ブノワ・ペータースのレビュー一覧
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「闇の国々」の邦訳もついに4巻。これで本国で出版された正編はすべて翻訳されて一応の完結。いくつかの番外編は未訳のまま残されてはいるけれど、正編全てを訳しきったのはかなり画期的なことだと思う。1冊平均4000円4巻そろえて16000円というのはコミックとしては非常識なほど高額なわけだが、それでもちゃんと日本で受け入れられたからこその完結。それもひとえにこの作品がそれだけ素晴らしいからに尽きる。ほとんど国産のコミックしか流通しない日本において、こういう海外の名作・傑作が紹介されることはたぶん、日本のコミックをより深めより拡大する強い力になると思う。
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Posted by ブクログ
フランス語圏の漫画、BD(バンド・デシネ)の大作。「闇の国々」と呼ばれる国を舞台とする連作である。本書出版の時点では、本編が12作、番外編が12作出ており、本書ではうち本編3作が収録されている。
日本語訳としては、本書に加えて『闇の国々II』と『闇の国々III』は刊行済であり、『闇の国々IV』は2013年秋頃に出ることになっているようだ。各作品の刊行順序は原作とは異なり、本書(I)に収録されているのも2作目(「狂騒のユルビカンド」)、3作目(「塔」)、6作目(「傾いた少女」)となっている。
原作シリーズの自体もまだ完結というわけではないようだが、「闇の国々」に起こる出来事を描く各作品がゆるやかにつながっているものなので、どこから読み始めても、またどこで終わりになってもよいようにも思われる。
原作はブノワ・ペータース、絵はフランソワ・スクインテン。2人のうちのどちらが欠けても生まれえなかったのであろう作品である。
「闇の世界」は「明るい世界」(いわば通常の世界)のパラレルワールドのようなものである。独立に存在するこの2つの世界の間にチャネルが生じ、交感することもある。
さまざまな人物や文学・芸術へのオマージュがちりばめられ、作者のイマジネーションに促されて読者の想念も揺さぶられ、刺激されるようでもある。不思議な奥深い世界である。
「狂騒のユルビカンド」では、謎の立方体構造が網状に成長を続け、都市への脅威となる。核を得て、結晶が成長し始めるようなものである。作中で主人公が、「もし立方体を斜めに置いていなければ」と考える場面がある。平らであったなら、また元になる立体が六方晶の形や正四面体であったなら、どんなことになっていただろう。
「塔」では、バベルの塔を思わせる塔の「修復士」が止むことのない塔の修復に業を煮やし、責任者である「巡察士」に直訴しようと旅に出る。下降と上昇の旅の末に、彼が目にする世界とは。白黒と色彩の対比に息を呑む。
「傾いた少女」もまた奇妙な物語である。勝ち気で物怖じしない少女が突然傾き始めたのはなぜなのか。物語後半には、「明るい世界」との往き来が、巧妙な技巧で描き出される。
長じて改革者となった少女のかぶるベレー帽には、個人的に、著名な革命家を連想した。
谷口ジロー作品(『父の暦』あたりか)とピラネージの版画は見てみようと思った。
非常に精緻で細かく描き混まれた絵が、まったくアシスタントの力を借りずに作画されているということにも驚く。1ページを描くのに1週間を費やすという。いやはや、すごいことだ。そうでなければ作り出されない世界もあるということだろう。 -
Posted by ブクログ
第2集からわずか半年で第3集がでたのは驚き。文化庁メディア芸術祭で大賞とったし、ユリイカで特集したしで、着々と支持を広げている印象。
第3集は中編ふたつと、新聞記事に模した短編ひとつ。いままでの第1集第2集に比べて、格段に読みやすくなった。これまでは行間の読み方から、テンポの取り方から、日本の漫画とは相当違った読みにくさがあったのだが、今回はそういうのがあまりない。バンド・デ・シネっぽさは少し薄いかなって気もするが、ふつうの日本の漫画と同じような気持ちで読むことができるし、画の半端ない美しさは今作でも変わらない。
お値段は張るものの、毎回これだけ素晴らしい作品というのはそうそうありません。 -
Posted by ブクログ
例えば、指輪物語のことへ思いは漂ってゆく。その物語は完全な空想の物語である筈なのにどこかしら言い伝えられた話であるよう雰囲気がある。伝説的な物語(あるいは神話もその一つに含めてよいと自分は思うけれど)の不思議さと現実から切り離された浮遊感の混じり合った雰囲気は、逆説的ではあるけれど、物語が地続きの世界のことを描いていると思わせられれば思わせられる程に強くなる。もちろんその為には多くの実際の伝説や史実を象徴的に取り込まれている必要はあるだろう。
例えば指輪物語では「中つ国」という壮大な世界がまるごと一つ創出される。その歴史、文字、文化、それらがトールキンによって生み出されたこと自体、驚異的なことだと思うけれど、その存在が、どこか未だ痕跡すら発見されていないだけのものと思わせる雰囲気があるからこそ、指輪物語はこれ程に人を熱狂させるのだと思う。もちろん、その為にトールキンは多くの西欧圏の神話や伝説を織り込み忍ばせている筈だと思う。そして西欧の人々の記憶にはシュリーマンによるトロイの遺跡の発見の物語が色濃く残り、神話と思われていた伝説が史実であることの可能性を大きく見積もりがちにする。
一方で、この「闇の国々」はどうだろう。やはり多くの西欧文明の遺物や遺跡のイコンが織り込まれ、指輪物語と同じように西欧の人々に不思議な懐かしさを与え、切り離されていながらも完全に空想とは思われないような世界観を与えることに成功しているのだろうと思う。だからこそ「傾く少女」のように、次元も現実と想像の境界も軽々と越えてしまう物語も語られ得るのだと思う。そう理解した上で、これは自分には追従することが難しい物語であるようにも感じるけれど。
とても不思議なのであるけれど、かつて指輪物語(もちろん文字としての、と断っておく必要性を感じるけれど)に興奮した中学生であった自分ではあるけれど、その時ほどの湧き立つような感慨は、面白いとは思いつつも、「闇の国々」では味わえない。それが何故なんだろうと考えると、一つには視覚的イメージによる想像の固定ということが大きいのかも知れない、と思いつく。特に、日本の漫画(一般的な、と断っておくべきか)に馴れた読者としては、このフランソワ・スクイテンの緻密な描写はイメージが広がっていく余白を奪ってしまうように感じる。大友克洋のAKIRAとの類似性を認識しつつ、AKIRAでは現実が邪魔をしてくることが余りなかったのに対して、この物語は現実が飛翔を阻むところがあるように思う。
画の緻密さが悪いわけでは、決してない。例えば、自分は安野光雅の細かい絵が好きだし「旅の絵本」など想像がどんどん広がってゆくのを感じるけれど、物語に投げ込まれる実在のイコンの描写の緻密さと重なることで、何か強制されたイメージを押し付けられたような気がしてくるように感じるのだ。そこに少し残念な気持ちが残る。あるいは、ただ単に年を取って感覚が鈍くなっただけ、なのかも知れないけれど。