李良枝のレビュー一覧
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購入済み
在日韓国人女性として生まれ日本で生まれ育ち日本語を母語としながら「民族」の違いゆえに日本に馴染めず、韓国に理想を託し出国するも、身体に染み込んだ日本性みたいなものを取りきれずそのため韓国にも馴染めない。日本では「在日文学」として分類されてしまいがちだけれど彼女の小説は世界文学としての普遍性を持っていると思う。「かずきめ」が個人的には胸に迫って来る迫力があり、忘れられない。
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二人の韓国人の目に映った一人の在日朝鮮人の姿が半年間ともに暮らした家の中の様子や近所の景色、思い出話などの中から蘇ってくる。日本に帰ってしまった彼女がまるで亡霊のように浮かび上がる。
日本語を第一言語としている在日の彼女が韓国語に馴染めなかったのは、たんに韓国への嫌悪が原因ではないと主人公は考える。彼女の日本語へのこだわりはおそらく、それが生まれた時から体に染み付いている言葉だからだろう。しかし、かと言って日本語を使っていれば事態は丸く収まるというわけでもない。本人の言葉を借りるなら、言葉の杖が掴めない。彼女とのそんな会話を思い出した主人公は、まるで亡霊から一撃を食らったかのように、話に聞いて -
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私は冒頭の自分の家に帰る場面でとても違和感を覚えた。たしかに、自分の家に帰ってきたという「実感」はよくある事だが、とてつもなく詳しく書かれすぎていた気がした。ほれは在日韓国人の由煕は「韓国の中にある日本」に近いところ求めているようにおもわれたので、「自分の安心する家」と「自分のアイデンティティの中の祖国」を並列させてかかれていたのではないか。韓国で大学生をしているにつれて、在日韓国人として自分はどこの国の人なのか、どこが祖国なのかというアイデンティティが不安定な中を迷い続けている様はとても心をうつものがあった。反日、反韓の思想の狭間に押しつぶされる女性の声に出せない悲痛な思いが胸を打つ。とても
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Posted by ブクログ
強烈な違和感の存在を心に留め置くことに
平成元年、しかも第100回の芥川賞受賞作。
平成になって1週間くらいで発表だったみたいですね。
冒頭ナビ・タリョンという作品が李さんの生き様を表す基本の作品。両親の離婚調停、長兄が医療ミスのような形で動けなくなり、次兄が突然死。
生まれも育ちも日本である主人公はルーツのある韓国へと旅立ち、そこで韓国の踊り、歌を習う。
街並みで歌い踊るラストは愛子自身がナビ・タリョン、嘆きの蝶であるようです。
続く「あにごぜ」「由熙」も同様に、きょうだいと、ルーツと日本との狭間で居場所を探し傷つく主人公たちの話なのですが、「かずきめ」だけ異色な、この本の中では -
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多分に私小説。ソウルで語学や踊りを習いながら暮らす日々の閉塞感……というか何とかしたいけど何ともならない気持ちが描かれる。全体に灰色がかったような世界。読んでいても苦しい。
この灰色がかったもどかしさは「在日」特有のものなのだろうか。母国と慣れ親しんだ暮らしがある国とが違い、さらにどちらの国の人間という意識もいまいちもてず「在日」というところに拠点をおこうとしながらも、その立場の弱さに煩悶するというような。
李恢成といい、この李良枝といい、少し下って鷺沢萠といい、根底にあるもどかしさは共通しているような気がする。彼・彼女らはなぜこうも煩悶するのだろうかと、その立場にない自分としては思う部分もあ -
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ようやく読めた、李良枝。そして、その世界の混沌感にびっくり。「ナビ・タリョン」「かずきめ」「あにごぜ」「由熙」のどれもに彼女や彼女の家族が色濃く投影されているんだろう。それを書いてしまう、あるいは書かずにいられないものは何だろうか。在日朝鮮人として生きてきたということも関係しているのだろうか。とにかく激しい話たちだった。
ソウルに留学してきた在日朝鮮人のことを書いた「由熙」は、鷺沢萠の「君はこの国を好きか」を思い出させる。そして「由熙」がほんの数年前に芥川賞をとっていたことを思えば、やはり「君は~」が届かなったこともわかる(ただ自分は「君は~」のほうが断然好き)。由熙自身も病んでいるかのような