斎藤忍随のレビュー一覧
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ショウペンハウエルによって書かれた「思索」「思索と文体」「読書について」の3篇である。以下に、本書のまとめと自分の考えを述べる。
読書は、自分の思索を他人に預けることであり、本を読んでもその考えに至った経験や過程を得られるわけではない。得られるのは、結論のみである。そのため、読書をしても内容を吸収できない。ただ、思索するトピックを得るために本を読むのは良い。
知性あるものは、自分自身で体系的に物事を組み立てることができる人で、例え、その内容が間違っていても高尚な人物には違いない。
良書を読むには、トレンドや時流に乗った本等の悪書を読まないことが必要である。その点で、古典はどの時代の -
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読んでる最中、厳しい〜でも分かるかも〜ってずっと思ってた。本に書いてあるのに読書すると思索が止まるから読むなって冒頭から書いてあって笑った。
書評の匿名性や言語の文法的な変化など現代にも通じる事が多いと思う。
ただ、言語は時代と共に変化していくものだからずっと同じ文法や単語を使っていくのは難しいと思う。
ずっと残っている古典は素晴らしいものだから、最新の悪書を読むなら古典を読め、っていのも言いたいことは分かるけど、読書という行為やその本を読むという行為の先に何を求めるかにもよって変わってくるよなーと思った。
ただ、本を読むだけでなく、そこから思索に転じることもやってかなきゃなと思った。これから -
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ショウペンハウエルによる「思索」「著作」「読書」に関する短編集。
ショウペンハウエルは19世紀に活躍したドイツの哲学者で、その厭世的な思想はニーチェ、ワーグナーなどに広く影響を与えた。
しかし本著ではそのような思想はあまりみられなくて、単純に「人間はどのように考えて生きるべきか」が一貫したテーマに据えられている。
古典としては非常に読みやすい部類かと思う。明快なメッセージが述べられているし、表現も平易。途中あるドイツの古語と現代語の対比が冗長なので、これは読み飛ばした。
強くてシンプルなメッセージがその特徴。皮肉に満ちた表現も多い。
その主張を簡単にまとめると、「読書は思索の代用でしかな -
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【ショーペンハウアーの主張】
3段階のロジックで捉えた。
第一。多読は有害である。いくら栄養があるといえども、食物をとりすぎれば胃を害し、全身をそこなう。精神的食物も同様に、とりすぎれば、過剰による精神の窒息を招きかねない。身の丈にあった量を反芻することではじめて、書物はわれわれを養う。
第二。ただし、量の多寡の以前に、そもそも読書をするに値する人物が限られている点に注意をうながしたい。読書は、著作家の才能と共鳴する形で、読み手が持つ天賦の才能を呼び覚ますものである。才がない場合は、表層的な手法を学び、軽薄な模倣者になるにすぎない。
第三。才ある人物が、限りある時間と力を消費して -
Posted by ブクログ
ネタバレ3編からなる作品。哲学者ショウペンハウエルが真の本とそれ以外の悪書を一貫して対比させて描いている。悪書についてその原因を突き詰め、出回っていることを示している。良書には思索があり端的な言葉で明白に書かれている。悪書に時間と金を取られないよう何度も読者に注意を払っている。
また、ドイツ語という古典に起源を持つ言語の危機にも触れている。表現の厚さが失われているという点は日本語と似ており、曖昧な表現で済ませてしまうことが増えてきた。
著者が持っている危機感とは言語の重要性という意味もあるが、思想についてである。言語は人の思想を表現するものであるため言語が乏しくなることにより思想も乏しくなると考えてい