【感想】
令和7年9月7日。阪神タイガースが史上最速でのリーグ優勝を決めた。これで阪神は令和に入ってから全てAクラスでシーズンを終えており、3位2回、2位3回、1位2回、日本一1回というまさに「令和最強球団」となっている。
しかし、阪神が常勝軍団となったのはつい最近のことだ。昭和~平成時代(特にクライマックスシリーズが導入される前)に至っては、巨人の後塵を拝し続ける「勝てない球団」であった。いったい昔の阪神と今の阪神は何が違うのか。巨人の次に歴史がある球団が何十年も弱小チームであり続けたのは、何が原因だったのか。
本書『虎の血 阪神タイガース、謎の老人監督』は、そんなタイガースにかつて監督として在籍した「岸一郎」という人物にスポットを当て、彼の生涯と監督生活、そして阪神という球団の深淵を探る一冊となっている。
岸はかつて大学野球で目覚ましい成績を残したエース級ピッチャーだったが、30歳手前で野球から退いた後、長らく農業をして暮らしていた。もちろんプロ野球経験は無いのだが、そんな彼が突如60歳にしてタイガースの監督に抜擢されたのだ。
そんなアマチュア上がりの岸が監督して活躍できたのかというと、もちろん無理な話だった。岸は物腰柔らかであり印象は悪くないのだが、いかんせん軽口が目立ち、選手との関係を上手く構築できていなかった。タイガースのスターである藤村に対して「藤村だろうと成績が伴わなければ容赦なく外す」と言ったり、巨人の大打者である川上・千葉に対しても「往年の打者としてたいしたことはない」と言ったりと、軋轢を生むような発言が散見される。当時は選手間の縄張り意識が強く、成績と同じぐらい人と人との信頼関係が重要であった時代だ。そうした中でプロ野球経験無しの素人が大口を叩いているとあっては、やはり選手もいい顔はしなかったであろう。
本書ではそうした「岸一郎の人物像」を掘り下げていくことを主軸としているのだが、もう一つ柱がある。それは岸監督という不可解な人事から見る「タイガースの構造的な問題点」である。
岸を監督に据えるという人事は本社が決定した事項なのだが、何ら現場の事情を考慮していない。結果として選手が監督の言うことを聞かなくなり、チームの力が削がれている。この一連のいざこざが、タイガースが弱小球団のままであった理由につながってくる。つまり、選手、監督、本社といった球団を取り巻く人物達の目指す方向が全てバラバラであり、互いに協力しようという姿勢を全く見せていなかったからなのだ。
特に酷かったのが、デイリースポーツなどタイガースを中心に扱うマスコミである。スポーツ新聞は売上第一主義なのだが、阪神のお家騒動を記事にした日は売上が目に見えて増えるのだ。そのため、内紛状態のチームを焚き付けるような記事を書いたり、選手からの球団批判や監督批判を記事にしてしまうという行動をしきりに行っていた。例えそれが信ぴょう性の低い、捏造に近い情報であってもだ。タイガース史に残る大事件「藤村排斥事件」については、もとは選手たちによる「チームを今後どうしていくか」という話し合いが、スポーツ新聞に「藤村排斥のための集会である」と書き立てられてしまったことが発端であったという。
阪神タイガースは、究極の選手ファースト球団なのだ。プロ野球はファンを喜ばせる選手が主役で、監督は負けの責任をすべてかぶるためにいる。野球はスポーツである以前に興行であり、それがタイガースを長年勝利から遠ざけていた要因だったのだ。
――不満という火薬を徐々に蓄えていったのが藤村であるならば、導火線を作ったのは、岸一郎か。岸が監督の時分に、藤村はその采配に従わず、選手たちの前で「年寄り」「こら、オイボレ」と悪しざまに罵るなど、監督としての尊厳をないものにしていた。この時の藤村の姿勢を選手たちは見ていたのである。
――「この時から、ずっとそうなんや。最終的な決定権は本社にあるという権力の所在が明らかになった。結局、歴史を見返しても、本社・球団・現場が三位一体、一枚岩になれないと勝つことは難しいんやろな」
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【まとめ】
1 謎の老人監督
岸一郎。大阪タイガース(現・阪神)の第8代監督を務めた。1955年に60歳でタイガースの監督に就任するも、わずか2カ月で退任した。
岸は60歳までプロ野球経験のない老人であり、30年近く農業をして暮らしていた。タイガースの大ファンで、腹案のタイガース再建論と「自分を監督にしてほしい」という手紙をオーナーに投書していたら、それが目に留まり監督に採用されてしまった。しかし、選手たちから反発されわずか33試合で監督生活は終焉した。
1980年に、日本のスポーツライターの草分け的存在である大和球士が『真説日本野球史』において、岸一郎のことを次のように書いている。
