キャサリン・ブーは、元ワシントン・ポスト紙記者、ニューヨーカー誌記者で、ピュリッツァー賞受賞歴もあるジャーナリスト。
本書は、2012年に出版され、同年の全米図書賞(ノンフィクション部門)をはじめ多くの文学賞を受賞したほか、ニューヨーク・タイムズ紙、ワシントン・ポスト紙、エコノミスト誌など、米英の有
...続きを読む力紙誌の年間ベスト・ブックに選ばれるなど高く評価された。日本語訳は、2014年出版。
本書は、インド最大の都市ムンバイの国際空港に隣接する「アンナワディ」という3,000人が暮らすスラムを舞台に、長男の青年アブドゥルがゴミの買い取り、仕分けで11人の家族を養うムスリムのフセイン家と、野心家の母親アシャがアンナワディの権力者となり、中流階級にのし上がろうと画策する、ヒンドゥー教徒のワギカー家の二つの家族を中心に、急激な発展と貧困が隣り合い、せめぎ合う、ある意味「世界の縮図」とも言える街の人びとの日常を、そこに生きる人びとの目線で描いたノンフィクションである。
著者は従来、米国内の貧困問題に取り組んでいたが、インド人の夫と出会い、インドを訪れたときに目にした、急速に豊かさを増す一方で、世界の貧困層の1/3、飢餓状態にある人びとの1/4を抱える、この国の問題を取り上げた本がないことに気付き、3年に亘りアンナワディで密着取材を行い、本書を書き上げたという。
著者はあとがきで、「三年間、私たちは一緒に疑問と格闘した。ネズミの走り回る、ゴミの積まれたアンナワディの小屋に通い、きらびやかな深夜の空港へ盗みに入る少年たちと行動をともにする日々が、はたして不平等なグローバル社会で機会を追い求めて模索するとは何かを理解することにつながるのだろうか。たぶん、そうなのだ。私たちはそう結論を出した。」、「アンナワディの話が広大で多様性に富むインド全体を代表しているとは言えないし、21世紀の世界における貧困と機会の問題を端的に表しているとも言えない。どのコミュニティも一つひとつ事情は異なり、そのすべてに意味がある。それでも、アンナワディの現状は、私がこれまで見てきた他の貧困地域で目にしたことと共通しているという印象を強く受けた。」と語っている。
私はもともと、今日の世界の多くの問題の根底にあるのは「不平等/格差」であると考えており、本書を手に取った理由も、著者の問題意識と同様であったし、本書はそれをある程度明らかにしてくれた。
ただ、本書を読み終えて、それ以上に心に残ったのは、アブドゥルが友人のスニールに、「誰かを見たり、誰かの話を聞いたりしてて、この人にも人生があるんだよなって考えたことはないかい?・・・たとえばさっき首をつろうとした女の人とか、たぶんその前にその人を殴ったりした旦那とか。どんな人生なんだろうって思うんだ・・・そんなことを考えると息が詰まる気持ちになる。でもそれも人生なんだ。犬みたいな生活をしてる人だって、人生を生きているんだよ」と語り掛け、「自分にも人生がある、とスニールは思う。ひどい人生なのは間違いない。カルーの人生みたいにあんなふうに終わりを迎え、やがて忘れられるのかもしれない。スラムの外の人々にはどうでもいいことなのだから。それでも、駐車場の屋上で身を乗り出しながら、もっと身を乗り出したらどうなるだろうと考えたとき、ちっぽけな人生でもやはり自分にとっては大事な人生なのだと、スニールは思ったのだった。」と描いている場面だった。
どのような境遇の中であろうと、そこで生きる一人の人生は掛け替えのないその人の人生である。それは、インドのスラムで生きる人の人生も、米国大統領の人生も、究極的には等しいものなのだ。それが「不平等/格差」の存在を肯定する理由にはならないことは言を俟たないが、私は本書から、忘れかけていた大切なメッセージを得たような気がする。
(2020年5月了)