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「稀覯本余話」「愛書家地獄」「ビブリオマニア」――19世紀フランス、古本道楽黄金時代のフローベール、デュマら、名だたる書物狂いによる〈書痴小説〉アンソロジー。本の病は不治の病。
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Posted by ブクログ
表題のように「愛書狂」 ビブリオマニアの小説を集めたもの あとがきにはこんなことが‥ 『恋の病にはさまざまな治療法が考えられる。 肉体の衰えという自然治癒への期待すら。 それにひきかえ、書物狂の疾患には、 誰もが口を揃えて言うように、快癒の 見込みが完全に絶たれている。 年齢もまたかかわりない』 ...続きを読む確かにこれは相当な不治の病! 世界に一冊であったり 初版本 サイン本 内容よりもそのたたずまい 装丁の美しさ その本のためなら なんでもしてしまう すべてをつぎこんで‥‥ フランスにおいてはことに その病が流行していたようです 登場人物たちのどうにもならない 物欲!怖いけれど なんか、わかってしまう 昭和55年に刊行された本書は 野中ユリ氏装幀のフランス装.函入り。 普及版とは別に 総革装、天金、二重函入り特装本も これは250部制作のみ どちらかはわからないが 京都の書店にあるものを TVで見たことがある 美しかった! この時点で私ももう愛書狂であることは 間違いない ただ、悪魔に取り憑かれるほど のめり込んでないことは 幸い? 病の縁を落ちないように 歩いていることは確かです
ビブリオマニア(愛書狂)という不幸な病に侵された人々に焦点を当てた短編集。 登場する人物たち自身はこの世に存在しなくとも、モデルとなった人物がおそらく在ったもので、極めてノンフィクションに近い愛書家小説集であると思います。 一言に「愛書狂」としても、十人十色で様々なタイプが見受けられます。 読書家だ...続きを読むけでなく、文字が読めなくとも本の形・装丁だけに拘ったり、いや、そのような難しいことではなく書物の存在自体を愛しているような病人もいるのです。 私自身も書痴であると感じていましたが、この一冊に綴られているような猛者に対しては平伏し、尊敬し、そしてある意味では安心します。
・生田耕作編訳「愛書狂」(平凡社ライブラリー)もまた書物をこよなく愛する人々のアンソロジーである。例のフローベール「愛書狂」に始まつて、A・ デュマ「稀覯本余話」、ノディエ「ビブリオマニア」、アスリノー「愛書家地獄」、ラング「愛書家煉獄」の計5編を収め、更に作者名なしの、たぶん訳者自身による「フラン...続きを読むスの愛書家たち」を載せる。作者紹介と訳註があるのは親切でありがたく、私にはうれしい。さうして最後にあとがきと恩地源三郎「解説ー〈愛書狂〉生田耕作」がある。至れり尽くせりである。本書の元版は1980年白水社刊、もはや古典的名著であらう。 ・デュマ「稀覯本余話」はエルゼヴィル版「仏蘭西風菓子製法」なる書を読む男の蘊蓄話とでも言へようか。このエルゼヴィル版はエルゼヴィル家 代々によつて出版された書をいひ、しかもその代々によつて様々な違ひがあるらしい。それが無知の男の問に答へる形で語られる。たぶんそれだけの話と言つて良い。ただ、そんな書誌的な蘊蓄話でもそれなりにおもしろい。学問的といふよりは実用的な事柄なのであらうと思ふが、それにしても日本の書誌学とはずいぶん違ふ世界である。最後の方に「エルゼヴィル版の値打はすべてその余白の寸法によって決まる。余白が広ければ広いほど値打の上がるのがエルゼヴィル版です。」(53頁)とある。「余白の全くないエルゼヴィル版など一文の価値もない。」(同前)といふのは古書的価値を言ふのであつて、学問的な価値ではないのであらう。和本の場合、残存数自体が少ないから、匡郭や余白を問題にしたところで、値段が高いのに変はりはない。もつともこれは19世紀の話、現在では 欧州でも事情が変はつてゐるのかもしれない。この余白、ノディエ「ビブリオマニア」でも問題になつてゐる。これは愛書家、いや愛書狂か、テオドール氏に対 する追悼文の形を採つた作品である。この人の死因が余白にあつたらしい。売りに出た「一六七六年版のヴェルギリウスの大型判」(72頁)の余白が自分の所蔵本より「三分の一行」(同前)大きいといふのである。テオドール氏はこれが悔しくて、これを気に病んで「重症のチフス」(同前)に罹つたのであつた。ビブリオマニア・チフスである。何とつまらぬことをと言ふ勿れ。「ネルリ版の『ホメロス』の値段を百ルイつり上げたのは三分の一行なんだぜ!」(73頁)と いう世界である。テオドール氏所蔵本がどのくらゐになるのか、本人にはよく分かつてゐたのであらう。いづれにせよ、これは物理的にはごく小さいものである。初版本を探し回る男たちよりも更に小さな世界への拘泥である。その意味ではつまらぬと思ふのだが、ただこの愛書家達の書は古い。和本のやうに手垢にまみれて古ぼけてはゐない。装丁は美しい。「自分で本を買い、お気に入りの製本師にモロッコ革の表紙で装わせ云々」(149頁)といふ世界だから、1冊として同じ本はできないのであらう。余白も問題にならうといふものである。美しい装丁に小さな余白、それは実に重大な問題なのである。ただ集めるだけのコレクターは装丁の美しさを求めるものであらう。その一方で、古書価を問題にするのに余白を以てする人々もゐるのである。奥が深いといふより、実に大変な拘泥の世界である。そんなわけで、日本と欧州の古書の世界は、特にフランスのとは大いに違ふ。さうして私は、当然のことながら、こんな愛書家、愛書狂とは無縁の 存在であると思ふばかりである。それにしても21世紀の日本に生きてゐてもこんな世界が堪能できる。ありがたい時代である。次なる愛書狂の書はいつ出るのかと首を長くして待つてゐよう。
面白かったけど、どうしても本を読みものというよりは骨董品?みたいな扱いなので古本屋で買っちゃって重いということとか、箔押しすばらし〜みたいなところしか感情移入できなかった……本が好きな人とはまた違うんだな〜
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