【感想・ネタバレ】万葉集の起源 東アジアに息づく抒情の系譜のレビュー

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Posted by ブクログ

「万葉学者、墓をしまい、母を送る」で上野誠を知って以来、なんとなく万葉集について興味を持ち始めた令和二年です。今まで国語教育の中でしか触れてこなかった方面。上野先生の「万葉手帳」とかをパラパラしながら飛鳥の風景写真と素朴でむき出しな感情表現にまみえてみると、なんでこのような文学が公式なアーカイブとして残っているのか、無性に気になり始めました。で、本書の題名「万葉集の起源」を手に取った次第です。これが、滅茶苦茶、面白い。令和という年号の決定の際も、中国の文献からの言葉ではなく国産の文学から生まれた、という喜び方がありましたが、この新書は、そもそも万葉歌の起源は東アジアの文化風習「歌垣」である、という仮説を立てて長年、フィールドワークをして、歌を収集してきたダイナミックな研究の成果なのです。そもそも万葉集のピュアさが日本人らしさ、の原点なのだ、というような言説も聞いたことあるような気がするのですが、この本読んで、結婚とする、とか共同体を守る、とか古代人の根本のための感情と、それを社会で共有する仕組みとか、歌って、人種を超えた大きなものであったのだ、と心動きました。

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2020年10月11日

Posted by ブクログ

 万葉集を研究する際にいろいろな立場がある。これを文学作品として捉え、そこに作品論や作家論を近代的枠組みに当てはめて考えるものである。そこには比較文学的な視点もあり、中国文学からの影響を読み取る方法は戦後以降の万葉研究の主流である。
 対して万葉を古代的な歌謡の世界と結びつけ、謡いものとしての性格を抽出しようという研究態度がある。ただしこれは万葉以前の文献資料が乏しいため、根拠薄弱とされることが多かった。民俗学的なアプローチもあるが史学的観点からの批判をかわせないでいた。
 そこに加わったのが本書でも取られている東アジア文化圏に現存する歌謡の世界との比較研究である。中華文化圏の周辺部ある少数民族が保存する歌謡のあり方を古代研究に重ねていこうというのだ。
 本書では恋歌と挽歌について述べられている。これは生死の違いこそあれ、相手に対して呼びかける歌謡がもとになっているとは昔から言われてきた。歌垣の習慣などが断片的にうかがえることがその根拠だった。さらに中国少数民族の習慣にはそれに共通する要素があるというのだ。
 この事実についてはかなり前から報告されてきていた。本書はそれをかなりわかりやすく説明している。またそれぞれの局面が持つ主流というべき歌の流れと、それに対抗する精神を詠う対立の構造が歌謡の本質であるという論にはおおむね賛成できる。
 時代を超えた比較に関してはやはり批判も多いだろう。ただ、万葉集をあたかも近代文学の未完成品のような扱いで研究する方法とは別の視点を与えてくれる点で大きな刺激になった。

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2020年08月13日

Posted by ブクログ

万葉集の起源を東アジアに広く広がっていた歌垣などの習俗に求める。広い視点の万葉集研究。

中国雲南の少数民族の歌文化を研究する筆者。老若男女が集まり、恋歌を掛け合う歌垣の習俗や葬送儀礼の哭き歌に、万葉集との共通点を見出す。

彼らの歌には文字はないが、心の機敏や揺れの表現は万葉和歌の抒情表現につながる東アジア共通の文化であると筆者は主張する。

万葉集で良く見られる男女の恋歌のやりとり。そして読み人知らずの歌に多い民謡的な性的にもおおらかな表現。即興と定型を交えた歌垣の文化と確かにつながるように思えてくる。歌垣を通じて口承、洗練されてきた歌が、大伴家持や柿本人麻呂、ほか万葉集の選者により、たまたま文字かされて現代に伝承されてきたのだろう。

本書は、万葉集の歌に韓国語や漢文による解釈を加える研究とは一線を画する、もっと人が歌を歌う根源に迫るものである。

もちろん万葉集自体、当時の人々が万葉仮名を発明し後世に名歌を遺した、日本人独自の功績を否定するつもりはない。ただ一つ一つの歌が出来上がる過程で多くの口承が行われ、その歌垣は東アジアの他の民族にも共通の文化であるという主張、実に壮大なテーマではないだろうか。そこに感動を覚える。

万葉集を読むと現代も昔も人の感情、心の綾には変わりはない。そのごの古今和歌集など技巧に走る前、開けっぴろげで雄大、微笑ましい誇張表現など歌垣起源であれば納得がいく。

奥の深い深い万葉集。新たな視点を与えてくれる作品でした。

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2020年07月26日

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