――昭和30年の阪神のオーダーは優勝を狙うに十分な布陣であったが、内紛があってチームは和を欠いた。思うに阪神はその後も小型内紛、大型内紛を繰り返し、常に実力兼備のチームでありながら昭和55年に至るまでに優勝わずか2度に過ぎぬ。情けない限りである。チームの和を欠く阪神の悪伝統の原点が、30年の岸退陣事件にあったと断定しても差し支えあるまい。
ここに、阪神タイガースという底なし沼の深淵がある。
2 人事介入
阪神で3度の監督を務めた吉田義男は語る。「タイガースは、歴史はあるけど伝統がない、ということをよぉ言われるんです。巨人と同じような歴史があるのに、中身が違うんですよ。特にフロントと現場との一体感というものが希薄なのかなと思わされますね。そういうところから綻びが出て、内紛やお家騒動が起こってしまうのでしょう」
優勝した1985年、2003年、2005年を見ると、フロントと現場が同じ方向を向いて歩んでいたことが分かる。だが、そうしたことは容易くできるものではない。
吉田はそうした内紛やお家騒動の原点として、1956年オフに起こった「藤村排斥騒動」を語る。大スターであり兼任監督だった藤村富美男に対し、主力選手たちが反藤村の旗を掲げ、権力の座から追い落としたこの事件で、吉田は排斥派の若手筆頭として名前を連ねている。この藤村排斥事件によって、タイガースにおけるフロントと選手の闘争の歴史が幕を開けた。そして、事件の顛末を連日詳細に報じたスポーツ紙が軒並み売り上げを伸ばしたことで今日に続く過剰な報道合戦が始まったともいわれている。
岸の監督就任が発表されたのは1954年11月24日。前任の松木謙治郎の正式な監督辞任が発表されてからわずか1週間のことであった。記者会見に集まった記者たちは、聞き慣れない名前に騒然としていた。しかし、岸本人は質疑応答で温厚な性格をのぞかせ、聞かれた質問に真摯に答えるなど、これまでのタイガースの監督では考えられない取材対応を見せていた。
この人事決定に関わったのは、タイガースオーナーの野田誠三である。本社とトップが自ら球団人事に乗り出してきたのだ。前身の松木謙治郎が大阪球団事件の責任を取って監督を退任し、後継にミスタータイガース藤村富美男を据えようと水面下で動きがあった中、「タイガースの古い血を入れ替えるため監督をやらせてくれ」という岸のラブレターに食いついてしまったのだ。
3 ベテランを殺す
岸一郎の入団前の前評判は散々であった。30年近く野球を離れている老人には、「時代感覚にズレがある」という評価が下っていた。岸自身には野田オーナーより「若い投手の育成」「古い血の入れ替え」がミッションとして与えられており、それを完遂することだけが生き残る手段となっていた。
しかし、岸の就任を快く思っていなかった人物がいる。この時選手として下り坂に差し掛かっていた藤村富美男である。
岸の監督登用は、表向きは藤村富美男に監督として土をつけないための配慮であり、
投手力を整備し、勝てるチームができるまでのお膳立てをするためのつなぎという名目があった。
しかし、裏の狙いとしては「力が落ちてきた藤村をスタメンから落とせ」といくら言っても誰も手をくだせなかったアンタッチャブルな存在を、プロ野球界のしがらみの外ゆえに平気でクビを斬れる、処刑人としての登用という意図もあったのだろう。
岸が成功できるかどうかは、藤村との関係を上手く築けるかどうかにかかっていた。
4 ペナントレース開幕
岸政権のもとでのペナントレースが開幕した。序盤は期待以上の滑り出しであり、大洋・国鉄・広島・中日とのカード終了13試合時点で9勝4敗と首位をキープしていた。
いよいよ巨人との伝統の一戦を迎えるのだが、それを前に巨人軍の親会社である読売新聞から「岸(阪神)監督のひとりごと」と称した捏造記事が掲載された。内容は助監督の藤村に対する苦言だったのだが、この内容を真実と誤認した藤村は岸を批判するコメントを残してしまう。
当時18歳で投手としてベンチ入りしていた梅本は、岸のチーム内での孤立ぶりをこう語る。
「あの人が、藤村さんや御園生さん、金田さんと話しているところなんて一度たりとも見たことがないですわ。そりゃ、藤村さんいうたら神様や。素人のじいさん相手に何を話すことがあるんや。主将の金田さん、田宮さんら主戦級の選手だって、バカにして言うこと聞くわけないやん。吉田さんらも若手とはいえ一軍の試合に出とったスタープレイヤーやし接点は少なかったはず」
「サインも一応は出していたみたいやけど、誰と相談するでもなく、誰に何を言われるでもなく。ずっとひとりやった。あれは、ちょっと異様な光景やったと思うで」
5月になると岸一郎の顔から生気が失われていた。監督就任以来、一日も絶やすことがなかった好々爺たる穏やかな笑みは貼り付いたような無表情へと変わっていた。鈍感すぎるまでに選手の感情をキャッチできないといわれた岸も、やっとチーム内に張り巡らされた「岸監督不信」の空気を悟ったようだ。
ベンチ内では岸の言うことを聞く人は誰もおらず、藤村からは「オイボレ」「年寄り」と悪態を突かれる。スポーツ新聞をはじめとするメディアも「ボケ老人」「夏までの監督」「大正野球の遺物」「ブランク30年の無能」などなど、岸一郎へのあることないことを並べ立て、藤村や主要選手との対決姿勢を煽り立てた。
