Posted by ブクログ
2018年07月14日
2020年の東京オリンピックで、あるいはサミットで、40年以上にわたって通訳者として活躍する長井さんの本。コミュニケーションをうまく行うための、数々の「通訳の現場で見て、聞いて、考えた、いくつかのヒント」集(p.167)ということで、端的に言えば「伝えるべき内容(コンテンツ)があるのか」、「熱意が...続きを読むあるか」、「論理性があるか」、「どう話せば相手に伝わるか」ということが、実例とともに述べられている。
ただ、『伝える極意』というと、なんかビジネス書まがいの感じがして、実際の長井さんをかえって小さく見せてしまっている感じがする。もっと純粋に通訳現場で見たエピソードを紹介し、それについて考えたこと感じたことのエッセイ、という形で割り切った形にした方が良かったかもしれない。エッセイなのか、ビジネス書みたいなことがしたいのか、正直曖昧なラインにある本、という感じがするのが残念。
通訳者として数々のスピーカーの声となってきただけに、著者なりに「この人の話、本当に分かりやすいし、伝わりやすく、それゆえ訳しやすい」という人と、逆に「聞いていても眠いだけ、でも訳さない訳にはいかないので、そんな話でもなんとか伝わるように誠心誠意やらなければいけない」というジレンマを生み、反感を覚えるような人、というのがいるのだろうと思う。
『伝える極意』については正直どうでもよく、それよりも著者の仕事ぶりが読めることの方が楽しかった。首相の通訳を歴代やってきた経験から、「一般に日本の政治家は、選挙演説はとても上手。(中略)もしかすると、日本の選挙は『この政治家、この政党に入れよう』という積極的な意志よりも『この政党はダメだ』という消去法的な雰囲気に支配される傾向が強いために、自分をアピールするよりも対立候補を批判するほうが効果的なのかもしれません。」(p.49)という部分は、確かにそうなのかも、と思う。アメリカの大統領選とかはやっぱり違うのだろうか、と思った。それから「通訳者泣かせのジョーク」の話で、「ジョーク、笑いというのは、それぐらい『時代の持つ空気感』や、それに基づく共通認識を必要とする」(p.111)という部分で、「時代の持つ空気感」というのはすごい漠然としたものだけど、やっぱりそういうものは絶対あるんだよなと思う。そう考えると、本気で自分が笑えるジョークというものに出会ったとき、同時にその「時代の空気感」というものも楽しめている、ということなんだと思う。そしてそれはその場所その時代にいる人には感じられないものなのだけれども。それから、3.11後の原発事故後の会議で、「アメリカ側の出席者たちは、緊迫した状況下の重大な会議でもユーモアを忘れずに会議に臨んでいました。決してヘラヘラしているわけではなく、緊迫した状況だからこそ、ときにはジョークを言って心に余裕を持ちながら事態に対処しようという姿勢がはっきりと見てとれました。いっぽう、日本側の出席者はというと、完全に余裕を失ってしまっている人が大勢いました。いわゆる"テンパった"状態です。」(p.128)だったそうで、なんかすぐ想像できた。確かに余裕のない時こその笑顔とかジョークとかユーモアというのは大事だと思う。難しいけど。安倍首相の福島原発事故の後の五輪招致会見での"The situation is under control."発言について、「あの場での発言が正しかったかには疑問を感じます。ただ、スピーチが、自分と自分の考えを聴衆に伝えるための行為だとするならば、そこで何を言うかを考えたとき、『自分にしか言えない言葉を話す』という価値判断基準を持つことは、ひとつの明瞭な答えだと思います。」(pp.137-8)の部分は、確かにそうかも、と思った。その立場だから言える、言わないといけない、ということを押し出すことも必要なのか、と思う。ちょうど『深読みシェークスピア』で翻訳家の松岡さんの本を読んだ後だったので、通訳と翻訳の現場感の違い、というのを比べられるのも面白かった。(18/07/14)