加賀野井秀一のレビュー一覧

  • 猟奇博物館へようこそ : 西洋近代知の暗部をめぐる旅

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     本屋さんで見かけてなんとなく表紙買い。

     たくさんのテーマが短い章に分けられてつづられているので、どこからでも読み始められて、また、読みやすい。できれば写真はカラーか、さもなくば口絵が欲しいところだったけれど……。

     この手の「博物誌」は、澁澤龍彦の随筆や、荒俣宏氏の著作でわりとなじんでいるつもりだったのだけど、本業フランス哲学の筆者の視点から見た「博物誌」は、やはり一味違った面白さがあった。
     面白いんだけど、生真面目な文体で、淡々とつづられているだけの文章なのに、途中何度か吐き気を催してページを閉じてしまったのはなぜだorz もっとグロテスクな写真集(カラー)や、画集を見ながらでも

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    2012年02月21日
  • 猟奇博物館へようこそ : 西洋近代知の暗部をめぐる旅

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    猟奇的という文脈のもとに、古今東西の異貌のオブジェを博物館さながらに紹介している一冊。キュレーションのお手本のような構成だ。

    本書には解剖学ヴィーナス、デカルトの頭蓋骨、腐敗屍体像にカタコンベ、奇形標本などのグロテスクな写真がふんだんに登場する。それでいて上品さが損なわれていないのは、対象人物や、その思想へのリスペクトを欠いていない著者の語り口によるものであろう。

    例えば哲学者デカルトは、紆余曲折を経て頭蓋骨と身体が別々の場所に葬られている。この事実を紹介した後の、著者のコメントが憎い。

    それにしても、心身二元論の標榜者にふさわしく、デカルトは今日もなお、形而上的な頭蓋と形而下的な四肢の

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    2012年01月13日
  • 感情的な日本語ーことばと思考の関係性を探る

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    無意識的な母語のメカニズム全体を見渡す…めちゃくちゃ楽しい。日本語は表情豊か&携帯把握がしやすい反面、論理性には弱い面もある。
    母語話者じゃなかったら絶対勉強したくない笑

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    2024年05月28日
  • 感情的な日本語ーことばと思考の関係性を探る

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    日本語は確かに感情的な表現力が豊かな言語であり、文末まで結論が明らかにならない特徴がある。また、多くの和製英語やオノマトペを含む表現力の高い言語でもある、と認識している。将来的には、主語が省略された文章が増え、結論を先に述べる言い方に変化していく可能性がある。
    しかし、日本語の中には英語圏で理解されにくいカタカナ英語の使用もある。例えば「シミュレーション」を「シュミレーション」と誤って使ったり、「マニフェスト」を「マニュフェスト」と表記するなど、英語の発音や意味と異なる使い方がされている。また、「ナイター」は「ナイト・ゲーム」、「サラリーマン」は「オフィス・ワーカー」、「ガソリン・スタンド」は

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    2024年04月21日
  • 猟奇博物館へようこそ : 西洋近代知の暗部をめぐる旅

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    ネタバレ

    タイトルからスプラッター的なものを想像していたら、
    西洋で実際にあった見世物小屋や、貴族の趣味全開のブンダーカマー、そしてそれらに纏わる『視線』のお話などなど、割と(失礼)真面目に色んなことが書かれています。
    抽象的なお話、映画や文学作品からの引用などこちらの知識を試される部分もありますが、載ってる写真と筆者の語り口が軽いので(スマホ片手に色々調べながらですが)楽しく読めます。
    個人的に一番印象に残っているのはパリのカタコンベのお話。フランス革命前夜のハイパー合理主義・最強のSDGs。ぜひ読んでほしい。

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    2022年10月18日
  • 猟奇博物館へようこそ : 西洋近代知の暗部をめぐる旅

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    ネタバレ

    タイトルの「猟奇博物館」は、この名前の通りの博物館が世界のどこかにあるというわけではない。世界各地に点在する、「猟奇的なモノ」を展示する博物館や教会、史跡などを、著者が自分の足で訪れ、その内情を細やかに記したうえ、その展示物にまつわる蘊蓄まで述べていて、この本自体が「猟奇博物館」になっている。自宅の椅子に座りながらにして、世界各地の「猟奇的なモノ」を見聞できるという、なかなか贅沢な読書体験ができる。

    1トピックあたり10ページ弱と短いので、目次を見て面白そうなものだけ拾って読むのも良いかと思うが、オススメは頭から通して読むこと。なぜかというと、大まかではあるが歴史的な時間の流れをふまえて「陳

