山田一喜のレビュー一覧
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この本を読むと、著者は「『株』というギャンブルで一発当てたラッキーな人」ではないことがよく分かります。普通の人よりも何倍も真剣に株と向き合い、たくさんの失敗と反省をして少しずつ能力を高めたのがよく分かりました。
① 投資には「挑戦して失敗し、また起き上がる覚悟」が大事
② 10万円を支給されたら、...続きを読むPosted by ブクログ -
本多忠勝の生涯について分かるが、思ったよりサラッとしていて紆余曲折しない。
表面上は、ほぼ徳川家康と同じストーリーだから、それを本多忠勝目線をもっと前に押し出せるんじゃないかと思う。Posted by ブクログ -
漫画の中で今川義元が愚将っぽく描かれていたのが少し不満。それでも、マンガとしてとても面白かった。信長が出陣して義元を討ち取るまでのスピード感が伝わってきた。Posted by ブクログ
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与沢さんの話をもとにしているのだろうが、漫画が本人に似ていなさすぎて別人の話を聞いてるみたい。まあ仮想通貨より日本株の推薦書にしてる割には、普遍的なことを書いており、初心者への入門書という感じPosted by ブクログ
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内容としては初心者向けだったけど本質部分に関しては与沢氏のメソッドか詰まっていて、投資も与沢氏の哲学に触れるのが初めての人にとってはベストだと思う。Posted by ブクログ
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義経の家臣たちが優しいと思った。義経が好きで、義経のためにがんばった。ぼくは自分中心だから、そういうふうになりたい。
最後のべんけいが死んじゃうところが、一番印象的だった。(小5)Posted by ブクログ -
与沢翼の考え方は結構まともである、ということに最近気がついた。彼の復活の代名詞である投資に関して説明がされているが、短期のデイトレのようなやり方ではなく、中長期の投資を本気で薦めており、素直に分かりやすく良い本だと思った。Posted by ブクログ
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■きっかけ
悪党・楠木正成って足利高氏と後醍醐天皇とどうゆう関係か気になった。ジャンプで連載している逃げ上手の若君の北条時行との関係も気になる
■本の内容
- 全般的に何が起こってるかわかりずらい。No69/131で北条高時が足利高氏に後醍醐天皇を討つように命じるが。楠木正成の配下が「高氏は京都に...続きを読むPosted by ブクログ -
読みやすく、参考にしやすくてよい。
ただ、9割は誇大だと思うし、根拠にしているマレービアンの実験も、その内容には疑義がある。
ちょこちょこ、根拠が微妙だと思うものの、やって悪いことはなかろうと思う。Posted by ブクログ -
2019/10/19
この本の解釈だと、奇跡を演出して民衆をまとめた少年という
ジャンヌ・ダルクにかなり近い役割だったのだな
キリシタンに加え、時代と大名が劣悪だった
起こるべくして起こった一揆だと知る。Posted by ブクログ -
書物ばかり読み武道に力を入れてなかったが、父の期待を受けて稽古に励み、力をつけていく。やがて四国を治めることに対して信長の許しを取り付ける。しかし、信長が心変わりして土佐のみ与えられる。これに反発して、戦になりそうだったが、本能寺の変が起こり戦とはならなかった。Posted by ブクログ
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豊臣秀吉の親戚。豊臣秀吉のいとこ福島正則と供に戦で手柄を立てて出世していく。同じく秀吉の家臣である石田三成は戦には出陣せず、対立していく。関ヶ原の戦いで徳川側に付き三成を破る。後に熊本城を建て大名となる。Posted by ブクログ
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幕府の重い年貢に苦しむ農民たちを団結させ、リーダーとして一揆を起こした。善戦虚しく敗れたが、現代では考えられない勇者と言えよう。Posted by ブクログ
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秀吉がもっとも信頼した天才軍師!
美濃の斎藤家に仕える竹中半兵衛は、態度の悪い主君をいさめるために、わずか16人で稲葉山城を奪取する。それは、稲葉山城を長年落とすことができなかった
織田信長をも驚愕させる事件だった! のちに織田信長に登用され、羽柴秀吉の軍師として活躍する半兵衛の、短くも波乱の生...続きを読むPosted by ブクログ -
幕末。薩摩藩の下級武士の長男として生を受けた西郷吉之助は役人となってからも貧しい農民から年貢の取立てを免除してもらえるように藩と掛け合ったりする人情家だった。
薩摩藩には開明派として名高い名君・島津斉彬がおり、西郷は幸運にも斉彬から目を掛けられるようになった。
時勢はペリー来航以後、開国か攘夷かで国...続きを読むPosted by ブクログ -
父・光秀の謀反により幸せな日々が一変!
夫を信じ、己を貫いた戦国女性の運命とは?
織田信長の重臣・明智光秀の娘に生まれ、
織田家臣団の若きエリート、細川忠興の妻となったガラシャは、
まさに幸福の絶頂にあった。
ところが、光秀の起こした“本能寺の変”によって、
彼女の人生は一変、奈落の底に突き落とさ...続きを読むPosted by ブクログ -
戦場で“槍の又左”の異名で恐れられ、前田家を加賀百万石に育てた猛将!!
若い頃の利家は「傾奇者」と呼ばれる派手な出立を好む戦国の不良少年だった。
それも四男で前田家の家督を相続できるわけでもない中途半端な立場が影響したと思われる。
が、主君である織田信長も傾奇者的なところがあり、何だかんだで気に...続きを読むPosted by ブクログ -
幼いころ病気にかかり右目を失明。
それからというもの、母親の愛情は、
もっぱら弟の小次郎に注がれ、
幼少年期の政宗を大いに苦しめます。
徳川幕府の時代になっても“天下”を狙いつづけ、
江戸の民から“伊達者”と呼ばれた政宗。
政宗は家族のうち、父親と弟を殺さねばならず苦渋の決断であった。残る母親...続きを読むPosted by ブクログ -
赤穂藩浅野家の家老。
忠臣蔵の主役として、指導者の理想像に。
名は良雄、内蔵助は通称。
山鹿素行に軍学を学んだと言われる。
1701年藩主浅野長矩が切腹、領地没収となると、家中を統率して浅野家再興を図る。
その望みが絶たれた翌年、赤穂義士の首領として、主君浅野長矩の敵・吉良義央を討った。
自身は...続きを読むPosted by ブクログ