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  • 雄鶏の家:ウクライナのある家族の回想録
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    祖国と家族の絆を描く珠玉のメモワール 「私」は、ロシア人の父とウクライナ人の母のもと、ソ連時代のキエフ(現キーウ)で生まれ育った。15歳のとき母とともにアメリカに移住、現在はベルギーのブリュッセルに暮らす。 2014年、ロシアによるクリミア侵攻は「私」と家族を恐怖に陥れた。当初、複雑な思いで見ていたマイダン革命に次第に共感を抱くようになった「私」は、祖国の現在の姿をこの目で見たいと願うようになる。 それと前後して、母から届いた荷物のなかに偶然、曾祖父セルヒイの書いた手記を発見し、「兄ニコジム、自由なウクライナのために戦い、1930年代に失踪」という書き込みを目にする。母や叔母に尋ねても曖昧な答えに終始し、「私」はもどかしさを感じる。大伯父が失踪した理由を知りたくなった「私」は、駆り立てられるようにウクライナへと向かい、ポルタヴァ州の小さな村で暮らす祖母ヴァレンチーナとの生活を始める。 ウクライナの伝統刺繍を施した布地、ルシュニクを収集するロシア出身の女性と出会い、交流を深める章では、度重なる戦争を経てもなお失われないものがあることを思い出させてくれる。世界17か国で翻訳刊行された国際的な話題作。 [目次]  家系図  本書で言及される地名 プロローグ 第一部 ウクライナの岸へ 第二部 桜の園 第三部 刺繡糸 第四部 雄鶏の小屋 第五部 洞窟と神秘 エピローグ  謝辞  訳者あとがき
  • 水族館の歴史:海が室内にやってきた
    3.5
    「アクアリウムaquarium」という語が一般に用いられるようになったのは、19世紀半ばのヨーロッパでのこと。鑑賞用に魚を囲いの中で飼う試みには古代ローマに遡る長い歴史があるが、アクアリウムはもともと、水生生物を飼育する容器や装置を意味していた。 海草も含めたひとつの「生態系」として、観察や鑑賞を目的に水生生物が飼育されるようになり、アクアリウムの歴史は始まった。それまで未知の世界だった深海の様子が知られてくるにつれ、人々は海に対する恐怖を克服した。19世紀は蒐集そのものが流行した時代であり、海洋生物の採集がさかんになった。こうした複数の要因が重なり、アクアリウムという装置が発明されたのだ。 海の生き物の生態を知りたいという人々の願望が、いかにしてアクアリウムの発展に寄与し、水族館の創設につながったのか。環境問題と切っても切り離せない、未来の水族館のはらむ問題とは何か。ユニークな文化史の書き手である著者は、豊富な資料をもとに、人々の夢や欲望の投影としてアクアリウム=水族館のなりたちを考察する。人口あたりの水族館の数が世界一とされる「水族館大国」日本で、水族館の過去と未来に思いを馳せる一冊。図版多数。

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