濃野平のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
すごい!
現代の冒険活劇!
ツテ無しで、単身スペインに渡り、現地の人々の助けを得て
本当に闘牛士になった人の実話です。
読むと、自分の夢に向かっていく勇気が持てます。
マンガ版があったら、子どもに読ませたい!
以下、好きな場面を3つ挙げる。(要約版です)
○はちゃめちゃ!(p.72)
あなたが車から降りて、倒れている男へ恐る恐る近づいてみると、
おもむろに男は起き上がって、ヒッチハイクさせてくれ、などと
厚かましく訴えるのだ。
私は、捨て身の作戦にみごとに成功した。
○勇気と度胸(p.96)
「お前危ないからどいてろよ!今、牡牛を出すからよ!」
と扉係の男が注意する。
「聞いてく -
Posted by ブクログ
「かつて古き良き時代には、闘牛士になるのは将来も何もない餓えた若者たちであることが多かったのだが、現代において闘牛士となるのは有名な闘牛士の息子や牧場主のそれなど、経済的にも人脈的にも恵まれたものたちがその圧倒的な主流となっている。一般にノビジェロ・シン・ピカドール(満2才牛の仕留め士)から始め、ノビジェロ・コン・ピカドール(満3才牛の仕留め士)を経て、最高位であるマタドール・デ・トロスへ(満4才牛の仕留め士)と到達するまでに、少なくとも日本円で三千万円以上の資金が必要とされるからだ。」
高校を出て10年間フリーターだった男がわずかな時間テレビで見たのをきっかけに闘牛士になりたいと聞くとどう -
Posted by ブクログ
たまたま聴いていたラジオの番組に、この本の著者、濃野平さんが出演されていたのをきっかけに購入。
「諦めないということは、どこまでも自分を信じ続けるということだ。」
本の帯に記されているこの言葉は、自己啓発本などで散々使われていそうな言葉ではありますが、いくつもの挫折を味わいながらも自分を信じ続け40歳を超えた今も日本人初のマタドール・デ・トロス(最高峰の闘牛士)を目指し努力を続ける著者が語ると果然説得力を増します。
年齢を重ねると、自分自身の夢や目標が見えにくくなる。でも、どんなに年齢を重ねても、大人になっても、夢は追いかけ、つかみ取るもの。諦めて、忘れるものではないんだなと気づかせてくれる -
Posted by ブクログ
日本人闘牛士の挑戦を描いたノンフィクション。必ずしもサクセスストーリーではなく現在進行形。日本人がスペインで闘牛士になるというのは、スペイン人が日本で歌舞伎役者になるようなもので、途方も無い挑戦。保守的かつ競争の激しい世界で、しかも外国人。時には夜の牧場に忍び込んだり、掟破りの飛び入りを試みたり、病に倒れたり、目標を見失ったり。しかし最後まで目標をあきらめない姿勢は起業家に通じるものがある。若干自己陶酔を感じさせる文章ではあるがそれでなくてはやっていけないのだろう。日本人の挑戦の物語としても面白い。ものすごい情熱、そしてドス・コホネス!(ど根性!)
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Posted by ブクログ
【私はこの動物を殺す。剣の一撃によってだ。食べるためではない。毛皮を剥ぐためでもない。この大きな角を持った猛獣を、大勢の観客の前でただ殺すのだ。】
この序文だけで、やられる。
現役日本人スペイン闘牛士の本。
大きな意外性は無いが、著者のその情熱。そして栄光と挫折には、胸を熱くさせられる。
夢を諦めず、我が道を進む。そんな生き方が賞賛される傾向がある現在。
著者は、まさにそんな人生を歩んでいる。しかし、それが甘いものではないということ、美辞麗句を並べ立ててもむざむざと見せつけられる現実を余すところなく書いてくれる。
この本は、夢を諦めない大切さではなく、その大変さがメインとなっている。
その辺が -
Posted by ブクログ
一人の男が闘牛士になるためにスペインへ渡る――
濃野さんの生き方に感銘を受けた。スペイン語は満足に話せない(渡西1週間前に勉強を始めたというから驚きだ)、知人はいない、金もない、など困難な状況にも関わらず、自らの夢に向かって突き進む姿がかっこいいと思った。
ただ、それと同時に闘牛士界の厳しさも知ることができた。まず、コネがないことが非常に不利だということ。もちろん、そうゆうコネがなくても最高位のマタドール・デ・トロスになった人もいるけども、やはり父が闘牛士だったとか、あるいは闘牛牧場を経営してるなどの環境にいる人のほうが上に行くには有利だということ。
上に行くには試合をこなさなければなら -
Posted by ブクログ
#027 情熱の階段
佐々木俊尚さんのキュレーションで、書評が紹介されてるのを見て気になって読んだ。だいぶ前に日本人闘牛士のニュースをネットで見た記憶がほんとにかすかにあって、そういえばそんなヒトもいたっけな、くらいの感覚で読み始める。
決して洗練されているとはいえない無骨な文体で語られる著者の半生は、自身が語るノンフィクションというこれ以上にない圧倒的なリアリティで迫ってくる。デビュー戦、そしてネットでも話題になった象徴的な事件の緊張感、かけがえのない人との分かれと出会いというエピソードは、それぞれがページをめくる手に自然と力が入ってしまう。心暖まる最後のエピソードで締めくくられつつ、これか -
Posted by ブクログ
熱い。闘牛士になる夢を追いかける間、どれほど経済的に逼迫していたのかを何度も繰り返し述べていて読みながら胸が苦しくなる。お金さえあれば牝牛を購入して練習できるのに。お金さえあれば試合に出してもらえるのに。牝牛を相手に鍛錬しないと技術が衰えてしまう。しかしその牝牛が手に入らない。何ヶ月、いや何年も生きた牝牛を相手にできないまま突然試合に出場することになったとしても、そんな状態で良い技が決まるはずがない。読みながら濃野氏の苦悩と闘牛への熱意が伝わってくる内容だった。もし時代が違えばクラウドファンディングなどで資金を募ったり、SNSで注目を集めることも可能だったかもしれない。そういったものがなかった