岡本哲志のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
江戸時代から現在にかけて、東京という地域がどのように形成されていったかがわかる本。日本史の授業では政治史に目がいって、なかなか取り上げられない題材だけど、東京圏に住んで13年、ある程度土地勘もあるなかで読むと面白い。町歩きがしたくなります。
本書を読んで強く感じたことは、東京の歴史は火事と切っても切り離せないということ。これだけ何度も何度も火の海になった地域というのはなかなか無いだろうし、それをきっかけに変わってきたこと、そしてなぜ丸の内いまが栄えているのかというのもわかります。
以下、面白かった部分のサマリー。
◆江戸は大火の繰り返し
江戸時代の間(1601-1867)に大火は49回も発生しました。他の大都市と比べると、京都9回、大阪6回、金沢3回というから、その差は歴然です。小さな火事も入れたら1798回発生したという記録があります。冬場に乾燥した強風が吹くのが原因なんですが、「火事と喧嘩は江戸の華」という言葉のとおりですね。
どれくらい燃えるのかというと、明暦の大火では、西は今の飯田橋駅から東は浅草橋あたりまで、南はお堀の東を回って増上寺まで焼失します。80日間連続で雨が降らず、3日間燃え続け死者10万人を出しましたので、相当な被害を出します。
あまりにも火事がひどいので、内風呂を作る家はほとんどなく(その代わり銭湯が繁盛)、火を焚けるのは18:00ころまでと定められ、冬場は妻や子どもを郊外の実家に疎開させる家もあるくらいでした。
◆大阪遷都論を乗り越えて
江戸幕府崩壊後、首都の本命は実は大阪でした。前島密(郵便制度の創設者)という人が、対蝦夷の地政学であるとか、手狭な大阪と比べて江戸城と武家屋敷跡が利用可能であるとか、港も作りやすいといったことを訴えて、なんとか東京遷都が実現します。大阪が首都だったら、今はどうなっていたでしょう。
◆鉄道網
日本の鉄道は明治中ごろまでに全国でくまなく張り巡らされますが、東京都心への鉄道乗り入れはまだでした。
東海道本線:新橋まで
東北本線:上野まで
中央本線:御茶ノ水まで
総武線:両国駅まで
新橋ー上野間(5.5km)を通す高架線工事は、明治22年に計画されていましたが軟弱な地盤から工事が難航します。明治33年着工で東京駅完成は大正3年。大正14年にようやく全線開通です。そのころから丸の内には巨大ビルが建ち始め、東京の中心地となっていきます。大正中期には今と変わらないような電車通勤の風景ができあがりました。
◆関東大震災
大正12年9月1日、関東大震災が発生します。揺れも大きかったのですが、正午少し前に発生したのであちこちで火災が発生。東京都心の広範囲が焼失してしまいます。ここで丸の内は運良く消失を免れます。すると官庁が丸の内に移転し、銀行や会社の事務所も丸の内に集約するようになり、「帝都復興」の中心となります。
◆東京大空襲
昭和20年3月と5月に東京大空襲がありました。またもや東京都心の広範囲が焼失してしまいます。この時も丸の内は焼失を免れます。これは、米軍が統治拠点を意識してあえて丸の内を残したと言われていて、実際に日比谷の第一生命本社をGHQが利用しています。 -
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<目次>
はじめに
第1章 水の都にふさわしい江戸時代の掘割網
第2章 明治前期~延伸した浜町川、埋め立てられた三つ
の掘割
第3章 市区改正事業で延伸した日本橋川と埋め立てられ
た四つの掘割
第4章 二つの川を開削し、三つの掘割を埋め立てた帝都
復興事業
第5章 大空襲の瓦礫処理で埋め立てられた五つの掘割
第6章 高度成長期以降、陸化した五つの掘割
おわりに
<内容>
この本のできた経緯は「おわりに」に書かれている。ブラタモリにも登場した著者のこの本は、専門書顔負けの本である。江戸の町は水の都であった。江戸時代以降、掘割が掘られたり埋められたりを繰り返したが、関東大震災、東京大空襲で瓦礫処理で多くが消え、高度成長期に高速道路網と河川のドブ化がすすんで、今のような状況である。しかし、神田川などを見るとその名残がある。著者の言うように、高度成長も過ぎて若者の車離れも進んだ。東京都心には物流拠点も大工場もない。河川や掘割を復元し、東京の水の都化計画、いいと思う。