そして5月21日、岸は「体調不良のための休養」という名目でベンチを離れ、二度と戻ることはなかった。わずか33試合の監督だった。
5 揉める阪神
しかし、タイガースの問題はここからだった。主力選手が監督を無視、反抗し、ついにその座から追い落としてしまった事実は重い。選手に勝利感を与えてしまったこの処置が「揉める阪神」の導火線になっていたことは、球団も選手もまだ気がついていなかった。
1954年を3位で終えたタイガースは、1955年には藤村を正式に監督に据える。しかし、監督一本で行くのか、選手兼任監督で行くのかは不透明のままであり、チーム内には兼任監督に対する不満の空気が滞留していた。
岸から指揮官を譲り受けた昨年の5月後半以降、藤村は「ファイトを燃やして全員を引っ張る」の言葉通り、選手たちに激しい叱咤を飛ばして戦った。それはチームを鼓舞したといえば聞こえがいいが、実際の現場ではミスを犯した選手に対しては大声で怒鳴りつけ、自分が活躍した時には「こうやって打つんや」と得意満面に振る舞うこともあったという。
当時のある中堅選手が回想している。
「藤村さんはスーパースターであるがゆえに、自分以外の選手が活躍すると嫉妬心を露わにしました。プレイヤーとしての対抗心は大事なことなのかもしれないけど、他人の殊勲を自分の手柄に横取りしてしまうようなことを、監督になってからもやっていては選手の心は離れていきますよ」
この年タイガースは、8月11日に貯金28と2位巨人に5ゲーム差をつける首位だったものの、チーム内は藤村富美男vsベテラン主力選手で真っ二つであり、結局4.5ゲーム差の2位で終わってしまった。
そんな中、藤村排斥事件が起こる。事件のもとを辿れば藤村と不仲であった金田を筆頭に、給料問題や会社への不信を含めて「ただ明朗に野球をやりたい」という不満が選手間から表れた結果だったのだが、メディアと世間を巻き込んで変な方向へ転がってしまった。
各方面からの介入によって最終的には排斥派と藤村は和解したのだが、この事件によって、スポーツ新聞のタイガース報道は事件以前と以後に分かれるといわれるぐらい、世間の関心と売り上げで急成長を遂げる契機となった。
それはすなわち「タイガースのお家騒動は売れる」という世紀の大発見でもあった。これ以来、毎年のようにシーズンが終われば季節の便りのように醜聞が届き、タイガースは球界のスキャンダルメーカーとしての地位を確実なものにしていった。
6 虎の血
岸が監督だったあの2ヵ月間。采配には従わず、ベンチで公然と悪口を言うなどいわば監督批判の急先鋒となっていた行動の背景を、のちに大井廣介がこう書いている。
「(就任会見当初から)岸の暗君ぐあいに頭を抱えた田中義一は、シーズン前に藤村と金田を個別に呼び出していた。『すっかりご存じだと思うが、あの岸老人は監督としてはあまりにも頼りない。シーズン中は二人でチームを引っ張って行ってくれないか。』この言葉に藤村が奮い立ち、行き過ぎと見えるような節々の行動を招いたのが真相だという」
結局いつも同じことなのだ。オーナーも、会社も、球団も。監督も選手も誰もがタイガースを愛してはいる。ゆえに誰もが疑心暗鬼になって自滅する。
最初に落とされた異物が岸一郎だった。球団創立以来、石本秀一であり、若林忠志であり、松木謙治郎が守ってきたタイガースという球団の魂を、受け継ぐべき人が受け継がず、よそから来た何も知らない人間が、ずけずけと「古い血は入れ替える」などと放言されては、家を守ってきた人間が黙っていられるわけがないのだ。
1985年、阪神タイガースが21年ぶりの優勝を目前としていたある日、川藤幸三はOBの藤村にこう言われた。
「監督がおかしいと思うたら、選手は言うこと聞かんでええ。ワシらもそうやってきた。その代わり、自分のことは自分で責任を持つ。それがタイガースや。監督の顔色をうかがっているようではあかんのや」「今、タイガースが久しぶりに優勝争いをしているやろ。新聞を見れば、阪神タイガースやなくて『吉田阪神』と書いてある。なんやねんこれは。ええか。タイガースの監督は吉田や。
せやけどタイガースは吉田のもんではない。タイガースがあるから吉田がおるんや。ワシらは監督やコーチに認められたくてやってきたわけやない。ファンに認められるために必死になれたんや。それが諸先輩方が作ってきたタイガースであり、虎の血なんや。これを後輩たちに繋いでいけ」
お家騒動ばかりで、シーズンに入ったらちっとも巨人に勝てない。チームの功労者は成績が落ちれば追い出され、いつの間にかバラバラになっている。選手、フロント、ファンが一緒の方向をなかなか向かず、喧々諤々主張をぶつけ合い、結果として責任者たる監督がすり潰されていく。
それでもタイガースは「虎の血」を分けた人々から愛され続けている。裏切られても、踏みつけられても、ドアホと笑われても、
貫き通せるタイガースへの愛。それだけが、この球団と、そこに魅かれた人々を衝き動かしている。