日本における『放送の自由』の成立過程や”中の人”の考え方が整理されていて参考になった。自分はニュースを含めTVを見なくなって久しいので、放送の自由が現在どれだけ実現できているのかわからないが、経営母体が同じである新聞と似たり寄ったりであろうことは容易に想像できる。本当に知りたいことにはほとんど触れず
...続きを読む、記者クラブによる発表ジャーナリズムに堕しているのだろう。
最終章で『放送と通信の融合』について論じられているが、現実には『通信による放送の吸収』に近くなると思う。1:多の”マス”コミュニケーションが、多:多の(普通の)コミュニケーションに埋もれることになる。つまり放送局といえども、個人を含む膨大なコンテンツ発信者の一つでしかなくなるのだ。”マス”コミが成立するには大多数の受け手に支持されることが必須要件だが、若い人はTV局やそれが発信するコンテンツを特別視しなくなっていて、高校生の我が子もTVではなくYouTubeばかり見ている。TVに強い影響力がなくなれば不偏不党などどうでもよい話だ。重要なのは『報道の自由』であって、『放送の自由』の重要性はぐっと小さくなるのではないか。残念なことに日本のサラリーマン・ジャーナリストは報道の自由も自ら手放しているのだが。