日本代表監督 西野作品一覧
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-リーダーは傷だらけで孤独。毎日ストレスが続く会長職を誰がやるのか? だからこそ、批判されてもブレない「芯」と明確な「ゴールイメージ」が必要だ ――2016年から3期にわたり日本サッカー協会会長を務める著者は、世界基準をめざして数々の改革を断行。日本代表監督の交代、福島県Jヴィレッジの原発事故対応、日本オリンピック協会副会長として携わったパンデミック下の五輪開催、コロナ禍の経済危機……。嫌われる覚悟で臨んだ数々の修羅場の舞台裏を、いま初めて明かす。また、著者が薫陶を受けた名指揮官(クラマー、ギャラント、オシム、ベンゲル、川淵三郎、岡田武史、佐々木則夫、西野朗、森保一ら)に学び、本物のリーダー像を探究。危機を突破して「ゴール」を決められる力とは何か? 数々の逆境を突破してきた末に、たどりついた境地。
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3.52022年カタールW杯の出場権をかけた戦いが始まった、サッカー日本代表「森保ジャパン」。世界の壁を突破するために必要な条件は、いったい何なのか? 代表監督に求められる資質とは?─かつて日本代表を率いた監督の系譜をひもときながら、「森保ジャパン」の未来を考察していく。著者による、歴代監督12人の独自採点付き。 Ⅰ 代表監督、世界とかく戦えり ハンス・オフト ──日本をワールドカップに最も近づけた初の外国人指導者 パウロ・ロベルト・ファルカン ──キングメーカーに疎まれた自由放任主義の短命監督 加茂 周 ──望され続けた日本の名将はなぜ代表では名将になれなかったか? 岡田武史(第1次) ──予選敗退の危機を救った合理的で冷徹な判断力 フィリップ・トルシエ ──エキセントリックな問題児? 異色の指導者が日本に残した大きな遺産 ジーコ ──自身の天才が仇となったスーパースターの悲劇 イビチャ・オシム ──未完に終わった「日本サッカーの日本化」 史上最も尊敬された日本代表監督 岡田武史(第2次) ──躍進を生んだ大胆な決断の裏にも論理的な裏付けあり アルベルト・ザッケローニ ──「温厚な紳士」が招いた必然の惨敗 ハビエル・アギーレ ──「疑惑」によって座を追われた陽気なメキシコ人監督 ヴァイッド・ハリルホジッチ ──速い攻撃を志向して見誤った日本サッカー100年の伝統 西野 朗 ──攻撃サッカーの申し子が示した勝負師としての真骨頂 Ⅱ 森保ジャパンは世界で勝てるか? 森保 一 ──順調なスタートを切った「気配りの人」が導く新生日本代表 2020年のその先へ ──日本代表が世界の頂点に立つ最良のシナリオ 日本代表黎明期の15人──日本代表が「全日本」と呼ばれた時代
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4.0リオ五輪では監督を務め、ロシアW杯にはコーチとして帯同した手倉森誠。4年8か月にわたる日本代表を背負った戦いは想像以上に苛烈なものだった。あの日「チームに留まる」と決めた、その真相と志とは。「非エリート指導者」による独占手記。 ――ロシア・ワールドカップの直前に、ハリルさんから西野朗さんへ監督が代わった。ブラジル・ワールドカップ以降の4年間で二度も監督が交代したのは、日本サッカー界の歴史で初めてのことだ。 そのたびに、日本代表は揺れた。私自身の気持ちも、何度となく揺さぶられた。思い出は美化されるものだが、楽しいことより苦しいことのほうが多かった気がする。 3人の監督でもっとも長い時間を過ごしたハリルさんとは、時に意見をぶつけ合った。もう少し荒っぽい表現がふさわしいやり取りもあったが、それも、方法論の違いに過ぎない。「日本代表を強くしたい」 という気持ちは、ハリルさんも私も同じである。志が同じなら、最終的な着地点を見つけることはできる。 (略)この本を書いたのは、自分の経験を個人的な財産にしてはいけないと考えるからだ。リオ五輪代表監督として次世代の強化を任され、3人の日本代表監督のもとでコーチを務めた自分には、4年8か月の日々を広く伝える使命がある。「書きたい」ではなく、書き残さなければならないだろうと考えた。(「プロローグ」より) <目次> プロローグ 第1章 2014年1月~2015年12月 第2章 2016年1月 第3章 2016年2月~8月 第4章 2016年9月~2018年3月 第5章 2018年4月~7月 終章 東京五輪からカタール・ワールドカップへ、長崎から再び世界へ エピローグ
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-端正なマスクに、揺るぎない情熱とリーダーシップを迸(ほとばし)らせてー。スポーツニッポン紙上の人物伝「我が道」を編さんしたシリーズ、今回はサッカーの前日本代表監督・西野朗氏が登場します。 西野氏は1955年(昭30)年4月、埼玉県出身。現役時代は浦和西―早大―日立とMFで活躍しました。日本代表には大学1年で初選出。引退後はアトランタ五輪代表、柏、G大阪などで監督を務めて、18年W杯ロシア大会では日本代表をベスト16に導きました。 日本屈指の「サッカーどころ」、埼玉・浦和でボール蹴りに夢中になった少年時代。高校、大学、日本リーグ、日本代表での活躍。そして35歳で引退すると、西野氏は指導者として新たなステージに突入します。 96年アトランタ五輪。前園、川口らが躍動して、伊東が値千金のシュートでブラジルを撃破した「マイアミの奇跡」。G大阪ではJ1制覇、ACLのタイトルを手にしました。そしてW杯ロシア大会。本番まで3カ月を切ったタイミングで、ハリルホジッチ監督の後釜を意を決して引き受けて、決死の戦いに身を投じます…。 日本中の誰もが知っている紳士な振る舞いや爽やかな笑顔からは想像もできないような挫折も、本書では包み隠さず語られます。日本代表監督を退任してからは、19年にタイの代表監督に就任。今なお続く西野氏の挑戦と軌跡をぜひご覧ください。