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越境する「キャラ」論──。日本語研究の最前線をゆく執筆陣による「キャラ」と「日本語」をめぐる論文集。「さまざまな「キャラ」」「物語世界のキャラ論」「現実世界のキャラ論」「キャラ論の応用」の4章、縦横無尽に論じる11篇。
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Posted by ブクログ
総じていえば、「キャラ」という概念について、様々な角度から論じた論文集。 11個の論文があるが、最初の1個の論文が残り全ての論文を論評しているので最初の1個を読みながらだと分かりやすい。 あと、随所にオタク的なものを考察対象にしているので、笑ってしまった。 印象に残ったのが、所謂我々が理解してい...続きを読むる「キャラ」という概念はまだまだ定義の可能性がありうる概念ということ。 この本でも、「キャラ」について様々論じられているが、その概念についてはまだまだ議論や変化の余地があるということ。 現代特有のもので、変わっていく。その意味では、言説に近いのかもしれない。 筆者はこの本で、「キャラ」を人格とスタイルの中間と定義している。 人格は変わるとまずいもの。スタイルは使い分けても支障がないもの。 キャラはその中間、使い分けられるけど見られると気まずい。でも、気まずいって、あくまで感覚なのでそうならなくなる場合もあるのでは? ただ、研究者たちが、一つの「キャラ」という概念に対して、こんなに真摯に向き合って研究を重ねているんだという驚き。 一つの言葉に対して、外堀を埋めていくようなイメージ。こうした研究を積み重ねていくことが、学問なのかな、と思う。 ★前提として覚えておきたい概念 キャラには3つの概念がある。 ①外来語としてのキャラクタ:登場人物 ②漫画評論家伊藤剛(いとうごう)による定義:多くの場合、比較的簡単な線画を基本とした図像で描かれ、固有名で名指しされることによって「人格・のようなもの」としての存在感を感じさせるもの。(線で構成されているが、どんな角度からでもドラえもんだとわかる。「書き分け?」) ③本当は意図的に変えることができるが、変わらない、変えられないことになっているもの。それが変わっていることが露見すると、見られた方も、見た方もそれが何事であるかすぐにわかり、気まずい思いをするもの。(所属する組織におけるキャラ) ※定延さんが新たに定義したのは③の概念。 キャラクタと言葉の結びつきを示す概念。 例1キャラクタを言葉が表す 子供キャラ 例2キャラクタが言葉を発する ~じゃ(「役割語」すべての言葉は役割語である。) 例3キャラクタの動作を言葉が表す ほくそ笑む 例4キャラクタの思考を言葉が表す わたくしおかしいぞと思いましたの ★それぞれの論文の内容を簡単に ・日本語コーパスにおける「キャラ(クター)」 顕著な普及は2000年代から。 1999年ごろから、自分や友人の在り方をキャラと呼び始めたのと一致している。 ・「属性表現」:キャラクターの性格的な属性などの人物の部分的な属性を示す言語表現 役割語と違うのは、言語表現がさししめすのは人物の全体像ではなく部分的な属性であること。言語表現のさししめす属性は現実の世界における存在の裏付けがないこと。 前者については、キャラクターの持つ様々な属性に対応するので、トータルなキャラクターの人物像を示す役割語とは異なっている。これが「複合性」ドジっ子属性・幼馴染属性・ツンデレ属性を併せ持つアニメキャラなどがそれにあたる。 その属性の意識的に使用されるジャンルに興味のない人にとってはイメージできない。これが「非現実性」。ボクっ娘アニメキャラなどがそれにあたる。 そして「属性表現」と役割語の大きな違いが、そのことばづかいと人物像の結びつきについての「知識の共有」が日本語社会のどのような範囲でなされているかという点。例えば、1Q84のふかえりと、涼宮ハルヒの長門の言葉遣いが似ているということをいう人もいるが、言葉だけ並べられても、似ているキャラだと感じる人はほぼいないと思われる。これは、「知識の共有」があることが前提として、「属性表現」が成り立つことを表している。 ・言語のキャラクター化 キャラクター化:何かをキャラクターに変容させる記号過程 キャラクター:そこに「命」が付与され活発化されたもの。アニメートされた存在。(人形劇のような) →言語のキャラクター化に注目した。蘭子語、中二言語、ビジネッシュ、ノムリッシュなどは日本語が素材として操られ、キャラクター化されたもの。 ・定延さんの述べるキャラ概念について 「スタイル以上、人格未満」 スタイルは意図的に切り替えられ、あからさまに切り替えても差し支えないもの。例えば中間管理職が社長に丁寧に対応し、部下に尊大に対応するのがスタイル。 人格は安定性が高く普通は意図的に切り替えられないもの、変わった場合は別人かと思われるような重大な事態である。 一方でキャラは、本当は意図的に変えることができるが、変わらない、変えられないことになっているもの。それが変わっていることが露見すると、見られた方も見た方もそれが何事であるかすぐに分かり、気まずい思いをするもの。(2chの書き込みに、バイト先とキャラ違うやつこい、というスレタイで建てられているように、匿名性の高いところで暴露されるようなもの。) この概念を元に、これまで以上に人間は柔軟であるし、我々が人間の普遍性(変わらないものであるという通念)に縛られていることに注意を向けなくてはならない。 ・ブルデューの「ハビトゥス」と定延の「キャラ」 ハビトゥス:行為者の実践・行為を司る固有の振る舞いの様々な傾向の集合体。構造化しつつ構造化される。 キャラ:人格とスタイルの間。 ハビトゥスとキャラは類似している部分もある。 例えば主体と社会の間を仲介する点であったり、永続的であるが時間が経つにつれて変化しうる点。主体と状況の相互的関係を示すもの。 勿論相違点もある。 ハビトゥスは説明のための明確な原理だが、キャラは理論化される以前の概念であり、形成プロセスは明示されていない。 キャラはより厳密な理論へと発展させることが必要になった段階まできているのではないか。そして、ハビトゥスとキャラの間のインスピレーションがあるのではないか。 ・若者たちのキャラ フィールドワークで若者たちを観察 ・直接引用とキャラ 話の中で直接引用する場合も声色を変えている。これも、新たな「キャラ」としての定義の必要があるのではないか。 ・方言における自称詞・自称詞系文末詞の用法 キャラ助詞:特定のキャラクターに与えられた語尾。うそだよぴょーん。のぴょーん。終助詞よりも後の位置に現れる。 この終助詞より後というのは、今までなかった概念。遊びの場として限られていたと考えられているが、各種方言に、実は一人称の文末詞が現れる。イキガイガアルヨワレ。のような。 この言語の使い方について、まだ研究のし甲斐はありうる。 ・日本語教育とキャラ 日本語教育にキャラと言葉の関わりは取り入れられるべきか? →全て言葉は役割語であるという前提に立つと 1日本語教育は、役割語とは別に、キャラクタ動作の表現をも取り入れるべき。(ニヤニヤ、ニコニコ、ニタニタの違い。欲しがる、せがむの違い) 2日本語教育は役割後を教えるべきという主張から、日本語教育はさまざまなことばを役割語として教えるべき という主張に修正すべき。 濃い女性語を教えられた学習者は、現実とのギャップに苦しむ。 もちろん、それが日本語学習者を脱落させては本末転倒だが、アニメ・漫画の日本語というサイトにアクセス数が多いように、一定程度需要はあるのではないか。
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