米ユタ州で起きた携帯メールのながら運転での死亡事故について物語風にドキュメンタリー。
事故を起こしたレジーは、初めは自分が事故のときに携帯を触っていたことを否定する。彼の言葉によると審理の途中で自らが携帯電話に触れていて、危険な運転をし、二人の命を奪い、その家族からかけがえのない人を奪ったことを理解
...続きを読むした、という。ある意味、本当に彼は運転に集中をしていたと思っていたのかもしれない。そこからのレジ―の危険運転防止への献身的な取り組みがこの本のひとつの主題である。
レジ―がユタ州のモルモン教徒であり、伝導活動に掛ける想いについて実感が湧かないかもしれないが、日本人であれば例えば受験であるとか就職であるとか社会人としてのキャリアなどに置き換えて考えるとその切実感を理解することができいるかもしれない。レジ―が敬虔なモルモン教徒であることは、彼が抱く罪の意識とも関係をしているのかもしれない。彼の心の動きと言動と、遺族や検察官、弁護士の感情の動きが詳しく描かれている。
「神経ハイジャック」ー 人間の注意がマルチタスクに決して向いていないというが、そのことは日々実感できる。自分も家では、TVを付けて、個人PCを見ながら、仕事のPCでタスクをこなしていることが普通だ。もちろん、すべてを同時にやれているわけではなく、注意を頻繁に切り替えている状態にある。すぐそばで付けているテレビの内容がまったく頭に残っていないということはよくあることだ。マルチタスクをしていると効率的なように感じるが、逆に非効率であるということは重要な指摘でもある。原題は”A Deadly Wandering: A Tale of Tragedy and Redemption in the Age of Attention”なので、ハイジャックというニュアンスはないが、注意がいかに奪われるかという主題を日本語でうまく表しているのではないだろうか。そして、継続的にマルチタスクを行い、注意を切り替えていることが脳に与える影響に関しても気になるところである。
現代はスマホを身に付けて、常に外部につながることができる環境を持っている時代である。スマホを見ることが脳の報酬系に働くというのはおよそ実感するところでもある。それを薬物やギャンブルなどの依存症になぞらえているが、一面では間違ってはいないのだろう。何でもないのについスマホを取り出して触ってしまう自分がいることにあらためて気が付く。そして、やめられないことも実感する。自分はやらないが、たばこと同じなのかもしれない。
しかし、人物描写がとにかく長い。もちろんきちんとした取材と関係者に配慮した描写が売りでもあるのだろうが、自分にとってはここまで詳しい描写が必要だったのだろうか。一気に読むわけではないので、登場人物がどういう人であったか忘れてしまったりするとかなりつらい。注意力がなくなっているのかなあとも思うのだが。
本書は議会、携帯電話会社、自動車会社、などロビー活動などを通して法制化に反対する勢力に対して、ながら運転を危険運転として法的に防止するに至ったこの事故の社会的意義に注目する。一方、脳の注意、ワーキングメモリ、意識の成り立ちなどに関する科学的な見地についても言及されている。スマホ世代において、人間の注意力はどのようになっていくのかについても興味がある、注意力に関してはそれぞれに差異があろうし、訓練によりマルチタスクの能力は変化していくであろう。こちらの方に注意が向くのである。運転しないペーパードライバーなので。
まあ、ちょっと長いですかね。