大友良英のレビュー一覧
-
Posted by ブクログ
P64
稲葉 姿勢を整えて、体と心の状態を整えて、そこで初めて自分の字が書ける。僕はそれって極めて医療的だなと思ったんですよ。体や心を整える技そのものが。
大友 つまり文字を書くことを通して、まず体の「型」を作るところから整えていくと。
稲葉 そうなんです。「型」さえ作れば、あとは自ずからその人の文字が表れてくる、という発想なんですよ。弓道にしてもアーチェリーみたいに力や道具に頼るんじゃなくて、体の「型」を整えて、その動きに従ってやると、本当に90歳の人でもパット弾けて真ん中に当たる。それは当てるんじゃなくて、自然とそこへ向かっていく、という発想なんです。「道」というのは、自分の体をいかに使う -
Posted by ブクログ
著者の幼少期から青年期までの生い立ちと、タイトル通りの聴いてきた音楽の紹介。
「あまちゃん」の音楽でブレイクするまで、著者のことはずっとアングラの人だと思っていたが、経歴を見るとそうでもなかった模様。
本文が語り口調なので読みやすく、途中に挟まれる他のライターによる解説のコラムも本文の内容をうまく補足してくれて、総合的に大変わかりやすくなっている。
本書を読んで、またさらに聴いてみたい音楽が増えた。
本書は青年期までしかカバーされていないので、その後大友青年がどうなって今に至っているかにも非常に興味を覚えたが、あとがきでは3部作として書いてみたいと思っているとの記述があったので、期待して待つこ -
Posted by ブクログ
著者の大友良英氏は,即興演奏やノイズミュージックなど,実験的
なジャンルで活躍してきた音楽家で,一般参加型の音楽プロジェク
トや障がいをもつ人々との音楽ワークショップなど,音楽の可能性
を探る試みを国内外で手がけてきた方でもあります。そんな大友さ
んがその名を知られるようになったのは東日本震災の後。高校時代
を過ごした福島で立ち上げた「プロジェクトFukushima!」が話題と
なり,NHKドラマ「あまちゃん」の音楽を担当したことで,一気に
ブレイクします。
音楽家でありながら,小学校での音楽の授業が大嫌いだったという
大友さん。本書は,そんな大友さんによる,一般の人を相手にした
音楽の授業 -
Posted by ブクログ
「音楽」の授業が大好きだった人にも
「音楽」の授業が大嫌いだった人にも
ぜひ 一読して欲しい一冊
ネパールの友人に言われた
なぜ 日本の「お祭り」では一部の人だけが踊っているのですか?
ブルキナファソの友人に言われた
なぜ 日本の人は黙って音楽を聴いてしまうのですか?
「音楽」と「踊り」が暮らしの中に根付いている国の人たちから見ると 日本はとても変わった国に見えるらしい
私たちの「国」の「音楽」が このようになってしまったのは そう遠くではないような気がする
私たちの「国」が「音楽」を自分のものとして 取り戻すヒントが ここにいっぱいあるような気がする -
Posted by ブクログ
誰もが参加できる音楽の「場」を作ろうとしている著者の試みの模様(ワークショップ等)と著者の半生を簡単に振り返ったインタビューで構成された本。Phewとの鼎談が載っているところが貴重。まさか岩波新書にPhewが登場する日が来るとは、と本編とは関係ないところで感激。
本書では学校の音楽の授業について批判的に書かれているて、私も授業としての音楽は好きではなかったが、他の教科同様、いっせいに大人数に教えるのであれば、あのような方法、内容にならざるを得ないのは仕方ないな~と思った。
一方で、年に1回で良いから本書で紹介されているような、音を楽しめるワークショップが授業で取り入れられたら、学校での音楽も悪 -
Posted by ブクログ
全ての芸術家にとって、その人間性というのは作品の評価とは無関係であるはずであり、極論を言えば、ある芸術家が殺人の罪を犯したとして、その罪が罰せられることと、彼の作品の評価は切り分けて考えなければならない(自らの妻をピストルで撃ち殺したウィリアム・バロウズの罪と、「裸のランチ」に代表される彼の作品の独創性が全く別個に語られるように)。
ただ、そうした前提を置いても、僕にとって、大友さんは優れた音楽家であり、かつその人間性を尊敬できる唯一の芸術家である。生まれ故郷の福島の復興を”祭事”という観点からコミットした「プロジェクト FUKUSHIMA!」や、直近の「札幌国際芸術祭」(この夏に幾つかの -
Posted by ブクログ
いわゆる「音楽」ではないアプローチで、
音を出し模索し作っていく現場の面白さ。
身体を動かすことの楽しさ、周りの人間との関係性、コミュニティの問題、教育の問題、
さまざまな要因が絡んでくる。
一般の人たちとその場で音楽を作っていくことを、
最初はやろうと思っていなかった、
むしろ疑っていたり嫌がっていたり避けたかった、
というスタンスでいたと書かれていてむしろほっとした。
引き受けてからやり始めて、理解できないこと、衝突したこと、などを経験しながら、
自分の内面が動いて楽しくなっていった。
発見や驚きや刺激を受けたことで、自分のやってきた音楽も変わっていく。
始めにご立派な志ありきではなく、