内なる声を読み進めていく。桃子さんより少し若いものの、初老の域に足を踏み入れた自分でさえも、老いること、孤独であることをこんなにも騒々しく考えたり、思ったりするものなのかと、半分呆れているという読後感である。
映画ではこの作品がどんな風に描かれているのか、思ったりするものなのか、興味津々である。
芥川賞受賞作とのことだけれども、んーって感じでした。
あと表題は宮沢賢治の「永訣の朝」のフレーズから取られたものかもしれないが、高校生の国語の授業で読んで、詩で初めて涙して以来、僕の中で -
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ネタバレ宮沢賢治の「永訣の朝」のトシの台詞は、死を迎えようとするトシが一人で逝くことを述べた台詞だったように思うが、それをひらがなで書いた本書の「おらおらでひとりいぐも」は、他人のためとか世間の常識とかそういうものから離れて、自分は自由に一人で歩いて行きます、みたいな決意に感じられた。
東北弁の文体は『壬生義士伝』の吉村貫一郎の語り口を彷彿とさせた。夫と死別した桃子さんは一人で生きているが、彼女の脳内にはさまざまな層の彼女自身が「柔毛突起」のようにあれこれあれこれ、彼女の故郷の言葉である東北弁で思考を繰り広げている。脳内で騒がしいほどに思索して、それが漣のようにざわざわと広がっていく感じは、分かるなあ -
Posted by ブクログ
まず今作の読書は現段階の私にとって娯楽としての読書ではなかった。作中主人公桃子さんのほぼ脳内1人語りはミシンと金魚を思い出し、東北方言のみで進行する語りは、あくてえを思いだした。タイトルのおらおらでひとりいぐもは宮沢賢治の永訣の朝の一節らしい。そして,作者の若竹佐和子さんは55歳で旦那さんをなくし、その後,小説教室に通い8年かけ、本著でデビューし芥川賞を受賞した。…しびれますよね。絶対読む!読まないと!
文章力も素晴らしいのだが、積み重ねてきた人生の言葉の重みを味わいました。
中盤以降はその迫力に圧倒され、後半は泣けます。物語というよりも,その言葉に泣けます。序盤の方言とただただ、過ぎていく日