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    2022年02月12日
  • 猟奇博物館へようこそ : 西洋近代知の暗部をめぐる旅

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    "猟奇博物館へようこそ"という題名から受ける印象とはだいぶ違うというのが読後の印象。副題の西洋近代知の暗部をめぐる旅って言うのはぴったりだと思う。パリを中心に普通の観光客は絶対に近づかない博物館を作者が独特の語り口で案内する書籍というところか。前半は、カタコンベなどのキリスト教に関連する施設や遺物についての紹介。後半が医学にまつわるホルマリン標本や蝋細工の解剖標本などについての紹介。たぶん、猟奇ではなく、驚異や好奇といった見世物小屋的発想を前面に押し出しているので、本文冒頭での言葉の方がしっくりくる。

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    2012年12月05日
  • 猟奇博物館へようこそ : 西洋近代知の暗部をめぐる旅

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    文体が少し翻訳調で、カタカナ語を多用しており、独善的な部分もあったため、少し読みにくかったのは否めないが、興味深い内容と構成は面白かった。
    きちんと理解するためには、美術とヨーロッパ言語(特にフランス語とイタリア語)の基礎知識は必要。(筆者は一体どういう人々を読者層として考えていたのだろう?)
    猟奇への興味は、窃視趣味とつながっている。
    そして、人間とはこんなにもおぞましい存在なのだよね、ということについて共感したい、という思いも私にはある。実際には共感してくれる人はなかなかいないのだけれど、美女も一皮むけばゾンビ、のくだりで、日常生活では見えてこない内臓を露出させれば、にわかに共感する人も出

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    2012年02月13日
  • 感情的な日本語ーことばと思考の関係性を探る

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    極東の島国、大陸文化への憧れ、八百万の神、異なるものを受け入れやすい民族、短詩形文学による表現、等等、日本語を形作る背景は面白い。やはりAIの時代になっても、言語を学ぶ意味はあると思う。

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    2025年07月06日
  • 感情的な日本語ーことばと思考の関係性を探る

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    昔から聞かされた「日本語は理論的でない」「文末まで読まないと意味がわからない」などの説を詳しく解きほぐしてくれただけで価値のあった一冊。述語を先に述べる英語などは結論の出ている主張にしか使えないという話や、主語と主題どちらに注目する言語化などは、どれも納得がいき面白い。また、「辞」にこだわり「詞」を見失いがちなどといった話は、ものを書く人には割と突き刺さる気がする。

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    2024年10月03日
  • 日本語を叱る!

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    題名+目次で言いたいことはすぐ分かるけど(笑)
    「正しい日本語」本によくある、極端な例を挙げ連ねて糾弾するのでなく、なぜ「悪い」のか、なぜ「悪く」なったのかが日本語の特性に則して書かれてて良かった。感性に頼りすぎか。

    最後の方の、二極化とあいまい化は矛盾してる?

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    2011年09月23日
  • 日本語を叱る!

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    [ 内容 ]
    日本語は曖昧な言語であり、情意表現に適していると言われることが多い。
    けれども「テニヲハ」や、後置詞「によって」や「において」などを駆使しながら、明晰な意味を表現できるようになった。
    ところが、近年の「カタカナ言葉」や、「一語文」「タメ口」に代表される若者言葉、それに携帯電話やメールなど情報環境が激変したことによって大きな混乱が生まれている。
    「甘やかされた日本語」の現状を丁寧に分析し、「雑種言語」としての日本語の歴史を再検討しながら、新たな可能性を探る。

    [ 目次 ]
    第1章 甘やかされた日本語を叱る―もう以心伝心にはたよれない
    第2章 カタカナ語の濫用を叱る
    第3章 漢語の

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    2014年10月28日
  • 日本語を叱る!

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    「孤立語」ー中国語「屈折語」ー英語、ドイツ語等「膠着語」ー日本語


    和をもって尊しとなすという日本的美徳をもそろそろ返上すべき時期にさしかかってきているかもしれません。この美徳があるために、我が国ではしばしば論理を通すことが困難になるからです。議論を交わし、論理的に話し合おうとすれば、時に感情的な軋轢が生じるのは当たり前。そうした不和を恐れていては、お互い不平ををかこちながら遠慮するばかりで、もう一段上の和は望めません。議論を交わすにあたり、私谷地には勝ち負けへのこだわりをきれいさっぱり捨て去る努力も必要になるでしょう。

    以心伝心にのっかって「かなり」「結構」「案外」といった主観的ないいま

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    2009年10月07日