目に見えない世界とは人間の力が及ばない世界であり、それは個人レベルでいえば何を考えているか分かり得ずどうにもできない他者のことでもある。何もかも数字にして分かったつもりになっている現代人が個人としては疎外され、社会全体としても行き詰まりつつあるのも、意識の中にこの他者がなさすぎるせいなんじゃなかろうか。と本書を読みながら改めて思った。
本書はボルネオ、沖縄、インドネシアなどの地域で生き続ける「おばけ」と、その存在を信じる人たちを取材したルポだが、単なるおばけの羅列に終わっていないのが素晴らしい。この「他者」感がピチピチのまま読者に提供されているのが良い。おかげでおばけは恐ろしい存在であるのと同じくらい現地の人々にとって精神的ささえにもなっているのがよく分かった。
本来、生きることとは理不尽な経験だ。地震は起きる。病気にはなる。不公平なことばかり。それでもなんとかやりくりしつつ生き延びる先には楽しい経験もあるわけで、予測なんかつかない訳のわからない状態に死ぬまで心身は晒されつづける。おばけや目に見えない世界、永遠に謎でしかないこの世界全体の生き生きとした存在感が、この世の理不尽に対する心のバンドエイドになるのはなんでだろうか。「自分ばかりが損をしている」「自分の力でなんとかしなければ」という思い込みと無力感から意識を解放してくれるからではないか。見えないものに託しつつ同時に守られる、というような。近代的自我の行き着く先は私しか居ないクリーンで明るく冷たい世界だが、おばけの生きる世界は自分以外の何かの気配に満ちた暗くて生暖かい世界だ。
日本人が拝んできた神や仏や御先祖様も本書にでてくる島々のおばけと同じように現地人を支えつつ共に生きてきたんだろう。昨今大きな神社でも鎮守の森を縮小したり刈り込んで風通しを良くするところが増えて心配である。うっそうとしげった森や山といった異界は排除すべき脅威などではなく、単なる経済的資源などでもなく、メンタルヘルスに貢献する大事な存在なのにまったくこまった話である。